冬の神話
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天候の回復が早過ぎる。
また、何の成果も残せないまま下山することになるのだろうか?
そんな不吉な予感に囚われながら、くっきり晴れ上がった空を見上げた。
すっかり葉を落とした冬木立の向こうに白く雪化粧した筒上山が望まれた。
落ち葉の面河道は歩きやすく、視界を広げた森には陽光が降り注ぎ、じっとり汗ばんでくる。
尾根へ登りつめ、北側斜面へ回り込むと、様相を一変した。
身を竦ませるような木枯らしが吹きすさび、うっすら積雪が見られるようになる。
西側から、次々と雲が雪崩れ込み、次第に空全体を覆い始める。
これは好い兆候だ。
このままガスに覆われると、夜間の冷え込みで樹々に着氷し霧氷が発達する。
期待半ばで、3時過ぎ愛大小屋に到着。
早めに着いたので、冬支度の薪を少し割っておく。
トンカン、トンカン薪割で汗を流した後の麦酒は美味い。
今夜も薪ストーブの温かな炎を見つめながら文庫本のページを繰る。
木枯らしの吹き荒れる音と炎の中で薪が爆ぜる音、そして静かにページを繰る音。
山小屋で過ごすこの時間は、何物にも代えがたい安らぎをもたらす。
まだ真っ暗な午前4時半過ぎに小屋を出る。
路面はシャーベット状に凍結して足裏でさくさく崩れる。
実はヘッドランプの予備電池を忘れた、
電池の切れかかった薄暗い灯火が、なんとも心もとない。
電池が切れると、星明りもない漆黒の闇である。
とにかく先を急いだ。
おかげで2度も氷の上で足を滑らせ、すっ転がった。
面河乗越を越え、北側へ回り込むと、こちらも様相が変わる。
風が北東に変わり、樹々が霧氷に白く覆われている。
積雪も5cmくらい。
なんとか6時過ぎ、弥山に到着。
次第に空が白み始める。
目前の光景に固唾を呑んだ。
一面の大雲海が広がり黎明の朱に染まろうとしていた。
主峰天狗岳は、まだ雲の中だったが雲が切れるのは時間の問題と思わせた。
来るべく夜明けの予感を孕み、胸の鼓動が高鳴る。
束の間の幸福感だった。
北側から巨大なうねりが押し寄せてくる。
天狗岳を遥かに超える巨大な雲の塊。
200~300mの壁のような雲が雪崩れ込んでくる。
あっと云う間に視界は真っ白。
「こんな…バカな?」
あまりもの仕打ちに呪いの言葉が洩れる。
とても、ここでは口に出来ないくらい(苦笑)
時折、青空がのぞき小躍りするが、束の間のぬか喜び。
視界の開けたその先に、押し寄せる巨大な雲の集積がみえるだけ。
石鎚山が、あと500m高ければ、あの雲の上に抜き出るのに、
と詮無いことなど口走る(はは…もうヤケクソだ)
待つこと3時間。
氷点下6℃の吹きっさらしで、絶望と高揚のシーソーゲームを繰り返していた(笑えないよぉ)
来た。
青空の領域が一気に膨れ上がる。
潮が引くように雲間から天狗岳が、その鋭鋒を浮かび上がらせる。
「ヤッホー」
腹の底から快哉の声を絞り上げる。
「おっお~」
巨大な日輪(虹色の光環)が天狗岳の上にかかる。
「父さん母さんハマノおばあさん観てくれ。これが冬の石鎚の神話世界だ」
神の山石鎚を象徴する虹色の巨大な日輪。
私たちは、この現象に出会うために足繁く冬の石鎚へ通い続ける。
あぁ~涙が滲んでくる…
やっと報われた。
10時過ぎ、再び山上はガスに覆われた。
幸せの余韻に浸りながら面河道を下る。
あの長い下りも今日は、ぜんぜん苦にならない(笑)
ラニーニャの影響で、今シーズンは寒くなるかもしれないという予報も出ています。
さぁ幸先の好いスタートを切った今年の冬山シーズン。
次は朝焼けの雲上の神話世界との邂逅です。
でもシーズン一度きりの運を、早くも使い切ったかもしれないという予感がしないでもない…
文章もすばらしい。
憂鬱な日々の霧が一気に晴れました。
もう一つ、今朝、我が家に二人目の孫が誕生しました。
ランスケさんのブログでまた感動!
二日間の石鎚、すがすがしさが伝わってきます。
それと信仰の心。
やはり石鎚は神の山だということを再認識。
辛抱強く待った天狗岳の上の日輪、最高です。
しっかり胸の高鳴りが伝わってくる(涙が出ました)
写真は生きています
ただシャッター押すなら誰にでもできるし
全く拘らず目にすることで感動する人もいる
人生様々、価値観の共有
大切な人の骨を拾いながら色んな思いが交錯しました
亡くなった従弟の弟が20年ほど前、乳飲み子を置いてマッキンリー登頂に成功しマスコミとは反対に身内では非難轟々だった事も思い返しました
どんな形でも良い、生きてさえいてくれたら・私にすがって震える叔母が殊のほか小さく小さく思えました
開口一番、撮ったぞーオ-オ-オーオーオー
神が舞い降りた。
ついに奇跡の瞬間が撮れたーと歓喜と興奮した声が弾けて、撮った、ヤッタの連呼。
私もおもわず撮れましたか。よかった!
早く観たい。ブログ楽しみに待ってますと言って携帯をOFFに。
そして、アップされたブログには、期待どうりの凄い写真が頁を埋め尽くしています。
大自然の摂理の中に組み込まれた自身
そして自己を投影した大自然
でも逆に大自然から視つめられている自身
神と自分自身の中にある神が一つになり
もうひとつの宇宙が発ち現われる
ランスケダイアリーのブログ記事の金字塔が、ここに一頁加わわりました。
misaさん お悔やみ申し上げます。
日々の暮らしの中で綴って来た心の縁を、引き裂かれ、破り獲られるような痛みの中・・・
旅だった従弟さん。
でも死んでなんかいません。
残った人達の心の中に何時までも生きつづけます。
そう、あの歌のように千の風になってこの大空を吹き抜けて行きます。
忘れていると風が吹きだしますよ。
自身が難病宣告をされているせいか、今回はかなりnervousになってます
遺影に向かって「馬鹿野郎!さっさと行きやがって・・・」と心の中で叫び、
泣くもんか!笑って送ってやるんだと頑張ったのですが叔母の一言でout!敢え無く撃沈です
封印した山が余計遠くに感じます
明日もういちど美術館へ
石元氏のモノクロの世界、高橋氏の石鎚を観に
また年始は横浜ですね(笑)
自然薯の記事、読ませて頂きました。
自然薯の鍋料理、美味しそうですね。
今度試してみます。
西日本最高峰石鎚は、気象変化の激しい場所です。
それ故、山岳写真の素材に、事欠かないのだと思います。
さて次回は朝焼けに染まる神話的世界と出会いたい。
それはメールでも書いたように、私たち残された者の宿命です。
とは云っても、親より先に逝かれた叔母様が一番辛いですね。
間もなく母の一周忌です。
私自身、順番通り父と母を先に見送ったことに安堵しています。
何度か親より先に逝きそうになった不肖の息子でしたから。
一周忌を前にして、やっと母の臨終における後悔の念が薄れてきました。
それは「諸法無我」という言葉と出会った御蔭です。
私たちは「縁起」の関係性のなかに生きるものなのです。
連綿と続く大きな関係性の広がりが見えてきたとき、
私自身の、ちっぽけな拘りが薄れてゆきました。
misaさん、あなたの大事な人は、すぐ傍にいますよ。
これで「山案山子の山日記」の新連載が決まりました。
皆さん、お楽しみに。
でも、これは「山」続きで語呂が悪いですね。
「山案山子通信」とか「山案山子便り」にしましょうか。
どちらにしても、もう逃げられませんよ。
観念しなさい(笑)
このための山行だったんでしょうね。
だが、これよりも何故か愛大小屋での
ストーブの「炎」に心が動きました。
雪山に行かなくなって、40数年。
石鎚や瓶の管理人室で見つめたストーブの「炎」。
その時々の想いが重なります。
炎は、暖かくて強くて逞しい。
その時の体験を求めようとしても、手に入れられない今だからこそ、よけいに心が動いたのかもしれません。
待って・・待って・・
シャッターチャンスを創るランスケ氏の
根性に脱帽です。
当初は山頂の避難小屋に泊まる予定でした。
でも面河道を登ってきて愛大小屋に泊まらないで素通りはあり得ません(笑)
木枯らしの吹き始める晩秋から雪のしんしんと降る冬の
愛大小屋は格別です。
あの薪ストーブの炎を見つめながら過ごす時間は何物にも代えがたい。
山野貴公子さん、ぜひ来秋は山男として成長したほっほさんを交えて山小屋の夜を過ごしたいものです。
その前に瓶ヶ森のキャンプも忘れずに。
まずビールを1本。
そして、身を横たえて酒を飲みながら・・
貴兄等の高尚な話を睡眠薬代わりにして
夢を見たいと思います。
えーー夢が見えるでしょう。
非常に楽しみにしています。