Landscape diary ランスケ・ ダイアリー

ランドスケープ ・ダイアリー。
山の風景、野の風景、街の風景そして心象風景…
視線の先にあるの風景の記憶を綴ります。

Road side 東京

2015-07-27 | Walk on

 

夜行バスは八時半、東京駅八重洲口着。

12時間の長いバス旅に身体の節々が強張っている。

バスを降り、大きく伸びをしてから通勤客で混雑する駅通路を丸の内方面へ移動。

先日、放送のあったブラタモリ気分で東京駅を見物。

あの江戸城の旧い石垣もあったよ(笑)

三年前、東北への旅の途上で観た、そこいら中、工事用のフェンスで覆われた頃とは様変わり。

生まれ変わった東京駅が朝の光に輝いていた。

 

 

皇居を正面に、和田堀門から桜田門を外苑内を歩いてみた。

20年くらい東京に暮らしてきて、皇居周辺を歩いたことは一度もなかった。

東京駅を起点に、国会議事堂、外堀通り沿いを千鳥ヶ淵、九段そして神田経由でお茶の水まで歩いた。

離れてみると、東京の中心部って、歩いて面白い場所だったと実感。

すっかり東京観光、お上りさん気分(笑)

 

まず見てほしいのが、下の国会議事堂正面への道路沿いの歩道。

当日夜に集まった抗議デモの人並は、この狭い歩道内に閉じ込められることになる。

(それも警察官が規制しているので、歩道の半分しか利用できない)

7万人の群集を狭い歩道内に封じ込める道路規制には正直驚いた。

詳しくは、後半のデモ体験でお伝えします。

 

 

戦後70年間、守ってきた不戦の誓いが、ついに破られる。

240万人という膨大な戦死者を出した、あの戦争は何だったのか?

国家が送り出した戦争の犠牲者を、追悼するための二つの施設を訪ねてみたかった。

千鳥ヶ淵、九段ともに初めて足を踏み入れる場所。

桜の名所である千鳥ヶ淵は、ミーンミーン木立に反響する蝉しぐれの中。

千鳥ヶ淵戦没者墓苑は、とても簡素な場所だった。

祈祷所に添えられた白菊の花を供して祈った。

朝のこの場所を訪れていたのは一組の老夫婦だけ。

献花に添えられて内閣総理大臣、安倍晋三と厚生大臣、塩崎やすひろの記名が白々しい。

蝉しぐれ以外は閑散とした千鳥ヶ淵と比べて、九段の靖国神社は参拝の人が絶えない。

東京観光のコースに組み込まれているのか、ガイドさんに導かれた団体客が。

入口の巨大な鳥居の威容が参拝者を威圧する。

参道を進むと大村益次郎の銅像が高く聳える。

長州出身、日本陸軍の創始者である大村益次郎像の威容が、この場所の性格を現わしている。

山門前に聳えるもう一つの巨きな鳥居。

山門の大きな扉には菊の御紋。

とにかく本殿へ辿り着く前の表構えが、何もかにも巨大だ。

それに比べて、拍子抜けするほど本殿が慎ましい。

手水場で手を洗って、靖国神社本殿へ。

作法通り二礼二拍手。

亡くなった父や戦死した父の兄たちの分も祈った。

確かに日本人には非業の死を遂げた大勢の戦死者を追悼する霊的な場所が必要なのだろう。

その場所を戦時中、国民に多くの犠牲を強いて来た権力者の子孫たちが再び、

権力追行のために利用しようとしているのが問題なのだろう。

日本会議という国家神道系の右翼団体が今の政権を支えている。

 

 

木蔭の多い皇居周辺から離れると、都心の容赦ない放射熱の只中に晒される。

バス旅の疲れもピークに達し、予約しておいた御茶ノ水のホテルへ向かう。

首都圏交通機関の共通パスカード、suica を東京駅で購入しておいたが、

九段から神田そして御茶ノ水は地続きで道なり、

(この辺りは、以前から歩きなれた場所)

そのまま炎天下を歩き続けた。

御茶ノ水のホテルで汗まみれの身体を休めたかった。

でもチェックインは午後三時からということで荷物を預けて渋谷方面へ。

ここからはsuica を利用。

若い頃は遊んで面白い場所だった渋谷も、老体にはキツイ(汗)

人並を避けて路地のレコード屋さんを覗いてみる。

センター街で面白いポスターを発見。

有名なアメリカの徴兵ポスターを真似た I want you は安倍晋三(笑)

公園通りから原宿方面へ抜けようと思ったが足が棒状態。

もう渋谷はオジさんにはキツイ街。

上野へ移動して木蔭で休みながら美術館めぐりに軌道修正。

駅を降りると、土砂降りの雨。

カフェテラスは何処も満席で、樹下で雨宿り。

駆け込んできた少年少女たちは、揃いの黒のTシャツにブラジルの国旗をプリント。

同じブラジル人でも派遣労働者として訪れる日系移民と違って、

肌の白い彼らはブラジルの格差社会を支配するポルトガル系の裕福な子供たちなのだろう?

旅の一冊として持ってきたノーム・チョムスキーの「戦争のからくり」がオーバーラップしてしまう。

観たかった国立博物館の松林図屏風は、展示していなかった。

毎年、お正月の特別展示で公開しているという話だった。

東京芸大方面のオープンカフェで雨が上がるまで休憩。

張り出した日除けテント越しに緑の梢を滴る雨だれを観る時間も好いものだ。

三時前まで上野で過ごし、御茶ノ水のホテルへ帰り、シャワーを浴びて仮眠。

日比谷野音は夕方の六時半。

 

日比谷公園へ近づくにつれて通勤客とは違う人並があった。

側を歩いていた女性に「日比谷野音は、こちらで良いんですよね」と声をかけられる。

私のラフな風体をデモへの参加者と見当をつけたのだろう(笑)

しばらく、その女性とお話しながら歩く。

福島からの避難者で原発を止めるには安倍政権にNOの声を上げなければという思いで今夜のデモに参加すると。

脱原発運動以来、こういった個人単位でのデモ参加者が確実に増えている。

日比谷公園へ入ると色んな団体系の幟が立っている。

こういった旧来からのデモ参加者とSNSからの自由参加者が混在している雰囲気があった。

三千人収容の野音は、「満席で入れないので、そのまま国会議事堂へ移動してください」とアナウンスの声。

移動する人並に従がって国会議事堂方面へ。

実は、私はデモ参加、これが初めて。

ここからのデモ体験記は、そんな初心者的視点で感じた疑問の数々です。

国会議事堂正面の交差点付近からは道路規制の警察官が溢れている。

信号を渡って歩道の脇に給水施設が設けられている。

日が暮れて、いくぶん涼しくなったので大丈夫だろうと思っていたが、

狭い歩道の中に閉じ込められた大勢の人混みの中にいると息苦しい。

その上、SEALDsのエリアに留まったので、

(SEALDsの正面はカメラマンが集合していて、そこに留まりたかったが警察官に移動することを強制された。残念。)

始まった重低音に乗ったアジテーションの声と呼応する群集の声がヒートアップ。

狭いエリアは完全に酸欠状態。

バス旅と昼間歩き疲れたせいか、そのままそこへ留まるよりも国会周辺の別のデモの様子も観たかった。

 

正門前の交差点から規制された歩道を辿って移動しようと試みた。

7時半の時点で、交差点における日比谷方面からのデモ参加者の人並は途切れない。

それを警察官が二方向へ分断して誘導している。

それも国会議事堂を囲む歩道へ導いて、尚且つ、その狭い歩道を半分に規制して封じ込めている。

また国会議事堂に近づく信号ごとにバリケードを設けて、群集を分断してゆく。

「もう、これ以上行けません」と信号ごとに群集を押し留めようとしている。

3つくらいバリケードを突破したが、地下鉄、国会議事堂前駅から先は、完全に警察官によってブロックされて、その先へ行けない。

素朴な疑問、これはデモに対する過剰規制じゃないだろうか?

見慣れたニュース映像から流れるデモの風景は、交通規制して車道をデモの群集に解放するのが一般的ではないのだろうか?

海外のデモ風景や脱原発運動までのデモは、そうだったと思う。

狭い歩道に7万人もの群集を閉じ込めるのは、どう考えてもおかしい。

おそらく脱原発運動の際、国会議事堂周辺を埋め尽くしたデモのニュース映像に官邸は恐れをなしたのだろう。

狭い歩道内にデモの群集を閉じ込めて集団の全体像が分からなければ、ニュース映像としてのインパクトに欠ける。

 

ホリエモンや爆笑問題の太田光が、デモをやることの効果を疑問視した発言をしていたが、

デモによる抗議運動は、選挙では示されなかった直接的民主主義の形だと思う。

特にSNSによって拡散する現在のデモの形態を否定することは出来ないだろう。

デモに参加するのは情報弱者というホリエモンの発言は的外れとしか思えない。

アラブの春もウォール街のオキュパイも香港の民主化も、みんなホリエモンは否定するのだろうか?

 

そういえば当日、安保法案反対デモの前に、右翼団体系のチャンネル桜主催のデモがあったとか。

こちらは千人前後の人が日の丸国旗を振って安倍政権を応援したらしい。

日本全体の右傾化が進んだと云っても、

一部の自民党サポーターと呼ばれるネトウヨの差別主義者たちが

インターネット上で誹謗中傷を繰り返しているのが突出しているだけなのだろう。

彼らが自分の顔を晒して街頭で抗議の声を上げる動員力は、まだ現状では微々たるものに過ぎない。

だが嫌韓や反中本を買い、週刊文春や新潮を読むような差別的な潜在人口は、40歳以上の中高年世代に多いというから

まだまだ、この国の抱える鬱積したマグマのような負の感情は侮れない。

 

完全に気勢を削がれた形で、初めてのデモ参加は終わってしまった。

せっかくの東京への旅、二日目は昔、写真撮影のホームグランドだった奥日光へ行って来ました。

つづく。

 


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安倍晋三のシナリオ (ランスケ)
2015-07-29 19:23:35
内田樹、今日のツィート。

内田樹 ✔ @levinassien

安倍首相は「とにかく法律通して、あとはどこでどんな口実であれ、
戦争さえ始めてしまえばこっちのものだ」と思っているのでしょう。
そうすれば、支持率はV字回復、反対運動は「非国民」と言って抑え込んで、
一気に改憲に持ち込んで、「緊急事態」を宣言して、独裁体制確立。
それが彼の夢でしょう。

安保法制、集団的自衛権は隠れ蓑で、
安倍晋三と日本会議に所属する政治家たちの頭の中には、
このシナリオが、ずっとあると私は危惧していました。

日本が戦後初めて戦争に参戦したイラク戦争時のことを思い出してほしい。
メディアは戦時色一色に染まり異論を許さない雰囲気でした。
普段は大人しい人まで人質になった高遠さんたちを口汚く罵っていました。
あの同調圧力に染まった異様な雰囲気が戦争です。
今でさえ、政権批判を許さないネトウヨの誹謗中傷に晒されて自治体やメディアは過剰忖度の自粛状態なのに、
いざ、戦争になったら、と想像すると空恐ろしい(汗)
返信する
トリックスター、山本太郎 (ランスケ)
2015-07-30 10:23:08
今朝のネットニュースを観て、驚いた。
昨日の参院安保法制審議での山本太郎と安倍首相との間に交わされた質疑内容だ。

http://news.livedoor.com/article/detail/10408249/

http://tanakaryusaku.jp/2015/07/00011657

近頃はキワモノ扱いをされている山本太郎だったが、
これは安保法制の本質的な矛盾をつく凄い内容だと思う。
福島の原発事故の時も、海外メディアからは、原発等の核施設へのテロやミサイル攻撃の
危険性を指摘されてきた。
でも日本政府もメディアも原発に反対する市民の側からも、
この問題を正面から取り上げることはなかったと思う。

しかし、今、戦争が現実的になってきて、
安倍首相自身も中国や北朝鮮の脅威を安保法制の根拠として口にするようになってきた。
そして、いざ戦争になった時、
日本の防衛上、最も脆弱な部分は列島沿岸に点在する核施設、原子力発電所だろう。

核施設へのミサイル攻撃を、ほとんどの日本人は、非現実的だと思っているだろう。
しかし、海外では現実に起こっているリアルな戦争の実態なのだ。

http://www.peaceful.biz/contents/2-6.html

山本太郎という人は脱原発に特化して国会議員になった人だ。
最近は、ほとんどメディアからも無視されることが多くなった。
このニュースも大手メディアからは完全に無視されたようだ。
でもこれは、小沢一郎と組んだことで、ひょっとしたら国政のトリックスターとして大化けしたかも?
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