梨木香歩作家生活25年間、いろんな媒体に書いてきた随筆を一冊にまとめたものが本書らしい。
その余韻を湛えたタイトルと美しい灯台の風景に惹かれて購入した。
いわゆるジャケ買いである(笑)
一度読み終え、戸惑った。
それぞれのお話は面白いのだが、全体を通すと、なんとも取り留めない印象なのだ
25年間、四半世紀の長きに亘り書き綴った文章に一貫性を求める事自体、無理な注文なのだが、
うまく私の中で、この本を咀嚼できないでいた。
この数カ月私が囚われていた姪の死という受け入れ難い喪失感。
愛する人の死と向き合うということは、本来、宗教の果たしてきた祈りや癒しの儀式の役割だったのだろう。
梨木香歩はキリスト教徒ではないが大学で神学を専攻し、神と個人の狭間で葛藤していたようだ。
それは本書の中で一番読み応えのある「家の渡り」の中に詳述されている。
ごく私的に今回は、姪の喪失感と、どう向き合うか?という卑近な視点に絞ってみた。
梨木香歩は「物語を描くことの意味」を問われ、
作品を発表する立場としては、読む人にとって生きることに資する何かであってほしいと思うのですね。
ー中略ー 少なくとも自分の書いたものが、読んだ人の中の一部になったり、いい土壌となったりして、
何かうまいこと分解されていってくれればいいなと思っています。」
この視点が、この本の中に散見し、私はビビットにそれに感応していた。
「一人の人間の中には、80歳の魂も8歳の魂も同時に存在している。
自分の中に過去の自分も未来の自分も入っているのだ。
歳を重ねた甲斐があったと思うのは、正しく扱われそこなった幼い自分に声をかけられる自分を見つけたときである」
中略
「過去と未来は年齢にかかわらず、本当はいつも会いたがっているのかもしれません。
過去の自分の問いかけに答えてやれるのは、その問いかけが生まれた状況を本当に分かっている自分、
それもすべてのことを俯瞰して見られる未来の自分しかいない。
それを可能にするのも不可能にするのも、本当はきっと、今の自分次第で」
これは昔の私を見るような姪の抱える苦しみに、うまく応えてやれなかった私の悔恨への梨木香歩の回答。
臨床心理士、河合隼雄に見いだされて作家デビューした梨木香歩ですから。
この作家の人生に非常に興味を持ちました。
25年という作家生活は、ランスケさんの山行と重なりますね。
人それぞれの人生ですから集大成となるものには思いが詰まっていると思います。
紆余曲折を経て生きていく歴史です。
今までと違ったまとめになることも想像できます。
ランスケさんのまとめ通りだと私も思いますよ。
高杉晋作の辞世 「おもしろきこともなき世をおもしろく 住みなすものは心なりけり」。
m(_ _)m
25年間、あちらこちらに頼まれて書かれた文章を簡潔に紹介しようなんて、私にはハードルが高過ぎました。
(こういう簡潔に説明することが異様に上手い人がいます。例えば橋本治とか)
何処かに視点を絞らないと一歩も前に進めなくなり、結果こういう極私的な文章になってしまいました。
自分の力量を超えて手に余る作業には、手を出さないことにします(笑)
紹介文は難しくても、唯、読む分には作家の色んな表情が伺われて楽しい時間でした。
お薦めです。