9月に入って、長い空白が空いてしまった。
秋雨前線の停滞した長い秋霖の日々も影響した。
それでも散歩の途中で少しづつ写真を撮っていた。
彼岸花の開花と共に一週間くらい集中して、この花を撮ってみた。
時間の経過と共に、どんどん色褪せてくる。
秋彼岸の墓参が最後の撮影だった。
今年も思い描いた気象条件が揃わないまま消化不良の一週間だった。
曇りがちの黄昏の光と雨の中の撮影。
それでも斜面をピンクに染めるツルボの群生の中に咲く一際鮮やかな緋色の花との出会いは幸運だった。
近年、このツルボが河川敷の土手を一面のピンクに染める花園を作り始めた。
外来種の楽園である河川敷に、突然大繁殖し始めた在来種であるツルボには驚かされる。
一際異彩を放つ彼岸花の強烈な色彩に、このピンクの花群の色合わせは、意外としっくりくる。
同系色なので、その鮮烈な燃える緋色が和らげられるのだろうか?
そう云えば、彼岸花に集うのは黒や黄色の揚羽蝶だが、ツルボの花園には無数の蜜蜂たちだった。
春、菜の花や蓮華の花園に集う蜜蜂たちは、秋、薄紫のツルボの花園に蜜を求めて集っていた。
なんだか懐かしい季節の旅人と再会した気分(笑)
9月半ば、里山の奥、桔梗の咲く茅場は、一面の女郎花(おみなえし)の黄色に染まっていた。
こんなに群れ咲く女郎花を、この場所で見るのは初めて。
そう云えば、桔梗も近年になく沢山咲いていた。
今年は花の当たり年だったのだろうか?
女郎花と共に萩や葛の花も咲いていた。
ツクツク法師の蝉しぐれの中、やっと秋の七草が咲き揃う。
赤トンボも体色が赤みを増してきた。
雨上がりの土曜日は、秋彼岸の墓参だった。
お盆に草取りをしたので、今回は手間が掛からなかった。
御先祖様の小さな墓碑の中に、満三歳で逝った母の妹の存在を知った。
なんとなく、その小さな童女の墓碑に惹かれるものを感じ、
苔生し風化した墓碑に刻まれた文字を、指でなぞった。
満子さんは満三歳で逝った。
母から何も聞かされていなかったので、小さな命の存在は驚きだった。
その小さな命に呼ばれたのだろうか?
「私がいたことを忘れないで」と。
今朝、無意識に仏壇の線香立てに4本の線香を灯していた…
先日、カタックリサンと寒風登山で終日貸切でしたが
雲とび、風が吹き、秋の花は咲き乱れ
どんなに叫ぼうが笑おうが二人の世界、WKは健在です
昨日は彼女石鎚東稜、私は足首捻挫(骨折かも)二日目でお仕事、明日受診します
これほどにツルボが群れを成すと逞しいですね
それとよき町並みです、郵便ポストがある・・・
素の部分で付き合えると楽なのかもしれませんね。
misaさんの怪我が多いのは相変わらず(笑)
ブログの継続は難しいですね。
定型にはまることが嫌いな性格なので余計です。
通い続けた石鎚山も、みんな同じ定番写真が厭で未知の風景を求め続けました。
近年は堂ヶ森から二の森の風景でした。
それも、どうも体力的に難しなり始めました…
この秋から冬にかけての入山が困難なら、限界かもしれません。
そういう意味では、自転車という移動手段は、自分の身体能力の限界を思い知らされます。
あの峠を越せなければ目的地に辿り着けないのですから。
身の丈に合った生き方が一番楽です(笑)
今年も苦手だった彼岸花の撮影に挑戦しました。
西方浄土の花は、なかなかイメージ通りの気象条件と巡り会えません。
墓参のお話は、私たちの命が繋がっていることを思い知らされる出会いでした。
墓守の勤め、可能な限り続けて行きたいです。
写真を撮り続ける上でのモチンベーションの低下もありました。
やっぱり、山へ入らないと、気持ちが乗らないのかな?と逡巡しています。
なんとか10月第一週は堂ヶ森入山に向けて調整したいと思っています。
あの広々とした空間の中にいると写真に対する意欲も湧き上がってくると期待しています。
彼岸花、意欲的に撮影されましたね。
始めは誰でも模倣からです。
善き写真仲間に恵まれて、楽しい時間を一緒に過ごせれば、それが健康のためにも一番です。
技術が向上すれば、自分の写真を撮りたいという欲も出てきます。
その時に鬼城さんの世界を目指せば良いと思います。
石鎚登山は、また機会があります。
ゆっくり体調を整えて、来シーズンの登山を目指してください。
継続的な散歩を続けていれば大丈夫ですよ(笑)
台風24号の進路が気になります。