昨日、吹き荒れた春の嵐。
花散らしの雨でした。
明けた朝、また穏やかな春の陽射しが戻って来ました。
今日も近郊の桜の撮影に出かけるつもりでした。
そこにrieさんからメールが届きました。
お父様の訃報でした。
満開の桜の花と共に逝ってしまう人がいる。
はらはら舞い散る桜は、満開の頂きから、その余韻を断ち切るように潔い。
樹木葬でも人気があるのは山桜だと云う。
昨夜読み終えたのは、小川洋子の短編集、「偶然の祝福」だった。
ひょっとすると生死の境を越えたかもしれない交通事故の後、
(左肩から撥ねられたのが幸いだったのか?それとも頭からなら彼岸の境を越えたのか?)
出会う本ことごとく、暗闇で待ち伏せに会うように宗教的覚醒のビンタに晒される。
それも砂漠の宗教の洗礼を(汗)
(ユダヤ、イスラーム、キリストと続く…)
小川洋子自身が、おそらくクリスチャンの家庭に育った人なのだろう?
この物語も、熱心な教会の奉仕活動をするお母さんと、
反発する娘そして家族の期待を一身に集める弟の話が繰り返し登場する。
その弟の物語は、「盗作」の完璧に美しいフォームで水を掻くバックストローク・スイマーと、
「エーデルワイス」の醜い痘痕面とコートの内側に無数のポケットを持つストーカーの
姿となって結実する。
美を体現する人も異形の人も、清潔で几帳面な慎ましさを纏い
痛々しいまでに愛を乞い続ける。
そして硬質な言葉を連ねながら物語は、張りつめた緊張感を維持しつつ、
ある時、天啓を受けるように「善き時間」が訪れる。
ささやかだけど、それは心洗われる祝福の瞬間なのだ。
「失踪者たちの王国」と「キリコさんの失敗」が好きだ。
絨毯屋の埃り臭い倉庫の片隅で、チリチリ頭に痩せぎすで胸元に心臓手術の傷跡のある少女から
タクラマカン砂漠で失踪した伯父さんの話を聞く冒頭の「失踪者たちの王国」から、
ドキドキワクワク…ジャン・ピエール・ジュネの映画世界に迷い込んだような展開(笑)
(ベルギーのジャコ・ヴァン・ドルマルもいいですね。「八日目」が好き。)
「キリコさんの失敗」のお手伝いさんキリコさんも、グラマラスな肢体に艶やかなルージュを引く、
およそ敬虔なクリスチャンの家庭には不釣り合いな 、いかがわしさ(笑)
このキリコさんが、その成熟した肢体とは裏腹の、奇跡をもたらす「無垢の人」なのだ。
例によって小川洋子の物語に登場する人物は、
何かが欠損している。
「あらかじめ失われている人」と川上弘美は形容したが、
私は、「あらかじめ損なわれている人」と云いたい。
もっとも好きなキャラクターは、「時計工場」のお爺さん。
大きな籠いっぱいに新鮮な果物をつめて頭に担ぎ、亜熱帯の容赦ない陽射しの中、佇む。
そのお爺さんは、
いったい何歳くらいなのだろう?
そういう予想が無意味なくらい、
徹底的に、理不尽に歳を取っているのだ。
まだ何冊か読んでいない本がある。
小川洋子を読む楽しみが、まだ残っている幸せ(笑)
偶然の祝福 (角川文庫) | |
小川 洋子 | |
角川書店 |
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