![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/65/3725955df0cb1b9f1f02f61daa4e369f.jpg)
春分の日(21日)に、河口付近で飛び交う燕の姿を見た。
揚げ雲雀の長閑な囀りも麦畑上空から聴こえる。
通勤の行き帰りに通る川沿いの道は、日毎に春の装いを増してくる。
この道祖神は田園地帯から川沿いの道へと斜面を登った路傍にある。
境界に立つ手向けの神なのだろうか?
苔生し風化した歳月を感じる石の地蔵様だ。
供えられた兎や猪の置物や樒やペッボトルの水に線香立て、
今もずっと境界の守り神として手厚く地域の人に見守られている様子が窺える。
唯、そこにお地蔵様があるのは目に留まっていたが、
それを写真に収めようとは思わなかった。
土手沿いに菜の花が一斉に咲き始めて、風景が一変した。
俄かにそのお地蔵様が存在感を増し、懐かしい春の野辺風景そのものに見えてきた。
日没前の柔らかい春の光の中で、そのお地蔵様を撮った。
私にしては、珍しく写真一枚のみの表現だ。
手を合わせ祈りを捧げた道端の道祖神。
今日、春彼岸の墓参を予定していたが、仕事がらみで行けなかった。
来週末こそは大丈夫。
先日、桜も開花したことだし、週末は満開の桜風景の中の墓参となりそうだ。
これも、また楽しみかな?
この世と異界の境目に安置する地蔵・・・
いろんな説があるようですが、道に、特に交差点などに置かれていることからも交通に関係しているのかもしれませんね。
しかし、ランスケさんの写真を見ると厳かな雰囲気が伝わってきます。
野のお地蔵さん一つ一つをとっても信仰の対象になり得ますね。
お墓参りの時には足踏み状態の桜は満開でしょう。
正直なところ分かりません。
縁起、由来など記したものが石仏の裏にも見当たりませんでした。
立てられている場所が集落から外れた川沿いの道と交差する手前。
そして道を隔てた向かい側に墓地があります。
地蔵信仰と習合した道祖神もあるようなので可能性は高いかもしれません。
こういった集落から街道へ入る前の場所に立つ石仏は近郊でもよく目にします。
お遍路旅の道中でも何度か写真を撮った記憶があります。
それと境界に立つ石仏は道祖神なのではないか?という思い込みがありました。
素朴な民間信仰としての風化し草に埋もれた石仏には惹かれますね(笑)
廃仏毀釈以前の日本人の精神風土を、そこに見るようで想像力が膨らみます。
さて今日から明日と気温が一気に上がるようです。
これで桜の開花が加速しそうです。
昨年同様、宇和島城の桜がまた観られるでしょうか?。
時間に余裕を持って出掛け、南予の桜風景を楽しみたいです。