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日曜日、病院からの帰り、少し足を延ばした。
風は冷たいけれど、光が溢れていた。
燦々と降りそそぐ陽射しは、春を感じさせる。
一足早い、光の春を。
ぐんぐんペダルを踏んで、郊外の里山へ。
傾いた太陽と競争するように、
何かをふっきるように、
風を切ってペダルを漕ぎ続けた。
辿り着いた小川の畔、
日溜まりの中、光が躍り、
春告げ花が蕾を膨らませていた。
清楚な雪割り一花(ゆきわりいちげ)と和毛(にこげ)を膨らませた猫柳。
日曜日、病院からの帰り、少し足を延ばした。
風は冷たいけれど、光が溢れていた。
燦々と降りそそぐ陽射しは、春を感じさせる。
一足早い、光の春を。
ぐんぐんペダルを踏んで、郊外の里山へ。
傾いた太陽と競争するように、
何かをふっきるように、
風を切ってペダルを漕ぎ続けた。
辿り着いた小川の畔、
日溜まりの中、光が躍り、
春告げ花が蕾を膨らませていた。
清楚な雪割り一花(ゆきわりいちげ)と和毛(にこげ)を膨らませた猫柳。
光ボケがいい感じで すね。またレンズを
購入したらマクロ撮影もしてみます
私のブログは、間違いなく写真日記です。
どんな被写体を選択したにしても、写真は紛れもなく、その瞬間の「真を写す」記憶媒体です。
風景であろうと人物であろうと、その時のファインダー越しの対象は、撮影者の心象が合わせ鏡のように浮き上がってきます。
だから写真を発表することは、自分の裸を晒すような行為かもしれません(汗)
masaさんも心してブログに掲載してください(笑)
ガス抜きとしての写真日記、しばらく続けてみます。
・・・撮影者の心象が合わせ鏡のように・・・
私は写真に自分の「こころ」が流れているのが理想です。
最近、写真展での印象では「絵葉書」や「ブロマイド」のような作品が多いよう思っています。その場所に流れる空気も撮影者の「こころ」も見えません。・・・だけど、これは自分のマチガイかな・・・とも思っていました。
ランスケさんの「写真日記」で目が覚めました。
写真、絵画、文学に係わらず、何かを表現するということは、そこから多くの情報を読み取ることだと思います。
何かを語りかけない無表情な作品は、確かに退屈ですね。
私も一番大事にしているのは、その場の空気感です。
これを一瞬の内に見ぬき適格に表現できるのがプロフェショナルなのかもしれません。
見慣れた定番の風景は、誰にも了解できるので安心して向き合えますが、
その分、これも退屈ですね。
表情豊かで斬新な写真?
これは、相当に高いハードルです(笑)
まぁ、当分は退屈写真日記で御勘弁を。
今年の春告げ花は雪の中から顔を出していました
さくさくと音を立てながら歩く森の中でその姿に声をかけました「こんにちは」
facebookを始めて少し写風が変わったように思います
下手くそになったなあと思い返す事もしばしば・・・
確かに写真日記かもしれません、自分の足跡を残す意味での・・・・
表情豊かな斬新な写真、私も目指しましょう
美事なゆきわりいちげ・・・ランスケさんの写眞にはロマンがあふれている。
こんな場合、玉惚けを使うんですね。
それと暖かい感情がこもっている気もします。
私の場合は記録のみです。
自慢できませんが、行動日記みたいなものかな。
カメラなんか持ちたくもないという一週間を過ごし、
朝から窓越しに降りそそぐ陽射しが、少し背中を押したのだと思います。
カメラをザックに放り込んでも、まったく気持ちの動かないこともあります。
そんな時の写真は、何を撮っても表情に乏しいようです。
この日は、貪欲に光を求めていました。
冒頭の一枚が、私の気持ちを代弁しています。
「もっと光を~」
「春よ、来い」と日々願っています。
今年は雪山を早々に断念したので、現金なもので、もう寒いのは懲りごりです。
春先に咲く花は、陽が射さないと花を開かない、待ちわびた春を象徴するような向日性の種がいくつかあります。
空色を映したようなオオイヌノフグリや、このユキワリイチゲは、その代表的な花です。
どれも大好きな野辺に咲く愛らしい花たちです。
鬼城さんのアドヴァイスに従って、お天気の日には郊外を散歩するように心掛けているのですが、
なかなか気持ちが前向きになりませんでした。
今回は、久しぶりに清楚な花たちに気持ちが和みました。
こんな、「ささやかな善き時間」を大切にしてゆきたいと思っています。