「サラの鍵」を観ていて、これは「八日目の蝉」だと思った。
村上春樹の新刊「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」のページを繰る最中にも同じ思いに囚われた。
フラッシュバックのように否、シンクロニシティのように被さってくる「八日目の蝉」が気になって仕様がない。
2007年出版の角田光代のベストセラー小説を、今一度、読み返してみた。
最初に「八日目の蝉」と出会ったのは本ではなくNHKのテレビドラマだった。
ニュース番組の延長で何気なく見始めたドラマに完全に惹き込まれた。
特にドラマのエンディングに流れる城南海の「童神(わらびがみ)」(オリジナルの歌神、古謝美佐子、もうひとつ歌姫、夏川りみも)が鳥肌もの(汗)
2011年度日本アカデミー賞を独占した映画「八日目の蝉」も観た。
どれもよく出来ているのだが、今ひとつピンとこない部分がある。
やはり、これは角田光代によって書かれた原作が持っている物語の力なのだろう。
生後6ヶ月の乳児を誘拐して4年間の逃亡生活の中で育てた女と、
誘拐犯に育てられたという過去を持つ成長した少女の現在と過去の時間が交差するという形で物語は進行する。
逃亡中の女が警察に拘束され、女と4歳の少女が引き離される瞬間から、この物語は始まると言ってしまおう(笑)
サラは弟と再会した瞬間から。
多崎つくるは4人の親友から一方的に離別を告げられた瞬間から。
ある時点で心が死んでしまった人が、その後の長い時間をどう生きるか?
「痛みの風景」とあえて名付けた、今の世界を覆う痛切なファクターから、どうしても目が離せない。
そんな辛気くさいこと考えても、詮ないこと…
その通りなのだろう…
この物語がよく出来ているのは、感情移入してしまう?誘拐犯の女や少女ばかりでなく
被害者である実の母の空中分解してしまいそうな心情にまで踏み込んでいる。
やっと再会し抱きしめた娘が、恐怖のあまり失禁してしまう、
という場面に出くわしてしまった母親の心中は、想像するだに慄然とする。
それにしても、ここに登場する男たちは、そろいも揃ってロクデナシだ。
(テレビドラマにおける岸谷五朗演じる唯一の誠実な男は、原作にはいない)
文庫末尾の解説で池澤夏樹が記すように、
本来、生き物の世界では、繁殖の時以外、♂は不要な存在なのかもしれない。
結婚という制度は幸福の形ではなく、その社会が必要とした契約の形なのだろうか?
子供を産み育てるという究極の愛情の意味を、
♂である私には心情的に理解しても、生理という命の最もベーシックな部分では、決して知れ得ないのが哀しい…
祝福の光に包まれた小豆島。
八十八カ所巡り、島四国巡礼の島。
虫送りの無数の灯火が切ないくらい美しい…
「童神(わらびがみ)」をもう一度聴いてみよう。
八日目の蝉 (中公文庫) | |
角田 光代 | |
中央公論新社 |
素晴らしいツイート記事を発見。
痛快だ。
きっこさんに拍手を送ります。
きっこ @kikko_no_blog
「米国に押し付けられた恥ずかしいもの」とは
「憲法」でなく「日米地位協定」だろう。
「憲法」でなく「GE社製の欠陥原子炉」だろう。
「憲法」でなく「欠陥機オスプレイ」だろう。
「憲法」でなく「遺伝子組み換え食品」だろう。
安倍晋三はこれらをすべて米国に突き返してから「改憲」を口にしろ
私たちは戦後60年を経過しても、未だ沖縄という現実を解決できない。
戦後初めて、政権が民主党に代わり、状況が変わるかと期待したが、やっぱり駄目だった。
それは未だ日本という国がアメリカの従属国であるということの痛烈な現状認識であったはずだ。
それなのに、今の憲法は、アメリカの押しつけだから変えなければいけない?
笑わせないでほしい。
憲法が国と国民の契約ならば、そして領土問題を叫ぶならば、
沖縄という日本の国土を回復させてからにしてほしい。
それとも沖縄は、日本じゃないのか?
日本国憲法を、どのように変えても、日本がアメリカの従属国であるという現状が変わらない以上、
それはトラウマに囚われた保守政治家たちのヒステリックな自己撞着にしか過ぎないのだろう…
哀しい人たちです。
http://blog.tatsuru.com/2013/05/04_0814.php
彼の示唆するような結論に至るか?疑問がありますが、
アメリカの圧力が加われば、間違いなく憲法改正は腰砕けになるでしょうね(苦笑)
今は、それに希望を託すしかなさそうです。
ちょっと「八日目の蝉」から話題が逸れますが、
憲法記念日の今日という日に寄せて…
まず憲法が、国家という権力が勝手なことをしないように縛りをかけるために国民と国家の間で交わされた最も基本的な契約であることを認識してほしい。
「立憲主義」という先進国のほとんどが採用する民主主義の基本的な考え方を、
自民党の憲法改正草案は否定しようとしています。
96条と97条の改正と削除ということは、そういうことなのです。
日本国憲法の根幹は、国民主権と基本的人権の尊重(97条においては基本的人権は「永久の権利」と謳われている)と平和主義です。
その基本三原則を大幅に後退させ、国家という公益のためには制限されるというのが、
安倍晋三と改憲論者の主張です、
そのためにはハードルの高い96条を改正して、一般的な法律並の過半数の議決で
憲法改正を可能にしようとしています。
世論調査によると、最も憲法改正に積極的なのが、いざ戦争が始まっても動員されることから免れる
50代から60代の男性だといいます。
そして女性は全年代で、否定的です。
安倍内閣の支持率が60%を超える現状では、参院選後の憲法改正は間違いありません。
今、真剣に考えないと、本当に取り返しのつかないことになりそうですよ(汗)
厚生労働大臣の「女は生む機械」発言や幼児虐待事件多い時期で、それに対してテレビのコメンテータや
新聞は、なぜ母性があるのにそうゆことをするのかと、という母性前提での話をしている。
食べるものもなく、子供もどんどん死んでいくアフリカの貧しい地帯に、母性なんてないですよね。「自分が食べなくとも子供を生かさなければ」という意識なんて生まれてこないです。
そうゆうことに対して「あまりに無自覚にあまりに母性があることを前提に話すのってなんなの?」という怒りがありそれが小説を書くきっかけになったんですね。
と発言しています。
理不尽な仕打ちや、弱者いじめ、同じ民族の骨肉の争い、既得権で弱者から搾取する国家権力という暴力
神や権力を利用した支配。そこには、奪う側と、奪われ
る側の連鎖が、永遠に繰り返されてきました。
「痛みの風景」これこそが、世界を取り巻く現実。