本屋で手に取った瞬間、「これは買い」と思った。
もちろん湧き上がる積乱雲のインパクト!
写真家、垂水健吾と作家、池澤夏樹の強力タッグは
これで何度目だろう?
互いにオキナワに惹かれ住み着いた二人。
(現在、池澤夏樹は10年暮らしたオキナワを離れパリ近郊に移住)
この二人のオキナワを題材とした仕事、「やさしいオキナワ」PARCO出版も
のびやかな気持ちになれるフォトエッセイだ(書棚に収まっています)
「カデナ」は以前から気になる本だった。
書評でも概ね好意的に取り上げられ、池澤夏樹のオキナワは
食指の動く内容だ。
でも書評を見て、直ぐ本屋へ走ろうとは思わなかった。
私は小説家としての池澤夏樹よりも、随筆家、紀行文作家としての
池澤夏樹に惹かれる。
ブログ記事「戦争について少し考えてみよう」でも触れたように
イラク戦争時の池澤夏樹の真っ当な発言(それも唯一の)には安堵し、
この作家のニュートラルな視点に全幅の信頼を置くようになった。
写真家、星野道夫との交流と、その仕事を広く世界に認識させた
数々の文筆活動と講演活動。
ひたすら本を読み続ける「本の虫」であり、優れた書評家でもある。
(それが高じて書評集ばかりでなく世界文学全集まで編纂)
そして旅する作家は通過する旅ではなく、定住する旅を志向する。
ギリシャ、北海道、沖縄、フランス…ハワイにも暫く住んでいた。
「明るい旅情」「ハワイイ紀行」(ともに新潮文庫)は
お薦めの極上の旅の話だ。
池澤夏樹の実父は、作家「福永武彦」だ。
どうも二人の間には、一読者が窺い知れない葛藤があったようだ。
肉親との葛藤とは別の次元で、静謐なリリシズムを湛えた「忘却の河」「海市」等を描いた
福永武彦は、私にとって中学時代、思春期に耽溺した美しい世界だった。
以前、ブログ記事「雨の日に本のページをめくる」で予告したように
池澤夏樹については沢山の想いが溢れているので独立したブログ記事を書きたかった。
本書「カデナ」を読了した機会に、その溢れる想いを書き連ねてみました。
肝心の本の紹介が末尾のささやかな数行に追いやられてしまい恐縮です(苦笑)
「カデナ」は、もちろん基地の町「嘉手納」だ。
ベトナム戦争時、まだアメリカ世(アメリカユー)だったオキナワ。
B52による北爆が続く戦場への玄関口だったオキナワ。
Knokin′on heaven's door 天国への扉はいつも叩かれていた。
そこに暮らすフィリピン系アメリカ軍人のフリーダ、
サイパン移民終戦時の戦場の記憶に支配される嘉手苅朝栄。
朝栄の甥であり、基地の街で生計を立てるロックバンドのドラマー、タカ。
そして朝栄のサイパン移民時の知人でありベトナム系の安南。
この4人が期せずして連携してアメリカの戦争に叛乱を企てる。
中国、薩摩、アメリカ、日本と統治者に翻弄され続けるオキナワ。
そして折口信夫が訪れたマレビトの地、精霊たちの息づくオキナワ。
池澤夏樹が惹かれ暮らしたオキナワの楽園と戦場の背中合わせの悲劇が
それぞれの語り手の視点から描かれる。
終幕近くに用意された炎上する基地の光景に、現実感を失ってゆく近代戦の
希薄さから、一気に生々しいリアルを取り戻す瞬間に戦慄。
第一次世界大戦時、戦場に駆り出された人々は
戦場で人を殺めることに強い拒否反応を示したという。
第2次世界大戦以降、軍隊はこの本能的な忌避の感情を抑え込む
数々の試みを実行した。
湾岸戦争時におけるコンピュータのシュミレーション画像のような
現実感を失った戦争を私たちは目の当たりにするようになった。
それでも、直接的に手を下さない戦場においても兵士たちの心は強い抑圧に晒される。
帰還兵のPTSDは、いつまでたっても癒されない。
戦争は、ゲームやナショナリスト(民族主義者)の主張する正当化された歴史観とは遠く乖離している。
本来、人は人を殺めることに強い拒否反応を示し忌避してきた。
その本能を抑圧し心を破壊する戦争を決して、美化したり正当化してはならない。
ブログ記事「戦争について少し考えてみよう」と同じ想いに至った
本書「カデナ」の読後感でした。
もちろん湧き上がる積乱雲のインパクト!
写真家、垂水健吾と作家、池澤夏樹の強力タッグは
これで何度目だろう?
互いにオキナワに惹かれ住み着いた二人。
(現在、池澤夏樹は10年暮らしたオキナワを離れパリ近郊に移住)
この二人のオキナワを題材とした仕事、「やさしいオキナワ」PARCO出版も
のびやかな気持ちになれるフォトエッセイだ(書棚に収まっています)
「カデナ」は以前から気になる本だった。
書評でも概ね好意的に取り上げられ、池澤夏樹のオキナワは
食指の動く内容だ。
でも書評を見て、直ぐ本屋へ走ろうとは思わなかった。
私は小説家としての池澤夏樹よりも、随筆家、紀行文作家としての
池澤夏樹に惹かれる。
ブログ記事「戦争について少し考えてみよう」でも触れたように
イラク戦争時の池澤夏樹の真っ当な発言(それも唯一の)には安堵し、
この作家のニュートラルな視点に全幅の信頼を置くようになった。
写真家、星野道夫との交流と、その仕事を広く世界に認識させた
数々の文筆活動と講演活動。
ひたすら本を読み続ける「本の虫」であり、優れた書評家でもある。
(それが高じて書評集ばかりでなく世界文学全集まで編纂)
そして旅する作家は通過する旅ではなく、定住する旅を志向する。
ギリシャ、北海道、沖縄、フランス…ハワイにも暫く住んでいた。
「明るい旅情」「ハワイイ紀行」(ともに新潮文庫)は
お薦めの極上の旅の話だ。
池澤夏樹の実父は、作家「福永武彦」だ。
どうも二人の間には、一読者が窺い知れない葛藤があったようだ。
肉親との葛藤とは別の次元で、静謐なリリシズムを湛えた「忘却の河」「海市」等を描いた
福永武彦は、私にとって中学時代、思春期に耽溺した美しい世界だった。
以前、ブログ記事「雨の日に本のページをめくる」で予告したように
池澤夏樹については沢山の想いが溢れているので独立したブログ記事を書きたかった。
本書「カデナ」を読了した機会に、その溢れる想いを書き連ねてみました。
肝心の本の紹介が末尾のささやかな数行に追いやられてしまい恐縮です(苦笑)
「カデナ」は、もちろん基地の町「嘉手納」だ。
ベトナム戦争時、まだアメリカ世(アメリカユー)だったオキナワ。
B52による北爆が続く戦場への玄関口だったオキナワ。
Knokin′on heaven's door 天国への扉はいつも叩かれていた。
そこに暮らすフィリピン系アメリカ軍人のフリーダ、
サイパン移民終戦時の戦場の記憶に支配される嘉手苅朝栄。
朝栄の甥であり、基地の街で生計を立てるロックバンドのドラマー、タカ。
そして朝栄のサイパン移民時の知人でありベトナム系の安南。
この4人が期せずして連携してアメリカの戦争に叛乱を企てる。
中国、薩摩、アメリカ、日本と統治者に翻弄され続けるオキナワ。
そして折口信夫が訪れたマレビトの地、精霊たちの息づくオキナワ。
池澤夏樹が惹かれ暮らしたオキナワの楽園と戦場の背中合わせの悲劇が
それぞれの語り手の視点から描かれる。
終幕近くに用意された炎上する基地の光景に、現実感を失ってゆく近代戦の
希薄さから、一気に生々しいリアルを取り戻す瞬間に戦慄。
第一次世界大戦時、戦場に駆り出された人々は
戦場で人を殺めることに強い拒否反応を示したという。
第2次世界大戦以降、軍隊はこの本能的な忌避の感情を抑え込む
数々の試みを実行した。
湾岸戦争時におけるコンピュータのシュミレーション画像のような
現実感を失った戦争を私たちは目の当たりにするようになった。
それでも、直接的に手を下さない戦場においても兵士たちの心は強い抑圧に晒される。
帰還兵のPTSDは、いつまでたっても癒されない。
戦争は、ゲームやナショナリスト(民族主義者)の主張する正当化された歴史観とは遠く乖離している。
本来、人は人を殺めることに強い拒否反応を示し忌避してきた。
その本能を抑圧し心を破壊する戦争を決して、美化したり正当化してはならない。
ブログ記事「戦争について少し考えてみよう」と同じ想いに至った
本書「カデナ」の読後感でした。
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池澤 夏樹 | |
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