Landscape diary ランスケ・ ダイアリー

ランドスケープ ・ダイアリー。
山の風景、野の風景、街の風景そして心象風景…
視線の先にあるの風景の記憶を綴ります。

嚥下できない

2010-08-22 | 家族
 母の口からの食事摂取機能が停止して二週間近く経過した。
 現在は点滴と酸素吸入だけで生命を保っている。

 入院当初は食欲も旺盛で、病院食とは別に好物だった
 甘夏のゼリーも食後にペロリたいらげていた。

 以前から歯科で造った義歯の噛み合わせが悪く、柔らかい食材しか
 口にできない状態ではあった。
 それで病院食はペースト状のものをお願いした。
 そして徐々に固形に近い状態へと戻し、口の運動機能を回復させる予定だった。

 それが8月上旬あたりから食事を残すようになってきた。
 空調のきいた病棟内でも、うなぎ上りの外気温の影響があったのだろうか?
 食事量は目に見えて減少し、一口三口ていどしか口にしなくなった。

 8/5くらいだったろうか病室内に入り、母の口周りを綺麗にしてあげていると
 口腔内(特に舌裏に)たくさんの残滓が溜まっているのを発見。
 舌ブラシを使い口腔掃除を始めるが、
 取ってもとっても終わらない、その量に唖然。
 看護師さんを呼んで口腔ケアをしてもらい食事の停止をお願いする。
 この頃から嚥下機能が極端に低下。
 高栄養価の点滴が始まる。

 夏風邪と診断されていた体温の高さと血圧の高さが、ずっと続く。
 それでも、まだ短い会話は可能だった。

 施餓鬼供養の後二日ばかり忙しさにかまけて病室を訪れなかった。
 8/20、病室を訪れびっくり。
 頬がこけ、骸骨のような母の姿に目頭が熱くなる…
 辛うじて私を認識するが朦朧とした視線を漂わせるばかり。
 プリントアウトした富澤町の路地の写真にも
 「母さん、浜野おばさんと過ごした、あの場所だよ」耳元で囁いても
 わずかに瞼を開き虚ろな視線をとどめるばかり…
 もう私の問いかけにも応えは返ってこない。

 回診にきた担当医に「先生、母の嚥下機能は快復の可能性があるのですか?」
 と質しても「腸に管を通す方法もあります」と明快な回答を避け延命治療を提案。
 皮肉なことに左肘の骨折の治療経過は順調なのに、
 老衰による身体機能低下が骨折の治癒を上回る勢いで
 母の余命を奪ってゆく…

 もう覚悟をしなければならない。
 口からの食事摂取機能が閉ざされた時点で母のカウントダウンが始まっている。
 母さん…この現実を受け入れることは、あまりにも辛すぎる…
 あなたを見守る時間は、後どのくらい残されているのだろう?
 あなたの笑顔をみることは二度とないのだろうか?
 母さん、ほんの少しで良い…私の問いかけに応えてくれ‥…

■掲載した画像は3年前の春、四国八十八箇所八坂寺近くにて撮影。
 まだ父母ともに元気で散歩がてらの吟行。
 二人にとって、この周辺の里山風景はお気に入りの散歩コースだった。
 母81歳、充分自力歩行が可能で(父以上に健脚)
 四季の移り変わりにも敏感に反応していた…
 80代とは思いえないくらい若くて、まだ美しかった母の姿…
 もう二度と、あの日には還れないのか…わずか3年の月日なのに…
 




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