Landscape diary ランスケ・ ダイアリー

ランドスケープ ・ダイアリー。
山の風景、野の風景、街の風景そして心象風景…
視線の先にあるの風景の記憶を綴ります。

消えない罪障感について ■ 櫻の樹の下には瓦礫が埋まっている / 村上龍

2012-06-21 | 

 

昨日、本屋でいつものように目についた本を手当たり次第に読み散らしてゆく過程で、この文章と出会った。

 

≫3・11とそのあとの原発事故は、わたしたちに精神的なダメージを与えた。

誰もが、被災地以外の人たちも、原罪意識のようなものを抱くようになった。

あまりに被害が大きかったので、日本人全体が何か悪いことをしてきて罰を与えら れたかのように感じたのだ。

その原罪意識は、人間だったらごく自然に抱くもので、決して間違っていない。

多くのボランティアが被災地で活動したが、「何か支援したい」という思いには、 その原罪意識も関係していたのだと思う。≪

(村上龍「櫻の樹 の下には瓦礫が埋まっている」より)

 

この文章に出会って「あぁ、やっぱり。」と合点した。

いつまで経っても、しっくり来ない借り物の靴を履いているような違和感が、やっと氷解した。

先頃紹介した吉田秀和の残した言葉や村上春樹のカタルーニャ賞スピーチも、この原罪意識から発せられたのだろう。

ただ、この「原罪意識」には宗教的意味合いが強いので、

もっと人間が本来持っている利他的な感情。

ヒトとして進化する過程で意識の深いところに刻み込んだ、災厄に見舞われ悲嘆にくれる他者に対して手を差し伸べようという意識と

もうひとつ負の感情としてのうしろめたさ。

それを言葉で表すのは難しい。

決して適切ではないが「罪障感」と便宜的に言っておきましょう。

 

いつまでも消えないこの感情を持て余し、自分自身が袋小路へ追い込まれてゆくような焦燥感さえ抱いていた。

でも、この罪障感は間違っていなかったのだ。

私たちはこの感情に対して、いつも中途半端なところで置き去りにしてきた。

「面倒なことは先送りする」という例の常套手段で。

そのツケが、現在の二進(ニッチ)も三進(サッチ)も行かない世界の現状を創り上げたのでしょう?

 

時間をかけてもう一度、真摯にこの感情と向き合いたいものだ。

 

櫻の樹の下には瓦礫が埋まっている。
村上 龍
ベストセラーズ

 

 

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2 コメント

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犠牲を強いているという、うしろめたさ (ランスケ)
2012-06-22 07:21:54
おはようございます。
久しぶりに訪問者数が200を超え(吉田秀和の記事以来)
皆さんが、決してこの問題から目を背けているわけではないのだということが分かり、ほっとしました。

この福島(および被災地)に対する原罪意識というか罪障感と同質のものを
私たちは沖縄に対しても抱いています。
沖縄を犠牲にして戦後の繁栄と安定を享受してきたという、うしろめたさは、私たちの意識から決して消えません。
また、それを忘れてはならないと思っています。

放射能を拡散してはならないと、瓦礫の受け入れに対する拒否反応が根強いようですが、
これも、やっぱり現地の負担を軽減すべきだと思う。
同様に原発が稼働する限り増え続ける使用済み核燃料の問題も。
再稼働に対して積極的に圧力をかける企業や銀行そして団体には応分に核のゴミも受け入れてもらうべきだ。
彼らはリスクに目を背けて自分たちの利益が損なわれることばかり言い募る。

日本には永久に核のゴミを封じ込めるような硬くて安定した岩盤などないのですよ。
再処理は完全に破綻しているし、燃料であるウランが非常に限られた資源だということを忘れないで。


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言いたいことは、まだあるぞ(笑) (ランスケ)
2012-06-22 13:34:05
新しい記事にするほどでもないので、コメント欄に書かせてもらいます。

まず内田樹のブログより、これは胸のすく内容だったので、そのまま貼り付けます。是非御覧ください。
http://blog.tatsuru.com/2012/06/11_1431.php

もう一つは、東電の事故調査報告書です。
これが事故を起こした当事者の事故原因に対する最終的な結論かと思うとゾッとします。

「事故は想定外の天災であり、当社の技術的および制御おける対応の問題ではない。
事故当時の官邸による過剰な介入が問題を大きくした」という結論に至った。

今朝の朝日新聞の社説より。
「報告書が示しているのは、事故の真相でなく、東電という会社の体質である。
事故の詳細や責任の所在などを後世に残すという歴史的使命に向き合うよりも会社を守ることを優先させる実相だ。
原発はこういう会社が運転していたという事実を改めて肝に銘じておこう」

追記。

原子力立法についての書き込みは憶測と予断が先行した内容なので削除しました。失礼しました。
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