雨上がりの森の、気胞に沁みるいるような清浄感を胸いっぱい吸い込んだ。
乳白色の霧に滲む淡く萌える若葉の樹冠。
恵みの雨が森を潤す…降り続けた雨水を集め渓は、白い紗幕のように泡立ち、川面に水蒸気を発生させる。
森はいっそう水の粒子に覆われ、水底を漂うようなガラス越しの雨だれの情景を幻視させる。
そして森は一雨ごとに、湿潤な微生物の揺り籠(環境フローラ)としての環境を整えてゆく。
ほぼ半年振りの撮影行だ。
弟が母を看てくれるようになったので、日帰りなら可能になった。
でも母に「山へ行っても好いか?」と訊ねると
「ダメ」という答えしか返って来ない。
仕方がないので朝食を一緒に食べてから、
あらかじめ頼んでおいた弟に母を託し「仕事へ行く」と云って家を出た。
なんだか、コソコソ悪いことをしているような気分…
う~ん、やっぱり母を騙してるわけだし後味が悪い。
撮影再開のきっかけは何だっただろう?
5月下旬になってブナの新緑が始まったことと、この梅雨の走りのような雨模様の
天候が気持ちを落ち着かなくさせていることは間違いない。
そして、やっぱり淡く萌ゆるブナの若葉が雨に滲む光景を思い浮かべると、
心ここに在らず…といっそう気持ちを浮つかせ落ち着かない気分にさせる。
梨木香歩の「沼地のある森を抜けて」の再読(後日またブログで紹介します)
と高知のmisaさんからの「伊吹山周辺のブナが芽吹き始めた」というメールも
決断を後押しした。
山越えの皿ヶ嶺は真っ白な霧に覆われた。
数メートル先が判らない濃い霧にすっぽり包まれ、手探りの走行だった。
特に上林トンネルは、間隔の長い照明灯の間の白い闇が不気味で怖かった(汗)
トンネルを抜けて久万側に出ると、霧が晴れて視界が開けてゆく。
前回のアケボノドライブ(母の日の)の時も感じたのだが、
あの新設された観光スポットの看板設置は何だろう?
どうして日本中に「過剰な看板」と「過剰な風景」が溢れているのだろう?
山頂の山名表示も含めて、私には全てゴミにしか見えない。
百名山サミッターたちの看板の前でのピースサイン(雄大な風景の只中にいるのに)
あんたは看板コレクターか?と問いたくなる。
あの惨憺たる爪跡を残した伊吹山周辺のブナ林が淡い芽吹きを始めている。
折れて落ちた枝からも若葉が萌え始めているので、まだ楽観は出来ないが、
厳しい自然の只中で生き続ける樹々(生命)は逞しい。
あらかじめ遺伝子情報の一部を欠損したノックアウトマウスから生まれた赤ちゃんマウスが、
その失われた遺伝子配列を回復させるように、ダイナミックな動的平衡が、
私たちの生命活動には備わっているようだ(福岡伸一「生物と無生物のあいだ」より)
雨上がりの陽光に輝く巨樹たちを見上げて、そんな想いを強くした。
乳白色の霧に滲む淡く萌える若葉の樹冠。
恵みの雨が森を潤す…降り続けた雨水を集め渓は、白い紗幕のように泡立ち、川面に水蒸気を発生させる。
森はいっそう水の粒子に覆われ、水底を漂うようなガラス越しの雨だれの情景を幻視させる。
そして森は一雨ごとに、湿潤な微生物の揺り籠(環境フローラ)としての環境を整えてゆく。
ほぼ半年振りの撮影行だ。
弟が母を看てくれるようになったので、日帰りなら可能になった。
でも母に「山へ行っても好いか?」と訊ねると
「ダメ」という答えしか返って来ない。
仕方がないので朝食を一緒に食べてから、
あらかじめ頼んでおいた弟に母を託し「仕事へ行く」と云って家を出た。
なんだか、コソコソ悪いことをしているような気分…
う~ん、やっぱり母を騙してるわけだし後味が悪い。
撮影再開のきっかけは何だっただろう?
5月下旬になってブナの新緑が始まったことと、この梅雨の走りのような雨模様の
天候が気持ちを落ち着かなくさせていることは間違いない。
そして、やっぱり淡く萌ゆるブナの若葉が雨に滲む光景を思い浮かべると、
心ここに在らず…といっそう気持ちを浮つかせ落ち着かない気分にさせる。
梨木香歩の「沼地のある森を抜けて」の再読(後日またブログで紹介します)
と高知のmisaさんからの「伊吹山周辺のブナが芽吹き始めた」というメールも
決断を後押しした。
山越えの皿ヶ嶺は真っ白な霧に覆われた。
数メートル先が判らない濃い霧にすっぽり包まれ、手探りの走行だった。
特に上林トンネルは、間隔の長い照明灯の間の白い闇が不気味で怖かった(汗)
トンネルを抜けて久万側に出ると、霧が晴れて視界が開けてゆく。
前回のアケボノドライブ(母の日の)の時も感じたのだが、
あの新設された観光スポットの看板設置は何だろう?
どうして日本中に「過剰な看板」と「過剰な風景」が溢れているのだろう?
山頂の山名表示も含めて、私には全てゴミにしか見えない。
百名山サミッターたちの看板の前でのピースサイン(雄大な風景の只中にいるのに)
あんたは看板コレクターか?と問いたくなる。
あの惨憺たる爪跡を残した伊吹山周辺のブナ林が淡い芽吹きを始めている。
折れて落ちた枝からも若葉が萌え始めているので、まだ楽観は出来ないが、
厳しい自然の只中で生き続ける樹々(生命)は逞しい。
あらかじめ遺伝子情報の一部を欠損したノックアウトマウスから生まれた赤ちゃんマウスが、
その失われた遺伝子配列を回復させるように、ダイナミックな動的平衡が、
私たちの生命活動には備わっているようだ(福岡伸一「生物と無生物のあいだ」より)
雨上がりの陽光に輝く巨樹たちを見上げて、そんな想いを強くした。
久しぶりに山に入られて 素晴らしいブナの新緑に出会えて良かったですね。
私も 12日に岩黒山・伊吹山・瓶ケ森に登りました~。
そして 伊吹山の素晴らしいブナたちを見て 芽吹きを見たいと思ってましたが 仕事の都合で 上手くその時期に行くことはできません。
ランスケさんの写真を見ながら 目をつぶって
思い浮かべながら 感慨深く感じております。
明日は 知り合いを案内して 石鎚山へ登ってきます。墓場尾根のアケボノツtジは終わっているでしょうね?今年は お花の開花が遅かったと寒暖の差ががあったりしたので ちょっとだけ期待しています。
何よりも ランスケさんが 山に行かれて 自然の中で過ごされたことが一番嬉しいです。
又 行けるといいですね。弟さんに感謝・感謝ですね。
追・・山荘しらさ手前の伊吹山の斜面のブナの
残骸とでもいいますか~無残な姿をむき出しにしていました。
ねじり折れたようなブナを見たとき 自分の
腕をもがれたように思えて 涙が出ました。
自然は美しい・素晴らしい・・けど 厳しいものですね。
もっと復帰までは時間がかかると諦めていましたが、
父の死以来、親孝行に目覚めた弟のおかげです(笑)
半年振りの森は、もう五感が奔放に解き放たれ
心身ともに半年分の重しが取れて身軽になった気分です。
今年のアケボノは過去10年間で、最も遅いですね。
昨年も4月下旬の寒波で諦めかけていると、
その後、夏を思わせる暑い日が続き、
一気に爆発的な開花を迎えたのを思い出します。
でも今年は、ずっと不順な天候が続き開花が記録的に遅れていますね。
おそらく墓場尾根のアケボノも、まだ大丈夫でしょう。
でも今年アケボノはどこも不作なようなので期待は出来ませんよ。