梨木香歩「沼地のある森を抜けて」(新潮文庫)の再読。
一度単行本で買った本を、文庫化されるとまた買ってしまうことがある。
よくあるのが心に残った本を、お気に入りの作家が末尾で解説文を書いている場合。
例えば沢木耕太郎の「凍」を池澤夏樹が解説とか、
いしいしんじの「ポーの話」を堀江敏幸が解説とか…
普通の感覚なら解説文だけ読めば済む事なのに、なぜか買ってしまう?
ファン心理というか…「あぁ、やっぱり同じように惹かれあうんだ」という錯覚(笑)
「沼地のある森を抜けて」も解説が翻訳家の鴻巣友季子。
朝日新聞の読書欄では川上弘美がぬけた後、最もシンパシーを感じる評者。
それと同じくらいのウェイトで、山へ持って行きたい本(何度も繰り返し読みたい本)
として携帯に便利な文庫を再購入することがある。
さて糠床(ぬかどこ)と酵母菌(微生物)の話である。
糠床から卵が出来(しゅったい)して卵から人が出現する。
もうこれだけで退いてしまう読者もいるだろう…
それに、こいつがフリオである。(フリオ・イグレシアスまたは僕とフリオで校庭に)
ここいらで脱落した読者はお気の毒様。
スローフードな糠床は、宮本輝の作品や小川糸「食堂かたつむり」にも登場する。
微生物の揺り籠「糠床」は、森や地球の雛形とも云えるミクロコスモスから
マクロコスモスをも包含する小宇宙。
物語と同時進行する「かつて風に靡く白銀の草原があったシマの話」という寓話が好い。
原初の暗黒の宇宙に誕生した細胞の絶対的な孤独から
生命を繋ぎ続ける生物種の意志(無性生殖、有性生殖に係わらず更新し続ける命の連鎖)
亜熱帯の故郷の島へと辿り着いた主人公たちが迎える
祝福の光に包まれた終章に溜め息。
微生物叢(ミクロフローラ)としての森を視野に入れ撮影を再開したい。
一度単行本で買った本を、文庫化されるとまた買ってしまうことがある。
よくあるのが心に残った本を、お気に入りの作家が末尾で解説文を書いている場合。
例えば沢木耕太郎の「凍」を池澤夏樹が解説とか、
いしいしんじの「ポーの話」を堀江敏幸が解説とか…
普通の感覚なら解説文だけ読めば済む事なのに、なぜか買ってしまう?
ファン心理というか…「あぁ、やっぱり同じように惹かれあうんだ」という錯覚(笑)
「沼地のある森を抜けて」も解説が翻訳家の鴻巣友季子。
朝日新聞の読書欄では川上弘美がぬけた後、最もシンパシーを感じる評者。
それと同じくらいのウェイトで、山へ持って行きたい本(何度も繰り返し読みたい本)
として携帯に便利な文庫を再購入することがある。
さて糠床(ぬかどこ)と酵母菌(微生物)の話である。
糠床から卵が出来(しゅったい)して卵から人が出現する。
もうこれだけで退いてしまう読者もいるだろう…
それに、こいつがフリオである。(フリオ・イグレシアスまたは僕とフリオで校庭に)
ここいらで脱落した読者はお気の毒様。
スローフードな糠床は、宮本輝の作品や小川糸「食堂かたつむり」にも登場する。
微生物の揺り籠「糠床」は、森や地球の雛形とも云えるミクロコスモスから
マクロコスモスをも包含する小宇宙。
物語と同時進行する「かつて風に靡く白銀の草原があったシマの話」という寓話が好い。
原初の暗黒の宇宙に誕生した細胞の絶対的な孤独から
生命を繋ぎ続ける生物種の意志(無性生殖、有性生殖に係わらず更新し続ける命の連鎖)
亜熱帯の故郷の島へと辿り着いた主人公たちが迎える
祝福の光に包まれた終章に溜め息。
微生物叢(ミクロフローラ)としての森を視野に入れ撮影を再開したい。
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