欝的な正当化というのがあるらしいです。
今すぐ行動を起こすべきなのに、そんことをやってもどうせ旨くいかない、そんことはやっても意味がないと、一生懸命に、今やらないことを正当化しようとしてその理由を並べ挙げる。
そして、やらないことが偉いことであるかのように心の中で述べ立てる。
そんな風に欝的に人生を送る人、私もその一人かもしれない。
そのくせに、そういう人はやらなかったことに拘り続けると言う。
こういう事情がなければやれたのに、その事情があったためにやれなかった。
なんて私は不幸なんだろうと。
事情があって99%不可能と判断したら、ハナから諦める。
しかし、逆の人もいる。
人生に対して能動的な人は、残り1%の可能性にかけて、出来うる限りの努力をしてみる。
どうしたらよいのか分からないままに、とにかく出来ることから行動を起こしてみる。
そして100%不可能と理解するまで手を尽くす。
そして潔く諦めて後悔しない。
運がよければ1%の可能性を実現させる。
年末に古書店で買った心理学の本にそんなことが書いてありました。
定価1100円の本が105円でした。
得をしたような気分です。
今すぐ行動を起こすべきなのに、そんことをやってもどうせ旨くいかない、そんことはやっても意味がないと、一生懸命に、今やらないことを正当化しようとしてその理由を並べ挙げる。
そして、やらないことが偉いことであるかのように心の中で述べ立てる。
そんな風に欝的に人生を送る人、私もその一人かもしれない。
そのくせに、そういう人はやらなかったことに拘り続けると言う。
こういう事情がなければやれたのに、その事情があったためにやれなかった。
なんて私は不幸なんだろうと。
事情があって99%不可能と判断したら、ハナから諦める。
しかし、逆の人もいる。
人生に対して能動的な人は、残り1%の可能性にかけて、出来うる限りの努力をしてみる。
どうしたらよいのか分からないままに、とにかく出来ることから行動を起こしてみる。
そして100%不可能と理解するまで手を尽くす。
そして潔く諦めて後悔しない。
運がよければ1%の可能性を実現させる。
年末に古書店で買った心理学の本にそんなことが書いてありました。
定価1100円の本が105円でした。
得をしたような気分です。