思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

ルビー婚式

2008年09月23日 | Weblog
9月15日は結婚40周年の記念日でした。

先日広島に行ったとき、息子が牡蠣料理をおごってくれました。
料亭は波に少し揺れる船でした。
その時に
「結婚40周年おめでとう」とプレゼントをくれました。
ボケないようにという意味でしょうか、ニンテンドーのゲーム機をくれました。

今年が結婚40周年とは気づいていませんでしたが、女房は頷いていましたから間違いないでしょう。
「銀婚式は25年、金婚式は50年、40年目は何でしょう」と言いながら今日まで調べておりませんでした。

結婚40周年は「ルビー婚式」と言うそうで、知りませんでした。
ああ、そんなのもあるんだ、と言う程度しょうか。

罰当たり

2008年09月23日 | Weblog
私は「罰当たり」人間です。
ここ15年ほどは先祖の墓参りもしておりません。
と言うよりも墓参りなんてのは「仕方なくお付き合いする」と言う感じで感謝の気持ちとか敬虔な気持ちとかは微塵もなかった。
神社仏閣を訪れても滅多に手を合わせることはありません。そもそも観光以外に神社仏閣を信仰心から訪れたことはありません。

元旦の初詣も女房が「あんたが行かないんなら一人で行くから」と嫌味を言うので付き合いますが、手を合わせるのは形だけ、願い事などはひとかけらも思い浮かびません。

靖国神社は何度か観光で行きましたが、英霊に哀悼と感謝の誠の気持ちなんぞは持ち合わせません。
一度靖国神社で年老いたご婦人に話しかけられたことがあります。
「ご家族の方が祭られているのですか」と言うような意味のことでした。
哀しげに見えたのかも知れません。
自分の「罰当たり」の気持ちが恥ずかしくなるような高貴な感じの御婦人でした。

日本の宗教は「ご先祖様に感謝」の心を強調するようです。
確かに自分が今あるのはご先祖様があってのことですが、それに感謝せよと言われてもそう簡単には行かない。
今あることを喜んでいるとは限らない。

私を形成している細胞群はあまり生き生きとしてはいない。
不活性の感度の鈍い細胞群だ。
この時代を生きていたのかどうかすら分からないままに消滅していくような細胞群だ。