思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

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2006年12月08日 | Weblog
このブログには「トラックバック」という機能がある。
私は使ったことがない。
最近頻繁にトラックバックしてくる。

 「美香と付き合う気があるんですか」
 「コメントありがとうございます」

とか知ってるはずのない名前で入ってくる。
開いてみると、迷惑メールの類のエッチな画像が飛びこんできたり、男性会員求むみたいな勧誘ブログだったり。
それもなんかの金銭的な利得に結びついてるのだろうか。
エッチな画像は一通り目を通して削除する。
男だもんね。

客集め

2006年12月08日 | Weblog
演劇サークル(一応劇団)の公演が迫ってきた。
観客集めも仕事のうちと出来るだけ多くの観客を集める活動をするよう言われている。
私は知り合いも少ないし「観に来てください」と言うほどの自信もないが、チケットは渡した何人かの人はいる。
英会話のクラスは2箇所参加しているが、今日のクラスではそんな話をしていない。

今日隣に座ったお喋りの元気おばちゃんに
「演劇なんか興味ありますか、暇だったら観に来てください」
とチラシを渡した。
「げ~っ、演劇やってんの、俳優さん?」
「Yes,I am an actor」
皆が、なになにっと寄ってくる。

講師のおっちゃんまで寄ってきて、
「それビデオに録るんでしょ、後でそのビデオ皆に紹介してもらえませんか」
という。

私は自分の演技をビデオでみる気にはなれない。
素人劇団だし、多分セリフを忘れて詰まっているところまで映し出されるだろうから願い下げだ。

明日は本番並みの舞台装置と衣装での通し練習がある。
今回が3回目の公演になる。

親友やねん

2006年12月08日 | Weblog
今日、英会話での帰りに、開講時に「オペラ歌手です」と自己紹介した女性が話しかけてきた。

「この前の1万人の第9、どうやった。歌ったんでしょ、感動した?。今度の日曜日には市の第9でも歌うんでしたよね」
「はあ、でもオペラ歌手の声量って凄いですね。大阪城ホールのあんな広いところでもソロでマイクも使わずに響きわたりますもんね」
「今度の市の第9で歌うソリストの古貫君、私の親友やねん」
「はあ、私はまだソリストのことは知りません、一度も一緒に練習はしてませんし」
ついと書架に並んでいる市の第9の演奏会のチラシの写真を示して
「このこや、古貫君は二期会に所属してるしね、私は所属してないねん」
とそのチラシを渡してくれた。

私はそんなチラシが出来ていることさえ知らなかった。
二期会なんてのも何のことが分からない。
小貫君なんてのも知るわけがない。

親友やねんと自慢げに言うからには彼もそこそこの歌手なのかもしれない。
写真で見る限り若いいい男だ。
「私は二期会に所属してないから」
の意味は、所属していればあちこちお呼びがかかる、という意味かなと思う。
また所属するには一定の才能と金銭的な負担も必要なのかもしれない。

彼女は多分170センチをゆうに超す大柄女性、確か来年結婚するといっていた。
一度彼女の歌声を生で聞いてみたいものだと思う。

本気で思う

2006年12月08日 | Weblog
「夢はかなう」という言葉がありますが、今日のテレビの朝ドラでの台詞が耳に残る。
小説家をあきらめて写真屋になろうとする少年と、小説家になろうと決心している少女の会話。

「小説家じゃ飯食われへん、写真屋として技術を勉強するほうが現実的や、お前は小説家目指してるんやろ」
「なに、バカにしてるんか」
「いや、この時点で俺の負けや、本気で望まんものは叶うわけあれへん」

そんな意味の会話です。多少台詞が違っているかもしれませんが。

そう、本気でみる夢(望み)は叶うと私も信じています。
人間の能力には限りがあります。
10のことに全力を注ぐよりも、ひとつのことに全力を注ぐことにより、努力が成果に結びつく確率が高くなるわけです。
傑出した成果にたどり着いたとき一流のプロになれるわけです。
仮に才能に恵まれず夢破れたとしても、その努力は何らかの形で報われる気がします。
無残に夢敗れても努力したその過程は後の人生に何らかの貢献をするはずです。

そんな風に考えて生きていこうと思う、まだ長い残りの人生。
何かを始めるに遅すぎることはない、という言葉もあるしな。

昔話と男と女

2006年12月07日 | Weblog
昔「アルサロ」というのがありました。
アルバイトサロンの略かもしれません、素人の女性がアルバイトで働く夜の社交場という意味かもしれません。
実際には素人の女性なんかおりません、皆この手の店を渡り歩いています。

学生時代にそこでしばらくバイトで働いたことがあります。
ドアボーイであったり、お盆を片手に酒の注文に応じるボーイさんであったり、バックヤードでオードブルの盛り付けをやったり、結構楽しかったです。

店が開く前に全員集合してマスターが点検します。
爪の手入れはちゃんと出来ているか、時事問題など最低の勉強をしているか、新聞は読んでるか、とか。
そんな教養を身につけている人はおりませんでしたが。
学生街なので大学の教授さんもたまに遊びに来ます。
そんなときも退屈させないために話題に上手に付き合う必要があるからといってました。

私にも個人的にマスターからお話がありました。
「君は学生だし将来ある身だから、あまり深入りせんように」
つまり店の女の子とややこしい関係になるなよ、ということでしょう。

男はこんな店で好き勝手なことを喋りまくって気分よく、女に持てた気分で帰ります。

水商売に携わる女性は訓練されていますから、男は上機嫌になれます。
そんな社会で生きてきた女性のほうが実際には男なるものを理解しています。
しかし、実社会ではそうは行きません。
男が本音で言いたい放題を言ったりすればたちまち顰蹙を買います。

恋とか不倫とか性が絡む問題は別です。
それは牡と雌という本能的な関係です。
しかし、それ以外のところでは男と女はやはり別個の集団で生きているような気がします。
長い歴史と文化とかがあって生きる世界が自然に分かれているような気がします。
夫婦の間でも長く一緒に暮らしても、男同士のようにツーカーでは通じません。
お互い理解しているつもりでも、とんでもないドンデン返しがあります。

女性の社会集団に男が一匹紛れ込むと、迷惑とは思われないまでもなんか異質なものが一匹いるぞという目で見られます。

女房が関係しているサークルにも紛れ込んでいる少数の男がいるみたいですが、やはり異質な生き物がいるといった感触で捕らえているような感じが伝わってきます。

やはり男社会と女社会の大きな壁があるように思えます。

ワンコールワーカー

2006年12月07日 | Weblog
今朝のテレビで「ワンコールワーカー」という言葉を聞いた。
文字通り日雇い派遣、派遣会社から携帯やメールで1日仕事を指示される。
30代の人達の間で急増しているそうだ。
パート労働と掛け持ちでやっている人も多いという。

いわば使い捨て労働で、その人達の月収は6万円から20万円だという。
毎日仕事があるわけではない。
派遣会社も年金保険料も福利厚生も必要の無い格安労働でピンハネして潤う。
その日暮らしのワーキングプア、働いても暮らしはどんどん苦しくなる。
技術も能力も身につかないから浮き上がる術もない。
やがてはホームレスになる。

30代の人達といえば、これから大量退職が始まる団塊の世代といわれる人達の子供たちだ。今のところは親の脛をかじって生きているのだろうか。
10年後20年後に何が待っているのだろう。

国の舵取りは間違っていないのだろうか。
民間企業を活性化して国際競争力を高めればそれが国民の幸せに結びつくと考えている。
しかし賃金は低く押さえつけられているし、国民の税金負担も増加している。
医療費も増加しているし、各種福祉も切り捨てられ国民負担は増加している。

一方大企業は空前の利益を上げて法人税も軽減される。

経済格差が増大し続ける。
「美しい国」になっていく予感は微塵もないような気がする。

くすぐる言葉

2006年12月06日 | Weblog
今日は劇団の稽古日。
素人ばかりの貧乏劇団だから本番の衣装も各自の自前が原則。
衣装持ちのおばさんもいるから、人の分までいろいろ持ってきてあげる人もいる。

私は本番は背広を着ることになっている。
今日は一応の衣装合わせ。
今日は10年以上前に購入したダブルの薄くストライプの入った濃紺の背広を着て行った。
ネクタイも久しぶり。

この劇団に背広を着ていくのは初めてだ、というか定年後は年に何度かしか背広なんて着てない。

いつも子供連れで参加している30代の女性が、時々私の耳元でコソッと声をかける。
私も憎からず思っている、美人だし、化粧もあまりしてないが若さと元気がにじみ出ているような女性。

今日も何気ない風で私の耳元で
「背広姿はじめてみたけど、格好いいじゃんっ」
とささやく。

それ以降私は元気が出ましたね。
彼女はこの手で亭主を物にしたのかもしれない。


犬も食わん

2006年12月05日 | Weblog
「犬も食わない」といえば夫婦喧嘩のことだ。
後で冷静になればいかにつまらないことが発端だったかが分かる。
先刻、その「犬も食わない」ほど味気ない諍いがありました。

ダンスのレツスンを終えて帰ってきたら、同じように歌のレッスンが終わって先に帰っていた女房が、私の顔を見るなり
「石油ストーブの灯油が空になってるから入れて」
とのたまう。
「なにっ、自分で入れればいいやないかっ」
というと
「灯油を入れるのはあなたの仕事だと決めたはずよっ」
「なにっ、それで俺が帰ってくるのを待ってたというのかっ」
「一度でも私がやればあなたは知らん振りしてずっと甘えるじゃないの、だから私はやらない」

これが発端、「むか~っ」
しかし、年を重ねるとなかなか爆発することはない。
「いれりゃいいんだろっ」
とさっさと入れる。

その後更に続く。
「あなたが買い物と洗濯を担当するか、そういう風に変更してもいいよ、お互い年なんだから、分担しないと」
と仕切りたがる。

「なにおっ、それじゃ俺も言いたいことを言わしてもらおうじゃねえか」
とは心の中で言って、ここは辛抱しておこう。
俺は成長したのかな。

ブログにはも少しマシなことを書きたいものだと思う。

武士の一分

2006年12月04日 | Weblog
昨日は大阪城ホールでの「1万人の第9」合唱に参加してきた。
参加は今年で3回目。
これも大分感動か薄れてきた。
というより感動の押し付けみたいで鼻についてきた。

帰りは梅田のホテルで食事して宿泊、女房いわく「2人だけで打ち上げ」だそうだ。
今日はホテルを出たそのついでに映画を見た。

「武士の一分」山田洋二監督、キムタク主演の話題の映画。
夫婦で見ると1人1000円とか言うことで女房がチケットの窓口で交渉していた。
「年齢を証明するもの何かお持ちですか」とか言われて、保険証カードを見せていた。
月曜日なのに結構混んでいた。
映画は前評判の割にはまあまあだ。
かといって観て損した気持ちにはならない。
やはり観てよかったという感じだ。

「夫の一分」なんてのもあるのかな、なんて思ったりする。

意外な一面

2006年12月02日 | Weblog
飲み屋で。
彼は店がそろそろ閉まる頃に入ってきた。
常連の一人だがここしばらく顔を合わせていなかった。
客は3人、もう一人はやはり常連、どこかでさんざん飲んできた様子で私の隣で酔いつぶれてカウンターに顔を伏せて眠ってしまった女性。

その彼はいつも道化役を演じて場を盛り上げる。
歌は僅かだが全部音程がずれていてそれも愛嬌。
定年まで後5年の管理職で、子供はいない。芸能好きの奥さんと2人で暮らしている。

話は親の子殺し、子の親殺し、更には死刑の是非に進んでいく。
彼はよく刑事裁判を傍聴に行くらしい。
人は、何故罪を犯すのか、そんなことに興味がある様子だ。
定年後はそんな関係の仕事に携わりたい、ともらしていたが、どんな仕事だ?

何故興味と関心を示すのか、何か事情がありそうな感じを受けたがそこまでは入り込めない。
死刑は許されるべきでないと主張する。

犯罪被害者の近親者は「犯人にも同じ苦しみを味合わせてやりたい」と極刑を望む気持ちも分かる。
一方、死刑を廃止している国も多い。
どんな極悪人といえども人が法律で命を奪うことに納得できないということだと思う。
法律の大義名分はあっても死刑はやはり殺人であり、報復の論理である。

私は賛成も反論も出来ない。

私自身に関して言えば、法律に頼らずに自らの手で隠密裏に報復を果たすかもしれない。

気が付いたら夜中の12時半だった。