思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

罰当たり

2008年09月23日 | Weblog
私は「罰当たり」人間です。
ここ15年ほどは先祖の墓参りもしておりません。
と言うよりも墓参りなんてのは「仕方なくお付き合いする」と言う感じで感謝の気持ちとか敬虔な気持ちとかは微塵もなかった。
神社仏閣を訪れても滅多に手を合わせることはありません。そもそも観光以外に神社仏閣を信仰心から訪れたことはありません。

元旦の初詣も女房が「あんたが行かないんなら一人で行くから」と嫌味を言うので付き合いますが、手を合わせるのは形だけ、願い事などはひとかけらも思い浮かびません。

靖国神社は何度か観光で行きましたが、英霊に哀悼と感謝の誠の気持ちなんぞは持ち合わせません。
一度靖国神社で年老いたご婦人に話しかけられたことがあります。
「ご家族の方が祭られているのですか」と言うような意味のことでした。
哀しげに見えたのかも知れません。
自分の「罰当たり」の気持ちが恥ずかしくなるような高貴な感じの御婦人でした。

日本の宗教は「ご先祖様に感謝」の心を強調するようです。
確かに自分が今あるのはご先祖様があってのことですが、それに感謝せよと言われてもそう簡単には行かない。
今あることを喜んでいるとは限らない。

私を形成している細胞群はあまり生き生きとしてはいない。
不活性の感度の鈍い細胞群だ。
この時代を生きていたのかどうかすら分からないままに消滅していくような細胞群だ。

劇団

2008年09月19日 | Weblog
劇団に新人が3人入会した。
3名とも50~60代の女性、男性の入会はない。
3名とも演劇活動の経験を持っている様子だ。

次回公演は来年の3月15日と決定している。
先日新しい脚本が出来上がってきた。
登場人物は8人、従って全員がキャストを得るわけにはいかない。

脚本のタイトルは「ドクロと拳銃」、バーのママさんととその常連客が絡む現代劇だ。
キャストの発表はまだない。

小旅行

2008年09月16日 | Weblog
1泊2日の小旅行。

石見銀山、世界遺産になってると言うことで混み合っていた。
バスを降りて2時間半ほど歩き回らねばならない。
こんなとこ、2度と来るかと思った。
佐渡の金山のほうが良かった。
佐渡は囚人をこき使って金を掘っていたことが災いして世界遺産に登録が出来なかったと言うことだ。

呉の大和ミュージアム、戦艦大和の10分の一の模型が飾ってある。
やっと見れた。
本物は全長260メートル、スゲエ巨艦だ。
いつかプラモデルの精巧模型を作るぞ。

江田島の旧海軍兵学校、今は自衛隊の訓練学校だ。
自衛隊の定年前のおじさんが敷地内を説明してくれた。
思ったほど大したことはない。

歩き回ったため足がガタガタだ。
遊びも体力がいる。
平生鍛えておかないと、大変な目にあう。


ひと房のバナナ

2008年09月12日 | Weblog
「バナナの叩き売り」は無事終わった。
その中に
「このひと房にバナナが何本あるか、1234567…、とうてい数え切れるものじゃない」
という啖呵がある。
どんなバナナを準備してくれるのか不安だった。
私が買うバナナはひと房に4,5本程度しかついていない1房100円程度のものだ。

しかし準備された現物を見て驚いた。
なんと1房に15本程度ついている。
そのバナナが10房、合計6000円也だそうだ。

終わったあとは「皆さんで食べてください」と置いてきた。
もともとはあんなにたくさんの房がついているのだと、改めて認識した。

私を支えてくれた歌

2008年09月10日 | Weblog
よく聞きます。
「あの当時苦しかった私を支えてくれたのがあの歌でした」
私にはそんな歌は1曲もありません。
そんな気持ちになったことすら無いような気がします。

それは自分の思い上がりで、実際には潜在意識化でそのようなことがあったのかもしれません。
しかし、あの歌が私を支えてくれたとかいう意識はまるでありません。

「あの年頃はあんな歌が流行った時代で、自分の青春とダブって懐かしい」
そんな感慨もさらさらありません。

これって私の不毛な人生を象徴しているような感じがしてなりません。

あ、1曲だけありました。
チョーヨンピルの「想いで迷子」、この曲は部下だった青年が一緒に上手にハモッてくれて何度も歌ってた頃が懐かしい思い出となっています。
彼は今東京です、おそらく今後再会することは無いと思います。

最近のこと

2008年09月09日 | Weblog
今、森進一の「それは恋」を練習している。
古い歌だが、ある芝居でバックコーラスのように流れていた歌が印象的だった。
練習したいが元歌が見つからない。
ママさんに頼んでおいた。
「○○さんなら持ってるかもしれないから聞いておいてよ」
数日後
「はいこれ、○○さんが持ってきてくれたよ」
なんとまあ、うれしいことか。

それと門倉有希の「カトレア」
これは女房がしょっちゅう聞いている。
うるさいなあ、と思いながら私も覚えてしまったので、時々歌っている。

そして明日は老人ホームの慰問の日だ。
わが劇団でお邪魔することになっている。
観客は総勢80名ほどと聞いている。
みんなまだ練習不足の感じがする。

出し物は、最初2人の司会者の漫才、その後、私の「バナナの叩き売り」、男勝り女性の「外郎売り」の口上、その後で「じゅげむ」の30分ほどの寸劇。
落語の「じゅげむ」を笑劇風に仕立て直したものだ。
この寸劇では私は一幕目に「おやま」に後半は男の子になる。
「はないちもんめ」を踊ったり、「じゅげむ体操」までやる。
「はないちもんめ」は生まれてから数十年たつが一度もやった記憶はない。
「じゅげむ体操」は結構頭を使う、簡単ではない、まだ覚えきっていない。

自分のボケ防止になるかも。

演出者は「自己改造へのチャレンジ」と理解してほしい、とか言ってる。
いろんな人間になれるのが演劇の面白いところかもしれない。
でも、あんまり自己をさらけ出すと、最後に「助べえ」が出てくるかもしれない。
根は「助べえ」だから。
ふっふっふ。

前立腺がん

2008年09月05日 | Weblog
古典講座の老講師が2ヶ月間休講することになった。
前立腺がんの手術をすることになったと言う。
いろんな方法がある中で超音波をあてて治療する方法をとるという。

この方法の欠点は超音波によって、大腸に穴が開いてしまう。
その腸の穴の開いた部分を切り取ってつなぎ合わせることになるらしい。

そんな話を詳しくしてくれた。
医学の進歩は素晴らしいと言うか恐ろしいと言うか、なかなか死なせてはもらえない。
あちこち切ったり貼ったりして延命する。

旧約聖書によるとモーゼは500年生きていた勘定になるらしいが、そんな時代が来るかもしれない。
若さを保ったまま年を重ねることが出来るなら歓迎だが、そうはいくまい。

名言

2008年09月02日 | Weblog
時々名言に出会うことがある。
今朝女房が
「どんな年とってんや、て言われるで」
と言った。

なるほど、私もその一人だが無駄に年を重ねたようなご老人に時々出会う。
人の振り見てわが振りを直さねば。
努力に遅すぎることはあるまいと思う。