銀河のサンマ

何でもあり

シーチキン

2019-10-30 | 吾子のおはなし

 

 

 

母が台所で叫んでいる。

うん!うん!意外と美味しいよー!ねぇっ!ねぇーっ!ブナーッ!シメジージー!!

私たちは即座に母のもとへ行き、亡くなった姉の好きなシーチキンの汁を舐める。

母はシーチキンが苦手だけどピコピコ姉の為、注文していたのだ。

 

先週15日にシーチキン注文。1週間後の昨日シーチキンが届いた。

あ、そっか。と母の独り言がはじまっていた。

注文して次の日にピコピコ姉は亡くなったのだ。

あ、そっか。とは日付を思いだし、事の全てを把握したのだろう。

それから母のシーチキンの缶を開ける音がした。

食べるつもりなの?!と私たちは隣の部屋で料理の音をきいていた。

それから母が叫び私たちを呼んだので台所へ急行したのだ。

母はシーチキン炒飯を複雑そうに食べている。

思いに耽ったり、苦手なので手をとめたり、隣にシーチキンの汁を器に入れている。

呼ばれたのはシーチキンの汁のまない?と同時に母が食べながら横に居て欲しいという合図だ。

ピコピコ姉はシーチキン汁は好きだったろうけど、私たちは2匹ですら飲みほそうと思わない。

これから残ったシーチキン缶で暫く母は苦戦するだろう。

その度、私たちも母の世話にかかりっきりになる。

因みに母は夜シーチキンパスタをつくっていた。

食べながら昨日ここで泣いたのと夕陽をみせてくれた。

 

 

私たちが来る前の写真。ピコピコ姉も母も若い。

ピコピコ姉の主食は生魚、鳥捕獲、蜥蜴、鼠、家守を完食したのちカリカリを食べるのが日課だったらしい。

母がアレコレ買ってきていたのだが「野性なので生が一番!」とピコピコ姉が譲らなかったらしい。

それを「野性の母に産んでもらって家でぬくぬく育ったら野性でないわよ!」とよく喧嘩していたという。

 2000年誕生。

 

  「獲れたて生鰯の大きくブツ切り」をと注文。

 

 

 食べ物と格闘後は直ぐ眠る。

 

 

  

 左:ピコピコと兄弟。右:生みの親

生みの親は数か月後逝去。

 

 

  生みの親に託され母になりたての母。

 

 

 

 

 

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十月桜

2019-10-30 | わたしごと

 

 

 

 

今年もココへきて貴方をみることができました。

こんにちは。と私挨拶をする。

十月の展覧会の搬入時はだいたい晴天が多い。

空に小さな白と淡いピンク。

十月桜は最近、四季桜と名前を変更されている。

いや、十月桜ってばー。と私は呟きながら毎度間近で観察する。

搬入を終える、桜をみる、この過程を熟すと一段落という大きな安心のため息がでる。

 

 

 

 

※一昨日撮影。

 平成8年に杉下久所の娘さんの御主人が愛知県から寄贈したもの。

 

 

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