夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

人は何の為に生きているのか?

2012年08月11日 06時29分15秒 | 日記
 神の栄光が顕される為に、である。断っておくが私はクリスチャンでも何でもない。キリスト教会にうんざりして出て来たものである。多分、仮に前世というものがあるとすれば、前世はルネッサンスの時代のヨーロッパのどこかの僧院にでも居ただろう。
 聖書を書かしめた神に、言い方を変えれば宇宙そのものに、或いは無限遠からあなたの細胞を構成する原子の隅々にまで充満している神の霊にあなた自身を放り投げる時に霧の晴れ間がある。つまり人は実際のところ自分の意思によって生きてはいない。
 神のみが”存在”し、人はその中の”ある意図によって起こされた揺らぎ”のようなものであろう。
 日本人は最早、日本の至る所にある神社の『正体』を忘れている、或いは誤解している。そうでありながらも先祖から受け継いだ祭礼、お参りは行っている。・・・汝、少しの力ありて我がことばを守り我が名を否まざりき・・・
 そのような民族が今は眼を覚ますべき時である。聖書は”枯れ果てた骨が再び組みなおされ肉付けされて生き返る”ことを予告している。生き返って”人たる存在の”、”その集団である国の”正しい在り方を示すべき時である。