エゼキエル書38章17節に言う、”・・・昔日わがしもべなるイスラエルの預言者らをもて語りしものは汝ならずや、・・・我汝を彼らに攻め来たらしめん・・・”
つまりマゴグのゴグとはイスラエル人に災いを仕掛けていた、見えないある存在である。それがイスラエルの周辺民族、エドム、モアブ、アンモン、ペリシテなどに憑依して様々な攻撃を仕掛けた。
神は預言者を通じてイスラエル人に”自分たちの神から離れてはならない、離れる時、『人間世界の論理に巻き込まれて』周辺民族に打ち負かされる”と警告し続けた。言い方を換えると、”宇宙の中心である絶対的な理念、或いは思念を人類世界に体現して見せる使命を忘れてはならない、忘れる時宇宙の法則があなたがたに対して効かなくなる”と言われていた。
39章2節に言う、”我汝を引き戻し汝を導き汝をして北の果てよりのぼりてイスラエルの山々にいたらしめ、汝の左の手より弓を打ち落とし右の手より矢を打ち落としむべし・・・”。
イスラエルと言う呼び名の起こりは創世紀32章に書いてある。その意味は”神は支配する”である。従ってイスラエルの地とは地図上のどこかを指しているのではなく”宇宙の神を自分たちの神と認め、それに従って生きている人々の居るところ”となる。
たかが町外れの一角でささやかな夏祭りをすると言っても律儀に祭壇を設け、そこにしつらえる笹と榊を結わえるにはテントを固定する梱包紐ではダメ、稲わらでなった荒縄でなければならない、などと言う、おそらく日本のほとんど全ての地域で同じことを言い、やっただろう、且つ、自分たちはその神が誰か知らない、ただ人間を超越した冒すべからざる存在としての認識によって毎年大汗かきながらやり続けている、そこ、おそらく世界で国全体、民族全体で”宇宙の神の支配を現実に認めていて、その認めていることを実際に示している”のは、日本だけだろう。
するとそこ、つまり日本が神の観点ではイスラエルの地となる。そこへある存在が昔と同じように周辺民族に風を吹かせて煽り、攻め寄せさせる。・・・ただし今回はイスラエル人に対しての戒めではなくて、多分全世界が”おまえたちは何の謂れあって彼らの財産を強奪する積もりか”と非難する真っ只中(エゼキエル38章15節)において不法を働かせ、それを斃すことによって宇宙に中心があることを全人類に実証して見せる、仕方で。
釈尊が悟られ、蓮の花を示すことによって暗示されたそのことを世界中が現実に見る、日は近いように見える。
つまりマゴグのゴグとはイスラエル人に災いを仕掛けていた、見えないある存在である。それがイスラエルの周辺民族、エドム、モアブ、アンモン、ペリシテなどに憑依して様々な攻撃を仕掛けた。
神は預言者を通じてイスラエル人に”自分たちの神から離れてはならない、離れる時、『人間世界の論理に巻き込まれて』周辺民族に打ち負かされる”と警告し続けた。言い方を換えると、”宇宙の中心である絶対的な理念、或いは思念を人類世界に体現して見せる使命を忘れてはならない、忘れる時宇宙の法則があなたがたに対して効かなくなる”と言われていた。
39章2節に言う、”我汝を引き戻し汝を導き汝をして北の果てよりのぼりてイスラエルの山々にいたらしめ、汝の左の手より弓を打ち落とし右の手より矢を打ち落としむべし・・・”。
イスラエルと言う呼び名の起こりは創世紀32章に書いてある。その意味は”神は支配する”である。従ってイスラエルの地とは地図上のどこかを指しているのではなく”宇宙の神を自分たちの神と認め、それに従って生きている人々の居るところ”となる。
たかが町外れの一角でささやかな夏祭りをすると言っても律儀に祭壇を設け、そこにしつらえる笹と榊を結わえるにはテントを固定する梱包紐ではダメ、稲わらでなった荒縄でなければならない、などと言う、おそらく日本のほとんど全ての地域で同じことを言い、やっただろう、且つ、自分たちはその神が誰か知らない、ただ人間を超越した冒すべからざる存在としての認識によって毎年大汗かきながらやり続けている、そこ、おそらく世界で国全体、民族全体で”宇宙の神の支配を現実に認めていて、その認めていることを実際に示している”のは、日本だけだろう。
するとそこ、つまり日本が神の観点ではイスラエルの地となる。そこへある存在が昔と同じように周辺民族に風を吹かせて煽り、攻め寄せさせる。・・・ただし今回はイスラエル人に対しての戒めではなくて、多分全世界が”おまえたちは何の謂れあって彼らの財産を強奪する積もりか”と非難する真っ只中(エゼキエル38章15節)において不法を働かせ、それを斃すことによって宇宙に中心があることを全人類に実証して見せる、仕方で。
釈尊が悟られ、蓮の花を示すことによって暗示されたそのことを世界中が現実に見る、日は近いように見える。