夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

拈華微笑

2012年08月20日 22時52分36秒 | 日記
”禅語に親しむ”と言うウェブサイトから無断拝借:-
 拈華微笑《ねんげみしょう》  (無門関)
 世尊、昔、霊山会上に在って、花を拈じて衆に示す。是の時、衆皆な黙然たり。惟(ただ)迦葉尊者のみ、破顔微笑す。世尊云く、「吾に正法眼蔵 涅槃妙心 実相無相  微妙法門あり。 不立文字 教外別伝 摩訶迦葉に付嘱す」と。

 宇宙には中心がある。この中心とは渦巻きの中心のようなものではなく”思念”がある、との意味である。が、不立文字、つまり文字や言葉では説明できない、と釈尊は仰った。
 説明できないがそれを認識している事を昔のシュメール人の都、ウルに住んでいたある人はその生き方で体現していた。その人は次第に宇宙の中心たる思念に導かれるようになった。人はある事を考え続けると次第に”閃く”ようになる。ひらめきが人に新しい視界を齎しひらめきが人生の節目の決定を導く。その人の元の名はアブラム、選ばれて後アブラハム。
 探せば見つけることができる、つまり考え続ければ次第に宇宙の中心からの閃が降りる。このようにして”探しもしない、関心もない、右も左も弁えぬ有象無象の人間ども”に、その前に、宇宙の中心たる思念の実在と力を体現して、見せるべく選ばれたのがアブラハムの孫であるヤコブ、改名してイスラエルとその子孫。
 しかしその子孫は”地の塩”たるの己の使命を忘却放棄した。それ故に散らされた。聖書的に表現すれば”神の御名”を彰かにしなかった、が故に宇宙の法則、宇宙の原理の働きを享受できなくなって”人間の法則・・・つまり物理的力学、権謀術策、弱肉強食、等の法則に飲み込まれた。
 エゼキエル書はそのような者共のDNAを励起し、且つ、古代と同じように周辺民族にこれを攻めさせ、それを破滅に到らせることによって宇宙の中心がその実在と力を全人類に示す、と書いてある。
 この宇宙が存在する限り、その中心思念はそのことを成さずには置かないのだろう。憑き物に突き動かされているようなデモや閣僚による不法占拠地除幕式参列などと言う度を失った行為はこの森閑とした日々の裏側でとんでもないことが進行しつつあるような気配が漂う。