竹島問題を国際司法裁判に提訴すると言う。それによって日本の領土に関する不法行為が存在することを広く世界に知らしめる意図もあるようだ。また尖閣諸島には議員団が出向いて洋上慰霊祭を行なうと言う。これもまた同様の意味があろう。
この報道を聴いてまたしてもエゼキエル書がひらめいた。38章13節に言う、”シバ、デダン、タルシシの商人及びそのもろもろの小獅子汝に言わん、汝ものを奪わんとて来たれるや汝ものを掠めんために軍隊を集めしや金銀を持ち去り群れと財宝を取り多くのものを奪わんとするや”・・・聖書の中で獅子は”神の裁きの道具”を表象している。(列王第一13章、ダニエル書6章)。つまり世界中がこの事に関心を持ち、かつ”裁き”に関わるものがこの件を論うと予告している。予告通りに事態は動きつつあるように見える。
今や韓国でも中国でも反日デモ真っ盛りだそうな。それについてエゼキエル書は38章18節で、”・・・その日即ちゴグがイスラエルの地に攻め来たらん日に我が怒り面にあらわるべし、我ねたみと燃え立つ怒りをもて言う、その日には必ずイスラエルの地に大いなる震動あらん・・・”、39章2節、”・・・北の果てよりのぼりてイスラエルの山々に到らしめ・・・”、続いて4節、”汝と汝のすべての軍勢及び汝とともなる民はイスラエルの山々に仆れん・・・”とある。
ここで言葉を文字通りに解釈するとわけがわからなくなる。聖書で”山”とは神の居る場所を言っている。攻めるとは実際に行動して攻め込む場合もあれば言葉で攻めることもあろう。私の解釈ではイスラエルの山々、即ち無数に神を祀る神社が存在する日本を槍玉に上げて言葉で攻撃する、その時、震動とは実際の地震のような場合もあろうが驚天動地の心理的な何かもあろう。
38章21章には、”我剣を我が全ての山に呼び来たりて彼を攻めしめん人々の剣その兄弟を撃つべし、22節、我疫病と血をもて彼の罪をたださん・・・”だから彼らは多分何かに取り憑かれたように度を失い、狂気に走って、人間の目には恐ろしい自滅を被るのではあるまいか。
では神は何故、それを行うか??・・・人類史上初めて、全人類の前に、人類が看過してきて、いまなお看過している、全宇宙に漲っていはするが感知されていない意思と実力の存在を認知させるためであろう。エゼキエル書には繰り返しその事が書かれてある、”おまえたちの為ではない、私の、つまり全宇宙の主である神ご自身の名のために、それを行なう”と。
北方領土はどうだろうか?22節は続いて述べる、”我みなぎる雨と雹と火と硫黄を彼とその軍勢及び彼とともなる”民”の上に降らすべし”
憲法によって交戦権を停止している国日本を”石垣も閂もなく平和に豊かに暮らしている人々”と、その繁栄を嫉み、且は侮り、これに押し入って強盗を働こうとする輩を衆人監視の中で裁くことによって人類の不義を正そうとする神の意図、マゴグのゴグなる見えない存在とその手先として利用される彼に憑依された人々や組織、その末路が透けて見えるようだ。
日本人よ、先祖伝来祭り畏れて来た産土の神を侮るなかれ。今日は町内夏祭りだ。昨日設営を手伝った。真ん中にちゃんと祭壇が設けられて今日は榊がたてられる。山の”中腹”に居られる神霊に下って戴いて祭りをやる。記憶に辿れない昔から日本全国同じ形で行われていることだ。
この報道を聴いてまたしてもエゼキエル書がひらめいた。38章13節に言う、”シバ、デダン、タルシシの商人及びそのもろもろの小獅子汝に言わん、汝ものを奪わんとて来たれるや汝ものを掠めんために軍隊を集めしや金銀を持ち去り群れと財宝を取り多くのものを奪わんとするや”・・・聖書の中で獅子は”神の裁きの道具”を表象している。(列王第一13章、ダニエル書6章)。つまり世界中がこの事に関心を持ち、かつ”裁き”に関わるものがこの件を論うと予告している。予告通りに事態は動きつつあるように見える。
今や韓国でも中国でも反日デモ真っ盛りだそうな。それについてエゼキエル書は38章18節で、”・・・その日即ちゴグがイスラエルの地に攻め来たらん日に我が怒り面にあらわるべし、我ねたみと燃え立つ怒りをもて言う、その日には必ずイスラエルの地に大いなる震動あらん・・・”、39章2節、”・・・北の果てよりのぼりてイスラエルの山々に到らしめ・・・”、続いて4節、”汝と汝のすべての軍勢及び汝とともなる民はイスラエルの山々に仆れん・・・”とある。
ここで言葉を文字通りに解釈するとわけがわからなくなる。聖書で”山”とは神の居る場所を言っている。攻めるとは実際に行動して攻め込む場合もあれば言葉で攻めることもあろう。私の解釈ではイスラエルの山々、即ち無数に神を祀る神社が存在する日本を槍玉に上げて言葉で攻撃する、その時、震動とは実際の地震のような場合もあろうが驚天動地の心理的な何かもあろう。
38章21章には、”我剣を我が全ての山に呼び来たりて彼を攻めしめん人々の剣その兄弟を撃つべし、22節、我疫病と血をもて彼の罪をたださん・・・”だから彼らは多分何かに取り憑かれたように度を失い、狂気に走って、人間の目には恐ろしい自滅を被るのではあるまいか。
では神は何故、それを行うか??・・・人類史上初めて、全人類の前に、人類が看過してきて、いまなお看過している、全宇宙に漲っていはするが感知されていない意思と実力の存在を認知させるためであろう。エゼキエル書には繰り返しその事が書かれてある、”おまえたちの為ではない、私の、つまり全宇宙の主である神ご自身の名のために、それを行なう”と。
北方領土はどうだろうか?22節は続いて述べる、”我みなぎる雨と雹と火と硫黄を彼とその軍勢及び彼とともなる”民”の上に降らすべし”
憲法によって交戦権を停止している国日本を”石垣も閂もなく平和に豊かに暮らしている人々”と、その繁栄を嫉み、且は侮り、これに押し入って強盗を働こうとする輩を衆人監視の中で裁くことによって人類の不義を正そうとする神の意図、マゴグのゴグなる見えない存在とその手先として利用される彼に憑依された人々や組織、その末路が透けて見えるようだ。
日本人よ、先祖伝来祭り畏れて来た産土の神を侮るなかれ。今日は町内夏祭りだ。昨日設営を手伝った。真ん中にちゃんと祭壇が設けられて今日は榊がたてられる。山の”中腹”に居られる神霊に下って戴いて祭りをやる。記憶に辿れない昔から日本全国同じ形で行われていることだ。