父の持っていた雑多な書類を検めてみた。台湾時代の土地台帳まであった。中に4代前の先祖が分家する息子たちに書いたらしい家系文書が出て来た。インターネットなどと照合すると驚く勿れ細川忠利公家臣の名前等、本当の事が書いてあってびっくりした。それで調べるとどうやら我家は紀貫之、紀友則等、昔の歌人の家系の端くれから出て来たみたいだ。
端くれとは言え、男子を介して繋がっていればDNAは存続している。それかあらぬか上記の先祖はじめ祖父、父、いずれも文章が上手い。とりわけ祖父は文人の傾向があったようで酒が好きで直情的で肥後モッコスで人生の失敗が多くまるっきり出世せず母などはバカにしていたが私はその無防備で飾らないところがほのかに好きだった・・・長男息子にその影を見る。
私も文章書きは全く苦痛でなく思うままに書いて大体様になっているが2人の息子も上手い。長男と次男は少し傾向が違う。長男はどちらかと言うと本質を突く論評文が印象に残るが次男のはどうやら本人は気が着いていないらしいが詩的な表現をする。普通に話す言葉そのものが詩になっているような感じがする。
皇室が男系でなければならないのはこのDNAの存続のためである。今、日本人は一見ナサケナイ、なよなよ男子かもしれないが何か事が起ればDNAが眼を覚ます。腰の刀が重くてたまらぬ、と言っていた元禄武士の子孫が幕末動乱の時になったらたちまち変貌した。大正ロマンに酔いしれた人々が戦雲急を告げると・・・知っての通り。日本人のDNA侮るべからず。
端くれとは言え、男子を介して繋がっていればDNAは存続している。それかあらぬか上記の先祖はじめ祖父、父、いずれも文章が上手い。とりわけ祖父は文人の傾向があったようで酒が好きで直情的で肥後モッコスで人生の失敗が多くまるっきり出世せず母などはバカにしていたが私はその無防備で飾らないところがほのかに好きだった・・・長男息子にその影を見る。
私も文章書きは全く苦痛でなく思うままに書いて大体様になっているが2人の息子も上手い。長男と次男は少し傾向が違う。長男はどちらかと言うと本質を突く論評文が印象に残るが次男のはどうやら本人は気が着いていないらしいが詩的な表現をする。普通に話す言葉そのものが詩になっているような感じがする。
皇室が男系でなければならないのはこのDNAの存続のためである。今、日本人は一見ナサケナイ、なよなよ男子かもしれないが何か事が起ればDNAが眼を覚ます。腰の刀が重くてたまらぬ、と言っていた元禄武士の子孫が幕末動乱の時になったらたちまち変貌した。大正ロマンに酔いしれた人々が戦雲急を告げると・・・知っての通り。日本人のDNA侮るべからず。