夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

茶の湯

2016年07月08日 16時36分11秒 | 日記
 茶の湯は日本の文化だ。その存在意義は極めて大きい、願わくはこれを引き継いで行く人々の多からんことを。

 しかぁし、拙者はまあ、救いようのない天邪鬼、肥後のモッコス。たかが茶を飲むのに何をしこかっこ勿体付けることのあろうか、俺より審美眼のない奥様方、いや俺よりではない、元々審美眼の何たるかも知らないおばさま方、お嬢様方が判りもせんのに『けっこうなお茶碗ですね』などとは片腹痛し。目を上げて見ればすぐに判る狭い庭に関守石などとはおかしくって!

 静謐の空間で親しい人にお茶一杯精一杯たててと思うも造作のカネが無くて懸命に柱を磨きこんではみたものの煤けた泥壁は如何ともし難く、せめてもの思いに庭に咲いた最上の花一輪、と言うのはワカル!いじらしく奥ゆかしい。しかしわざと煤けさせた床の間に町の花屋で買って来た花、てのは眼力ある人には見破られる。

 この茶杓はどうてろこうてろ、のウンチク、たかが竹じゃないか。

 さあて、のどが渇いた、お茶飲もう・・・八女にするか、嬉野にするか、それとも世知原、いや、都城がいいかも、あ、そうだ知覧があった、それにしよう。
コメント
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