夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

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2016年07月10日 17時57分16秒 | 日記
 今度の選挙で審判されるのは【野党と言われる集団とそのシンパ】であり、選挙運動を通じて彼らの本性は国民の前に曝されて来た。1)ヴィジョンを語れない 2)ワラ(チンピラ)にも縋る 3)落ちぶれた(揚げ足取り、暴力沙汰、落書き等)。国民がどう判別したかは明日には判る。ラップとか何とかいうもので騒ぎ立てるなどと言うのは最早真っ当な国政選挙での行為ではない、やぶれかぶれ自暴自棄の自爆行為でしかないがそれを見た人々でまだでも彼らに票を入れた人が居るのだろうか?

 1945年夏の更地になった国土と現在を比較すれば日本国民が決して愚民ではないと私は考えるのだが・・。イワシの頭は腐っているが頭以外は健全、日本はその頭以外が実質支えて来たのだ。そしてその汗して働く国民を後ろから支えたのはやはり日本神界だと思う、思いたい。
 近所に立てかけてある共産党の看板はいつになくしおらしい、無害善人ぶってすり寄って来ている。一方で組し易しと思う人々にうるさく付きまとう、不愉快だった。私のような団塊世代近くの年代で高学歴の者は説得しやすいて見たのだろう。フザケルナ!!

 もうひと種類審判される集団がある。【有権者総て】である。今回の選挙は今までの選挙とはどうやら異質、と言う事に考え及んでいない人々が大部分だろうと思うが、棄権、或は安倍総理にお灸をすえる為に共産党に投票などと言う従来の、それこそ肥前言葉で言えば出来たフリをする輩は、どこかにしっかり記録されたのではないか?と思う。無論確信犯は言わずもがなだ。但しこれは黙示録を読んでいて(神が実際の権威を持って到来した時、人を分別する、との暗示がある)の感想であって荒唐無稽とのご意見に対して自説に拘る気持ちはない。


 この選挙を契機として或は、選挙、議会制民主主義、もしかしたら貨幣経済も終わるかもしれないのだ(黙示録によれば)。我々の財布の中味は働きに対する評価の政府保証書のようなものである。そこに今やカードが参入しつつある。自分の働きを何とでも交換できる便利さはあるがこの世界から利権等の負の成果も出て来た。

 もし日本神界がその代表部を通じて我々の働きの成果を貨幣やカードの手続きなしに欲する形で引き出す事を保証するとしたら世の中は回らなくなるだろうか?

 『公』の観念を持つ日本人の社会では廻るのではないか?と思うのだ。生業、義務としての仕事や勤務、本来の自分を死んで生きなければならない世はでなく、自己実現としての労働を神界に捧げる事によって(イエスさんの言い方では天に財を積みなさい)『あなたは園のどの樹から取って食べてもよい』と言われた世界が立ちあらわれるような気もしている。
コメント
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