夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

北海道

2016年07月20日 21時16分00秒 | 日記
 2014年夏、2015年夏と続けて釧路に行った。北海道の印象を簡単に言えば、『寂寥の靄の中にひっそりと佇んでいる』。町の喧噪も遠く別世界の反響に聞こえる、目にする風景は幻影のようだ。

 ユーチューブで釧路から厚岸まで電車に乗った。意外と遠い。車窓から見る厚岸の街並は昔写真で見た南米アルゼンチンのウシュ・アイアに印象がそっくりだ。・・・最果て!幻想の街。

 このような処で生まれ育った人の感性はおそらく山谷多く草深い、それでいて古代の歴史の残影が其処かしこに見られる九州で生まれ育った者と根本の処で異質ではないか?と思う。九州は物の輪郭が鋭く光が強い、キラキラする夏、まばゆい空、積乱雲、暑く生い茂る木立や深い草、遠くに眺める九州山脈さえもカゲロウに揺らぐ。北海道は総てが靄の中に遠のいて霞んでいる。こだましか還ってこないような空気。

 趣味でバロック・リュートを弾いている。このような楽器には釧路が最適だ。九州は少し雰囲気が違う、琵琶の方が嵌る。



死して後、亡霊となって野付半島、別海の機関車の置いてあった公園、釧路の小ぬか雨の中、厚岸のコンキリエの丘、の青い靄の中を彷徨い歩こう。



 
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少子化

2016年07月20日 13時25分52秒 | 日記
 無断で申し訳ないが、小池百合子氏の言葉を引用させて戴く:-

 この入院生活を通じて、私は各党が打ち出している少子化政策に違和感を持った自分に気づく。子供を産めば税金をマケるといった類いの政策は、問題の本質からズレている。

 これは明らかに男社会の発想だ。少子化はこれまでの男社会が築いたシステムに対する女の意識、無意識の反乱なのだ。これからは少子化を前提とした国家プログラムを組むべきだろう。(その通り!!)

 これは新鮮だ!理屈は言えないが深層心理と言う領域を視野に入れると納得できる。別に大好きなどら焼きだとか最中だとか、はたまた羊羹、うぐいす餅の類が欲しくて(本音は欲しいが)女性諸姉にごまを擂るわけではないのだが、的を射ていると思う。女性たちは個人としては誰も意識していなかろうが深層心理に於ける集団の意識では男の身勝手に対する反感、反乱があると思う。

 現役に在る間は、俺は稼いでいる、との妙な自意識からそれを保険のように考えて家庭の雑用は逃げ回っていた。年金生活者になってはた、と気が着く・・・出勤しないのにメシを作って食わせて片付けして掃除して、買い物に行って・・全部妻に負わせるのは卑怯じゃなかろうか?居心地が悪い、てなわけで台所の洗い物など目障りでない仕事はするようになった。これが結構な労力であることに気が着く。だから解る、女性、特に妻の立場にある人々が、『女だもん、いやだけれど運命なんだ』と我慢して一生過ごす口惜しサが。

 我家では立場は完全に逆転したがそれでいいと思っている。昔に比べて妻は大声で喋り、大口開けて笑い、近所の主婦たちと畑の物を交換したりして専用の車で仕事に行ったりスーパーに行ったりしている。酒も飲む、私は何故か欲しいと思わない。

 こういう事例が増えて来れば女性たちの個人では気が着いていない集団無意識も変わってくると思う。”過ぎし世の面影”を読んでいると江戸時代の女性たちはもしかしたら明治以降の人々よりも活力と覇気があって表向きはともかく奥向きでは結構な権力を振るっていたのではないかと思う。

 母は私をお人形さん扱いしてヒヨコみたいだと面と向かって馬鹿にされても仕方がない青年にしてしまった。私は社会に出て10年、そのような育ちに行き詰まって経歴を全て破棄して自分を造り直した。しかし母がなぜそういう人になったか今は解る。幼時から『おなご』、『おなご』と親たちから軽んじられ男兄弟の犠牲にされ、男兄弟に代わって父親の横車、暴言、罵声を浴びせられ、母親の陰湿な説教と道徳教に縛られて『世界は敵意と恐怖に満ちている』と刷り込まれて生長したのだ。そんな親から早く逃げ出したくてピーターパンのまるっこい少年上がりの禿げビンタと軽率にも結婚、オモチャにされて心身ともに傷着き疲れ果てた。

 このような女性は多いと思う。堪忍袋の緒が切れて反乱したのだ、もっとやれ! 密談、談合、金権、利権、既得権、群れる、先生と言われたがる、教養がない、知性がない、臭い、・・そんな男どもを蹴散らせ・・・それが男にとっての救いでもあるのだ。
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