これを55年体制と言うのだろうか、昭和20年夏の終戦以降、右肩上がりであった日本の社会、それが終わらなければならない、幕を下ろして、また新しく坂の上の雲を見つめて上らなければならない、政治家は国民に上るべき坂を模索し、示さなければならない、そして聖書の予告は近いうちに実現するであろう、と考える理由のひとつを述べてみよう。
日本には”家着き娘”と言う言葉があった。どの時代にも、どういうわけか結婚出来ない、結婚の機会を逸した、結婚に不向きな、或いは出戻り、の女性が少なからず居た。私の身内にもそのようにして一生を実家で過ごした女性が何人か居た。女は誰もみな家庭に入って子供を産み育てなければならない、などと私は思わない。神が女を男の助け手として創ったと言うのはそういうことでではない。よく聖書を読んで洞察したまえ。
だが、農本主義の時代の大家族で農を行う、或いは都市にあっても家族全員で商売を行う経済の仕組みにあっては娘一人ぐらい家に居ても加勢にこそなれ、なんらの痛痒を感じなかった。血縁、地縁がセーフティネットとして機能していた。
だが、コクサイキョウソウに勝ち上がり主権国家がエラクなる為に政治がカイシャにひどく肩入れした結果、血縁地縁はズタズタに引き裂かれ唯に”カネ縁”だけの社会になった。そのツケが回って国家の借金がウナギ昇りになりそれを何とかしないと破産すると騒いで税と社会福祉の一体改革などと脂汗を流したり、自己主張、権力獲得の言いがかりにしたりしているのではないか?
・・・余談だが私には学校におけるイジメが地縁の崩壊の象徴的現象として現われている、家庭内暴力、家族崩壊、引きこもり、ニート、幼児虐待がこれまた血縁を壊したことの象徴現象と見える。医師は症状を診て診断を下す。本来ならば為政者、指導的立場の人々はこのような症状を診断して病巣を洞察しなければならない筈がヒナ段に雁首そろえて形だけ頭を下げる愚を繰り返す、或いは”こう言えば票が取れる”などと嘯く、或いは行動する・・・下卑た根性だ。
それはさて置き、結婚の機会も就職の機会も逸したまま家付きになっている女性は結構多い。彼女らは多分もう相当年もとっている。親が生きている間は介護と親の年金が等価引き換えの形で彼女らも生きられる。だが、親が死んだらどうなるのか?今日の雇用状況を見れば最早就職は不可能である。では・・・・???
ベーシック・インカムを、ともかく新しい社会が回り始めるまででも導入すべき、・・・カイシャは犠牲にした日本の伝統文化に罰金を支払え!!・・・と思う。するとここに仏教徒であるはずの人々がこの時だけはプロテスタントピューリタンになって”自助努力自助努力”と騒ぐ。自助努力、自助努力、成果主義、成果主義、と歓呼の声を上げたピューリタンの国アメリカが、いざ座る椅子がなくなってしまった今どのように精神の荒廃を見ているか仔細に観察したまえ。実にくだらないアメリカ映画を見てその砂を噛むが如き末路を想像したまえ。
効率一辺倒、ただ”金儲け”の一点に意識が集中しているショッピングモールだのコンビニだの色彩感覚、造形感覚まるで皆無の商業施設だの町並みだのを見て愕然としたまえ、無力感にさいなまれたまえ、・・・エッ、何とも感じない?!、あなたはすでに精神を病んでいるのだ。
日本には”家着き娘”と言う言葉があった。どの時代にも、どういうわけか結婚出来ない、結婚の機会を逸した、結婚に不向きな、或いは出戻り、の女性が少なからず居た。私の身内にもそのようにして一生を実家で過ごした女性が何人か居た。女は誰もみな家庭に入って子供を産み育てなければならない、などと私は思わない。神が女を男の助け手として創ったと言うのはそういうことでではない。よく聖書を読んで洞察したまえ。
だが、農本主義の時代の大家族で農を行う、或いは都市にあっても家族全員で商売を行う経済の仕組みにあっては娘一人ぐらい家に居ても加勢にこそなれ、なんらの痛痒を感じなかった。血縁、地縁がセーフティネットとして機能していた。
だが、コクサイキョウソウに勝ち上がり主権国家がエラクなる為に政治がカイシャにひどく肩入れした結果、血縁地縁はズタズタに引き裂かれ唯に”カネ縁”だけの社会になった。そのツケが回って国家の借金がウナギ昇りになりそれを何とかしないと破産すると騒いで税と社会福祉の一体改革などと脂汗を流したり、自己主張、権力獲得の言いがかりにしたりしているのではないか?
・・・余談だが私には学校におけるイジメが地縁の崩壊の象徴的現象として現われている、家庭内暴力、家族崩壊、引きこもり、ニート、幼児虐待がこれまた血縁を壊したことの象徴現象と見える。医師は症状を診て診断を下す。本来ならば為政者、指導的立場の人々はこのような症状を診断して病巣を洞察しなければならない筈がヒナ段に雁首そろえて形だけ頭を下げる愚を繰り返す、或いは”こう言えば票が取れる”などと嘯く、或いは行動する・・・下卑た根性だ。
それはさて置き、結婚の機会も就職の機会も逸したまま家付きになっている女性は結構多い。彼女らは多分もう相当年もとっている。親が生きている間は介護と親の年金が等価引き換えの形で彼女らも生きられる。だが、親が死んだらどうなるのか?今日の雇用状況を見れば最早就職は不可能である。では・・・・???
ベーシック・インカムを、ともかく新しい社会が回り始めるまででも導入すべき、・・・カイシャは犠牲にした日本の伝統文化に罰金を支払え!!・・・と思う。するとここに仏教徒であるはずの人々がこの時だけはプロテスタントピューリタンになって”自助努力自助努力”と騒ぐ。自助努力、自助努力、成果主義、成果主義、と歓呼の声を上げたピューリタンの国アメリカが、いざ座る椅子がなくなってしまった今どのように精神の荒廃を見ているか仔細に観察したまえ。実にくだらないアメリカ映画を見てその砂を噛むが如き末路を想像したまえ。
効率一辺倒、ただ”金儲け”の一点に意識が集中しているショッピングモールだのコンビニだの色彩感覚、造形感覚まるで皆無の商業施設だの町並みだのを見て愕然としたまえ、無力感にさいなまれたまえ、・・・エッ、何とも感じない?!、あなたはすでに精神を病んでいるのだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます