滋賀県の暗いニュースで滅入った。近江の国は本来そういうところではない。忘れることの出来ない恩師は自らを近江源氏との矜持を持って居られたと拝察した。近江の国を織り込んだ美しい詩をここに書き留めておこう。詩人は四季同人。
菜種抄
伊藤桂一
今年もまた 近江路へ菜の花を見に行こう
眼の裏にたちのぼるかげろうのようなものが うつうつと私を酔わせるので
国がいくさに敗けたころからだ 菜の花がいっそう美しさを増したのは
そのなかに 浸っていたい想いを身に覚えるようになったのも
なにを信ずるか? と問われたら
みるかぎりの 菜種の繚乱を指さしたに違いない
いつでも それしか心にしみる風景はなかったから
近江路のほとりに 花をつくる友あり
若き日ごろともに詩歌を語りしが いまも寒咲きの菜種の種子など送ってくる
京の都へ出荷したあとの花から得た
掌にさらさらなじむこまかなやさしい種子である
狭い庭に 毎年その種子を蒔き 花を咲かせ 幾茎かを机上に飾る
その花をみつめていると 頭の芯に眩暈のように澱むものがある
今年もまた 近江路へ 菜の花を見に行きたい・・・と手紙を書く
湖を慕う野洲川のほとりの草居で 夜は 未だ失われざる歌を語り
友と一盞掬む
つぎの日 花を運ぶ車で かれは私を湖岸へおくる
水辺の葦にひたひたと 波寄せる湖岸からみると
霞たなびいて比叡はみえない
いちにちモロコを釣り 夕景になると
かれのなじみの漁家まで 菜畑のあいだの道を帰る
自身が蜜蜂であるほどの生きがいをだいじに身に負うて
二十余年 この身に抱いて来たものも
しょせんは蜜蜂の嗚咽のごときものだった
・・・ということだけはわかっている
告げるとすれば それを菜の花にでもいうしかない
空は残照
菜の花も残照
その中を歩む私も残照
水澄んだ掘割ながれ そこに影写す雲も 古びた木の橋もまた残照
風凪いで 野ずらいちめんの この残照の世界こそ わが浄土かもしれない
眼にも見えず 耳にもきこえず ただ無心に天に騰ってゆくものはいい
潮流社 刊 四季三号 より
いつの頃からか”カネになる”ことばかり追い始めた日本人のたどり着いたところがこの現代社会ではないのか?”
詩を忘れ、近江の、会津の、江戸の、薩摩の、武士の節操と美徳を忘れ、”主義者”に惑わされ、いじましくも利便、金銭、娯楽、経済追求に眼が眩み、カイシャなるものが威張って個人の尊厳を足蹴にする、弱いものをいたぶる、見て見ぬふりをする、そのような下劣な日本人に我々は成り下がった。
ここしばらくの災害、事件、政争などは日本人が”選別”されつつあるように見える。
菜種抄
伊藤桂一
今年もまた 近江路へ菜の花を見に行こう
眼の裏にたちのぼるかげろうのようなものが うつうつと私を酔わせるので
国がいくさに敗けたころからだ 菜の花がいっそう美しさを増したのは
そのなかに 浸っていたい想いを身に覚えるようになったのも
なにを信ずるか? と問われたら
みるかぎりの 菜種の繚乱を指さしたに違いない
いつでも それしか心にしみる風景はなかったから
近江路のほとりに 花をつくる友あり
若き日ごろともに詩歌を語りしが いまも寒咲きの菜種の種子など送ってくる
京の都へ出荷したあとの花から得た
掌にさらさらなじむこまかなやさしい種子である
狭い庭に 毎年その種子を蒔き 花を咲かせ 幾茎かを机上に飾る
その花をみつめていると 頭の芯に眩暈のように澱むものがある
今年もまた 近江路へ 菜の花を見に行きたい・・・と手紙を書く
湖を慕う野洲川のほとりの草居で 夜は 未だ失われざる歌を語り
友と一盞掬む
つぎの日 花を運ぶ車で かれは私を湖岸へおくる
水辺の葦にひたひたと 波寄せる湖岸からみると
霞たなびいて比叡はみえない
いちにちモロコを釣り 夕景になると
かれのなじみの漁家まで 菜畑のあいだの道を帰る
自身が蜜蜂であるほどの生きがいをだいじに身に負うて
二十余年 この身に抱いて来たものも
しょせんは蜜蜂の嗚咽のごときものだった
・・・ということだけはわかっている
告げるとすれば それを菜の花にでもいうしかない
空は残照
菜の花も残照
その中を歩む私も残照
水澄んだ掘割ながれ そこに影写す雲も 古びた木の橋もまた残照
風凪いで 野ずらいちめんの この残照の世界こそ わが浄土かもしれない
眼にも見えず 耳にもきこえず ただ無心に天に騰ってゆくものはいい
潮流社 刊 四季三号 より
いつの頃からか”カネになる”ことばかり追い始めた日本人のたどり着いたところがこの現代社会ではないのか?”
詩を忘れ、近江の、会津の、江戸の、薩摩の、武士の節操と美徳を忘れ、”主義者”に惑わされ、いじましくも利便、金銭、娯楽、経済追求に眼が眩み、カイシャなるものが威張って個人の尊厳を足蹴にする、弱いものをいたぶる、見て見ぬふりをする、そのような下劣な日本人に我々は成り下がった。
ここしばらくの災害、事件、政争などは日本人が”選別”されつつあるように見える。
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