昨日は2月に亡くなった義兄の49日の法要が執り行われました。晴れ男だったようで、お葬式の日のように晴れ渡っていました。まず僧侶の読経から始まりますが、その前に長いお話がありました。なるほどと思われることばかりで、観無量寿経のことも分かりやすく説明されました。それもそのはず医師も兼ねておられて、NHKにも何度も出演。その番組は何度も再放送されたそうです。著書も多くて、中には、上野千鶴子さんとの対談もあります。橋田寿賀子さんも主治医に指名されていた小笠原先生です。
橋田さんは、92歳のころ、「もう生きたくないから安楽死させてほしい」と依頼されたそうです。先生は,寿賀子さんの「寿」は永遠の命を表すし、「賀」というめでたい文字もご両親がつけられた名前。もっと大切にしなければと、説得されて、安楽死を止められたそうです。
まだ話足りない様子でしたが食事時間も迫っているので、お帰りになられました。先生の著書はアマゾンで取り寄せてみたいです。医師になる前から僧侶の資格を9歳で取られていました。奥様も僧侶の資格を持たれていて、義兄の通夜式は奥様の読経でした。その日先生は開業医として行かねばならないところがあったのです。
食事は申し分のない内容で和気藹藹で楽しく過ごしました。ところが会も終わりかかるころ、突然義姉が嘔吐。倒れて、救急車を呼ぶ事態になり、騒然となりました。娘は着物の帯をゆるめ、もしかしたら又、お葬式ということになるかと、私も胸の動悸が治まりません。救急車が到着したころようやく意識が戻りほっとしました。義姉と付き添いの娘のWちゃんはそのまま病院へ。
とんでもない結末でしたが、多分義姉はこの日の準備で疲れが出たのでしょう。和服も体に負担がかかったのでしょう。こういう場合、息子よりやはり娘。Wちゃんのかいがいしさに87歳の義姉は救われたのでした。息子は法事を仕切っているので、病院には行けません。
義兄は、さくらの会に招待されましたが、義姉も菅内閣のとき、国から表彰を受けていました。長く民生委員をつとめたことによります。私はそれを4年で退きましたので、問題外です。
この日は私もとても忙しく、朝7:45からはこの地区での年6度の道路の空缶拾いと、神社の除草作業。8:30からは彼岸も近いので、墓地の花の取り換え。9時にはタクシーGOを呼び、法事の会場の義兄宅へ。読経の後は、食事処へ移動。救急車を送り出した後、先月のように義妹に便乗させてもらい帰宅しました。帰りは、木曽川の向こう側にまだ雪を冠った御嶽山が美しく見えました。
追記: その後の情報では、義姉は病院で回復し、帰宅。入院には至りませんでした。息子は薬剤師で、孫は医師の卵。当座の処置もよかったのでしょう。私たちも安心できました。
帰りには木曽川の向こうに御嶽山が見えました