つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

二十四の瞳

2005-08-03 | 映画・TV・演劇
 昨夜は50年ぶりに壺井栄原作の「二十四の瞳」を民放TVで鑑賞しました。前回は大石先生役は高峰秀子でしたが、今回はイメージが変わって黒木瞳。しかし、子供たちの純真な姿は昔通り感動を呼びました。教育学部で一緒だったある友人は「あの映画を見て教師になる決心をした」と言っていました。けっこう他にもこういう人はいたようです。小豆島に残されている撮影記念の場所にも行ったことがあります。
 中学生の頃はそれほど感じなかったのですが、昨夜は、反戦の色が濃く感じられ、終戦60年にふさわしい番組でした。
 (写真は野辺山のはまなしの実)
 

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5 コメント

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私も行きました。 (けんちゃん)
2005-08-03 23:32:02
教師になる心情はここからスタートすべきと思います。

秋の寒霞渓 ロープウエイからの景色は抜群に鮮やかでした。乗り場近くには大阪は箕面のサルたちを彷彿とさせる猿園があり、橋の袂に餌をやらないでくださいと表示してある看板の前で煎餅を上げている写真を撮りました。怖いですぞ。ポッケが膨らんでると手を突っ込んできますし車の上から肩に飛び乗ってくるしでキャーキャー言ってました。
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私も見ました (oko)
2005-08-04 10:35:24
身辺整理を済ませて心静かに
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ネックレスが・・・ (matsubara)
2005-08-04 13:18:50
けんちゃん、

あそこの猿に私は被害にあいました。突然私のネックレスめがけて飛びかかったので、ばらばらになってしまい、二度と使えなくなりました。餌もやらなかったのに・・・

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終戦記念日が (maka)
2005-08-04 19:55:59
近づいててきました。うちの父の命日でもあります。陸軍士官学校を出て、兵隊になることで、夢をかなえたわけで、そういう教育を受け、戦後の教育の違いに戸惑いを受けた独りでした。でも戦死なさった友から比べて50年以上も生きることが出来ました。戦争はいけないことと解っていながら、いつもどこかで戦争がある、悲しいことです。思いつくままに書いてしまいました。
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あの時代ですから (matsubara)
2005-08-04 21:59:07
makaさん、ようこそ

陸士という当時のエリートにお父様は在籍されていた訳ですね。あの時代はみんな軍国少年だったから仕方がなかったと思います。

戦死なさらずよかったですね。
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