つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

線香

2025-03-05 | わが家
 隔月で僧侶が読経をするためにわが家に来られています。奇数月の昨日もその日。朝から仏花を替え、仏飯を供え、座敷の廊下の出入り口で待ちます。僧侶は玄関から入られません。嫁ぐときの花嫁も同じです。嫁入りの花嫁も。
 昨日は、線香をいつもと違う桐の箱入りのものにしてみました。さすがに若い僧ですのに、「今日の線香の香りは違いますね」と言われました。残念ながら私は違いが分からなかったのです。実は五月に父の33回忌を営みますので、線香を試してみたのです。法要にはこの線香を使おうと思います。コロナ以来親類の法要は少なくなりましたが、わが家では通常に戻しています。
 下の写真はいづれも光受寺で撮影したもの。


日展日本画画家岐阜出身の長縄士郎画の立雛



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6 コメント

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棺桶の出入りも (峠おやじ)
2025-03-05 17:19:12
最近では珍しくなった事ですよね。
私とこでは父が亡くなったとき経験しただけで、その理由も今まで知りませんでした。調べてみると・・・
https://shouhouji.com/blog/%E3%81%8A%E5%AF%BA%E6%A7%98%E3%81%AF%E3%80%81%E3%81%84%E3%81%A4%E3%82%82%E7%8E%84%E9%96%A2%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%8F%E3%81%A6%E3%80%81%E7%B8%81%E5%81%B4%E3%81%8B%E3%82%89/
父の死を知って集まった人の中にご存知の人がいたようで、私たちに自分たちでやっとくからと庭の生垣を数本抜いて棺桶の出し入れをされました。

ちょうど30年前の話です。やっと腑に落ちました。ありがとうございました。
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峠おやじさま (matsubara)
2025-03-06 07:56:18
いろいろお調べいただきありがとうございます。

確かに棺桶もそこから出し入れしますね。
すっかり忘れていました。
その理由があることも。

何も考えずに隔月に僧侶を出迎えていましたが・・・

別のサイトにこのことを書きましたら、まるで知らない
人もあり、かえって驚きました。
都会の団地住まいでは、理解不能のようです。
返信する
法事 (oko)
2025-03-07 00:41:50
いつもご丁寧に行ってお出での事に敬意を表しております。
「五月に父の33回忌を・・・」↑ そうでございますか。
お父さまは平成5年にお亡くなりになられましたでしょうか。
ご冥福をお祈り申し上げます。

夫は平成4年6月6日56歳にて逝去に昨年33回忌でしたので。

峠おやじさまの「お寺様は、いつも玄関からではなくて・・・」↑ を拝見いたし、
いろいろ思いだしましたが、マンションには縁側がなく、時代も変わりましたね。
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okoさま (matsubara)
2025-03-07 08:16:51
まあ、ご主人様と父とは同じころだったのですね。
56歳だったのですか。
早すぎるお別れでしたね。
父は81歳でした。

おっしゃって下さる通り平成5年でした。
私たちが東京から帰ったのが平成5年でしたので
一緒に暮らしたのは1カ月でした。
平成4年は東京にいました。
その前年まで兵庫県に25年住みました。
多くの友人が阪神震災に遭いましたが、私たちは無事でした。
それに悪くすれば、夫は地下鉄サリン事件にも
あうところでした。
あの地下鉄の路線で通勤していました。

玄関を使わないのは棺桶もそうです。これは峠おやじさんに
教わりました。分かっていたのに気づきませんでした。
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Unknown (zooey)
2025-03-07 10:14:11
母を連れてそちらの法事にお邪魔したのは
何年だったでしょうか。
あの節はお世話になりました。
2023年3月に竹鼻の法事に行き、その2か月後に亡くなったのでした。
自分が行きたいと言っておきながら、当日の朝になると具合が悪くてとても行けないと言い出すなど
世話をする方は結構大変だったのですが、
それでも喜んでいたと思います。
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zooeyさま (matsubara)
2025-03-08 07:54:16
こちらこそ遠路お参り下さりありがとうございました。
何年前かは忘れましたが、東京からの来客は貴女
だけでした。妹は亡くなっていましたので。

お母上は、貴女にせいいっぱい甘えておられたの
でしょう。
それに充分応えられて、親孝行なさいました。
幸せなお母上でした。
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