一昨日、元岐阜女子短大学長の杉山道雄先生から米寿記念冊子「柳戸、桃林、桐野の記」が贈られて来ました。岐阜以外の方は分からないかもしれないです。これは、大学の所在地なのです。柳戸は岐阜大学。その後、桃林の岐阜女子短大学長を務められ、桐野の東海学院大学の学長も務められました。
もともとは30年前に他界した父の教え子でした。とても長いおつきあいとなります。私ともご縁がありいろいろな交流が今も続いています。
父が生前、岐阜大の教授であったころ、杉山先生は九州大学大学院生でした。父はある時期、頼まれて宮崎大学へ夏休みに非常勤講師に行っていました。その時父は九大に寄り励ましたようです。
女子留学生日本語弁論大会に岐阜女子短大学長室に行き、協力をお願いしたのがきっかけでした。今はサンサンの会でお目にかかっています。あるページには、元岐阜県歌人クラブ会長だった故小瀬洋喜先生とのことも書かれてあり、その繋がりも分かりました。
米寿での回想記ですが、世界をまたにかけてのご活躍の足跡がしのばれます。先生が研究発表された卵についての論文は世界でファーストでもセカンドでもなくオンリーワンだそうです。岐阜大学農学部には、家禽畜産学科が26年間ありました。これはオンリーワンの学科で世界中から視察があったようです。世界中に学者のお知り合いが多いのもそういうことからです。

桃林(ももばやし)という地名。
記事の中では桃林の岐阜女子短大(通称ギジョタン)。
当時その隣に長良中がありまして、両方とも移転して
いま岐阜都ホテルになっています。
(公式住所は長良福光)
小学校のときはその桃林から通学する同級生がいました。
久しぶりにその『桃林』の名前を目にできたことに
感激してます。
オンリーワンとは凄いですね。
>岐阜大学農学部には、家禽畜産学科が26年間ありました
今はなくなってしまったのですか?
長良福光はなつかしい地名です。
そこが都ホテルになっていたとは知りませんでした。
岐阜女子短大は大学受験にすべり止めに受けましたし。
新しい地名にはなじみませんが、当時からあった
のですね。桃林はすてきですので、開拓地に
命名されたものと思っていました。
かなり辺鄙なところに移転しました。
その学科は、1963年から1989年までありました。
家禽産業がさかんで、後藤ふ卵場による寄付により
ました。
海外の教授による講義もありました。杉山先生は
このころ米国に留学されていました。
たまごについての英語版の本もだされています。
なくなったのは、1988年一斉に学科再編が行われた
ためです。