昨日は、一般誌のハーストーリーの読み合わせをしてからランチ。それからよもやま話です。会員の一人Gさんのお話は刺激的でした。チュニジアでクルーズの旅をされていた時、隣の日本人観光客団体がテロに会い、犠牲者が出ました。クルーズ会社は、その見舞いとして、乗客全員に、別コースのツアー50%引きチケットを贈呈。彼女は、それを使い、西回り、東回りのコースのクルーズにお友達と後日出かけられました。恐怖のテロの後に又クルーズとは、さすが大物のGさんです。50%引きですから2コース共回れます。
テロにあい帰国した日、成田空港では、マスコミがわんさと待ち構えていたそうですが、ひたすら黙秘したまま通過。直接テロの現場を目撃して驚かれたのは、現地警官に「テロに会った証明書を出して欲しい、保険金が出ないので・・・」冷静にそういうことを要求する日本人女性でした。
私たちがチュニジアに行ったのは、もう20年も前。のどかな国で、テロなど考えも及ばない時代でした。カルタゴ遺跡を思い出します。ボランティアで慰問し、薬品などいろいろ届けました。フランス語は出来ないので、英語で交流しました。
ランチは美味しく頂きました。店内に小さい部屋が別にあり、そこで輪読をしました。この日のテーマは、イスラエル初のパレスチナ人医師のイゼルディンさんの話。妻を亡くし、娘3人と姪をイスラエル軍に銃殺されたのに、それを乗り越えて医師の資格を取り、トロント大学で准教授となられました。
昨日の平昌五輪第13日目、スピードスケート女子団体追い抜き(パシュート) で、日本は三個目の金メダル。この種目では日本初の金です。高木選手は姉とともに出場。一人で金、銀、銅の3種のメダルを獲得したのは日本冬季五輪初。きょうだいでのメダル獲得も、夏冬とも五輪初のことでした。メダルは11個となり、1998年長野五輪を上回り、冬季五輪最多となりました。
ハーストーリー2月号
あれから私もカード紛失した時の対応方法など
メモしています。
この年ではいつ死んでもいいと思いながらも
一昨年はテロの起こりにくい台湾に出かけ
ました。
海外でスリに遭った時、それは経験しましたが
警察の動きが悠長で、中々簡単には取得できないのです。
2年前にロンドンに行った時、我々がいた数時間後に、ラッセル駅で小さなテロが起きました。
海外は今、何処も危険ですが
そんなこと言っていたら何処にも行けないし。
悩ましい所です。
驚きます。
本当に日本は平和でいいですね。
連日オリンピックは連日見逃せませんね。
ロシアには実力差があり、勝てないですが
日本人もノーミスでよかったですね。
カーリングは英国に勝ってほしいです。
恐怖は大変だったことと存じます。
本当に日本の平和に感謝です。
オリンピックも終わりに近づいてまいりましたが、
日本のフィギュアスケート女子は完璧でしたがとても残念でした。
タイのクーデターに遭われたのですか。
タクシン政権の時でしたか。あの国は政治不安定で
大変ですね。
1894年とは随分お若い時にインドに行かれた
のですね。
今はあちこちでテロの危険があり、国内に
留まっている方が賢明ですね。
こういう場面にも遭遇するのでしょうね。
現場は生々しくて怖かったようです。
銃撃されたのですから・・・
こういう場合女性の方が落ち着いているのでしょうね。
オリンピックもそろそろ終わりですが、
日本人の根性には驚きますね。
渡部選手は、骨折しても出るのですから。
海外でテロに遭遇したことはありませんが、タイでクーデターに遭遇したことがあります。1992年の軍事クーデターでした。
1984年インドで起こった”インディラ・ガンジー首相”暗殺時は、ほんの数日の差でネパールへ移動していました。
私もかつては海外で、このような経験をしただけに、他人事とは思えないですし、むしろ私の場合は「まだラッキーな方だった」と思います。
現在の日本がいかに平和で治安が良いか、海外へ行くと思い知らされますよね。
なかなか刺激的なお話ですね。
今の時代、どこにいてもテロにあう可能性はありますが、
このようにすごく身近でテロがありながら、それによって
もらった50%引きチケットでクルーズに行かれるとは
ほんと強者ですね。僕の場合はビビッてしまいます。
オリンピックは過去最多のメダルを獲得ということで、
日本人選手の活躍に感動です。