伊勢雅臣氏のメルマガより。この後半部分のみを紹介します。テーマは、「今も共産党から抜けきれないガラパゴス状況の日本」
今も日本共産党は破壊活動防止法に基づく調査対象団体
「共産党は異論を許さない」というイメージは、日本共産党の歴史を知れば、同党の本質を捉えた理解です。弊誌[No.941 日本共産党小史 ~ 国民政党なのか、外国機関なのか]で紹介したように、日本共産党は、ソ連が世界に共産主義を広めるために設立したコミンテルンの日本支部として発足しました。その後、ソ連共産党や中国共産党の資金援助を受けながら、時に暴力活動をして来ました。
外国の指示を受ける政党、あるいは暴力活動を展開する政党が、党内の異論を許していたら、活動などできません。党首公選制などは、戦闘中の軍隊で誰が部隊長になるか議論しているようなもので、俊敏な戦闘行動ができません。
戦後、昭和33(1958)年に書記長に就任し、以後、40年間も共産党のトップを務めた宮本顕治は、昭和8(1933)年、党税制部長の小幡達夫を、警視庁のスパイ容疑で「査問」をしました。リンチによって、小幡を傷害致死に至らしめ、遺体を床下に埋めました。
宮本は治安維持法のみならず、刑法の不法監禁致死傷罪、死体遺棄罪、鉄砲火薬類取締施行規則違反などで、無期懲役の判決が確定し、12年間網走刑務所に入っていました。解放されたのは、戦後、GHQによってです。[福富、p117]
戦後、しばらくは日本共産党とGHQの蜜月期間が続いたのですが、昭和25(1950)年、朝鮮戦争を控えてスターリンは、日本共産党に武闘闘争によって背後から米軍を脅かすことを命じたのです。その指示に従って、1952年には、血のメーデー事件、火炎瓶事件など数多くの武装闘争、騒擾事件を起こします。
そのため同年の衆議院総選挙では、国民の武装闘争への警戒感から共産党の獲得議席は前回の35議席からゼロへと激減しました。
1958年に書記長に選出された宮本顕治は暴力革命論から「どういう手段で革命が達成できるかは、最後的には敵の出方によってきまる」という「敵の出方論」に修正しました。敵の出方によっては、暴力革命路線を採る、というのです。
平成28(2016)年3月、自民党の鈴木貴子衆議院議員は、「共産党は破壊活動防止法の調査団体かどうか」、政府に確認を求めました。これに対し、安倍内閣は次のような答弁書を閣議決定しています。
「日本共産党は、現在においても、破壊活動防止法に基づく調査対象団体である」「いわゆる敵の出方論に立った『暴力革命の方針』に変更はないものと認識している」[福富、p84]
■5.欧米各国ではほとんど絶滅状態の共産党
暴力革命を目指しかねない共産党を「破壊活動防止法に基づく調査対象団体」とする、というのは、実は欧米諸国と比べると、非常に甘い対応です。近現代史研究家で、かつて民社党政策審議会部長などを務めた福富健一氏は著書『日本共産党の正体』で、次のように指摘しています。
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日本と違い、欧米ではフランスを除きほとんどの国で、共産党は国会に議席を持っていません。二〇世紀は、共産主義の誕生と死滅を目撃した世紀といわれています。・・・
・・・第二次世界大戦後、スターリンのソ連共産党の東欧への強引な武力侵入やファシズム体制を見て、西欧諸国では多くの人々が「共産主義とは全体主義である」と見なすようになりました。そのため、国家を分断された西ドイツでは共産党を憲法違反とし、イギリス労働党やドイツ社民党など西欧の社会主義政党は、共産主義を排除した社会主義を目ざします。[福富、p12]
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西ドイツで共産党を憲法違反としたのは、憲法たる基本法で「自由で民主的な基本秩序を侵害もしくは除去し、または、ドイツ連邦共和国の存立を危くすることを目指すものは、違憲である」と定めたからでした。これにより、15議席を獲得していたドイツ共産党は解散させられました。
このように、思想・言論の自由を保障しつつも、暴力革命によって自由・民主主義を破壊しようとする思想は許さない「闘う民主主義」を欧米諸国は憲法や法律に取り込んでいるのです。[福富、p167]
■6.共産党が二桁の議席を持つガラパゴス状態からの脱却
欧米諸国ではほとんど絶滅状態の共産党ですが、わが国では一大勢力をふるっています。日本共産党のホームページによれば、現時点で国会議員21名、地方議員2500名の大勢力です。これだけの勢力が自衛隊を違憲とし、日米同盟を否定し、なおかつ日本を護るためには具体的にどうすれば良いのか、具体的な提案もしていないのです。
志位氏は他の野党に共闘を提案していますが、「自衛隊・安保という基本政策が異なるので、政権共闘の対象にならない」と言われています。こういう曖昧な態度が野党共闘を不可能にし、その結果、自民党は万年与党として緊張感を欠く政治を続けています。
たとえば、松竹氏は尖閣問題に関して、こう述べています。
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万が一、中国軍が尖閣諸島を奪いにくる場合のことを考えてみよう。専守防衛に徹するのか、核抑止に依存するのか。
日本は尖閣を自分で守る、アメリカが助けに来なくても守る、そんな姿勢で臨むべきだ。中国の本土にある出撃基地まで叩くことはせず、それをアメリカの力(核も含め)に頼るのでもなく、日本自身が尖閣の周辺から中国軍を追いだすことに徹するべきである。
その結果、現在のウクライナ戦争のように、尖閣を奪われたり取り返したりをくり返す消耗戦のようになるだろう。・・・
アメリカには、その消耗戦のどこかで仲介者として停戦に乗り出してもらうのが望ましい。そのためにも日本は自力で戦うことを基本とすべきである。[松竹、p102]
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かつての「非武装中立」などという夢想ではなく、松竹氏がかつての共産党の伝統的政策であったとする「中立自衛」という主張です。たとえば党首公選制で、こんな議論が闘わされた上で、松竹氏が党首に選ばれたとしたら、他の野党も現実的な政権共闘を考えることができます。
こうなると、共産党はかつての「外国に指示されて、暴力革命まで起こしかねない政党」から、欧米並みの「共産主義を排除した」左派政党に脱皮できるでしょう。松竹氏は党名変更まで提案しています。そうなると、わが国は先進国でほとんど唯一、「共産党」が有力政党であるという「ガラパゴス状態」から脱却することができます。
(文責 伊勢雅臣)
写真は昨年から咲いているシクラメン

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