飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

転載7弾!!-「Behold,A WHITE HORSE その6」-

2008-02-14 08:45:48 | ニュース

是非、氏のブログを詳細にご検討下さい。http://angel.ap.teacup.com/applet/gamenotatsujin/200802/archive 
そして、貼って多くに知らせて下さい。早く、勇気を持って、..........

          「Behold,A WHITE HORSE その7」         
            

 次に悪魔は,イエスを非常に高い山に連れて行き,この世のすべての国々とその栄華をみせて言った。<もし,あなたが,ひれ伏してわたしを拝むなら,これらのものを皆あなたにあげましょう>と。「マタイによる福音書4:8~9」より

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これはLost Angelあるいは堕落天使,堕天使と呼ばれる。

 

わたしたちはまた,多くの座を見た。その上には座っている者たちがお り,彼らには裁くことが許されていた。わたしたちはまた,イエスの証と神のことばのために,首をはねられた者たちの魂を見た。この者たちは,あの獣(けも の)もその像も拝まず,額や手に獣の刻印を受けなかった。彼らは生き返って,キリストと共に千年の間統治した。「黙示録20:4」より

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僕は今まで,自分のことは棚に上げて「教養」とは何かについて何度も 同じことを書いてきた。教養とは学歴と最も遠いところにあるもので,自分を振り返り自分を変えてゆくこと,それが教養です。えてして,感覚という純粋感覚 からいきなり個と普遍を結ぶ客観の世界へ入ろうとするとムラやブレが出る。若い人はとくにそうである。歳をとり,経験の積み重ねによって,はじめて,過不 足なく<自己形成を完了>させることも可能になる。だから,決して慌てないでほしい。

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Cisco WheelerさんもArizona Wilderさんもお互いsisterであるが,アリゾナさんの場合の位階はシスコさんより高い位階で母なる神(マザー・ゴッデス)といい,ルシファーの花嫁の地位である。また,52歳までしか生きられないという掟であった。共に両者をマインドコントロールしたのはヨセフ・メンゲレ博士であった。

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 そのマインドコントロールはMonarch Butterflyと呼ぶが,今回ポートランド郊外のモテルでMONARCH HOTELというのがあり,しかも壁にはButterflyの彫刻がしてあったのだが,一体,この国の人たちはどういう神経をしているのであろうか。

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 話 は変わりますが,今回シスコさんの本「Behold,A WHITE HORSE」を日米同時発売の計画で進行しており,その後シスコさんを日本に招き講演会を予定している。その前に,もう一,二回ほど米国へ行く必要がある が,講演会で黒字を計上するのは難しく皆様からのご寄付を神の御用として使わせていただく。また,その前後に中国残留孤児の養父母に面会し何がしかのお金 を渡す予定です。これもまた,ご寄付を使わせていただきます。

 それと,内緒にしておりましたがシスコさんにはハイジという娘 さんがいます。離婚してトレーラーハウスに居るのですがちょうど四年前交通事故に遭い右足切断寸前の大事故を起こしました。それも,前から来た車が急に右 側に寄りハイジはそれを避けようと右側の木に突っ込んだのです。ある意思を持って依頼された殺し屋の仕業です。それは組織から抜けたシスコさんに対する威 嚇でもあったわけです。当時小石牧師はポートランドにおり駆けつけた病院で祈りを捧げた結果でしょうか,27回の手術でなんとか今回よちよち歩きが出来る までに回復しております。ハイジに会ったとき小石牧師に抱きついて何時までも号泣していました。ただし,事故当時頭を打っているため少しふれた状態になっ ています。これから,ハイジを看護人付きの場所に移し,最適な高価な薬で治療する必要がありご寄付も一部それに充当させて頂く予定です。

ところで,X-FILESというブログがある。女 性が管理人であるが,その内容は凄まじい。しかし,4年前に体調悪化と生活困窮のためブログを休むと発表して以来全く更新がない。二ヶ月前にメールしたが 返事がない。今日再びメールし年金二か月分くらいなら援助出来るので連絡した次第です。彼女の珠玉の記事を紹介しよう。もし,どなたか彼女の現況をご存知 ならば知らせてほしい。僕は彼女を誇りに思っている。

ケリー博士の死とイラク報告書の信憑性について : イギリス独立調査委員会
ハットン委員
2003/8/13~9/24

 

原文容量を超えるので後半はカットした。

<公聴会1日目 : 明らかになっていくデビッド・ケリー氏の素性>

この事件は、BBCギリガン記者が匿名の取材源から得た情報として、イギリス政府が2002/9に発表したイラク大量破壊兵器の情報は、事実を誇張していると、5/29 ラジオ放送で暴露したことから事件は始まった。
2週間後、国防総省は情報源はケリー博士だとマスコミにリークし、7/9 ケリー博士は外交委員会で喚問を受けた。
7/18 そしてケリー博士は死んだ。警察当局は自殺だとした。
政府はすぐに自殺の経緯をめぐる独立司法調査委員会を裁判所に設けた。

8/11 独立司法調査委員会の公聴会が開かれた。
<国際戦略問題研究所テレンス・テーラー>
1990年代、イラク査察団で同僚だったイギリス国際戦略問題研究所テレンス・テーラー氏は「困難な時期に査察を行ったにも関わらず、ケリー博士の仕事は大成功だった」と証言。
そして「死ぬ4日前に電話で話した際、兵器捜索のためにイラクへ戻る考えを話していた。その数週間前に会った時には、娘の結婚式を心待ちにしていた。変わった様子はなかった」と述べた。
<リチャード・ハットフィールド国防総省人事局長>
国防総省リチャード・ハットフィールド人事局長「メディアへの情報の提供はケリー博士の仕事の一環だった。ただ、BBCとの2回の接触は許可を得ておらず、単に技術的に情報を与える以上のことを行った。」と証言。
また、ハットフィールド人事局長は、政府がケリー博士の名前を報道機関に漏らした疑惑について「職員の名前を進んで明かしたりしない」と発言した。
しかし「公になってしまえば、議会で証言してもらうことになる、と考えていた」とも述べた。
また、「イラクの大量破壊兵器に関し、ケリー博士はイギリスを代表する専門家だった。情報機関に助言する立場にもあり、必要なら機密にふれることもできた」とも証言した。
<マーチン・ハワード国防情報局次官>
政府の中には9月のイラク大量破壊兵器報告書の内容に不満を持つ人もいた。
この報告書は政府の影に隠れて働く公務員のもので、国防情報局のマーチン・ハワード次官が調査委員会に出た。
ハワード次官は「45分の脅威は、単一の情報源に頼ったが、非常に確度の高い情報だった」と発言し、イラク戦争前に、イラク軍内部から得た情報だったと述べた。
また、「国防情報局の局員2人が報告書に使われている言葉について不満を書き残していた。」と証言。
そしてその文書が調査委員会に提出された。
その文書のひとつが公表された。文書は次官宛で「私は2002/9/24に提出された報告書について非常に懸念していた。報告書については私にも責任の一端があるが、これは、あなたの前任者に対して私に正式に書くように要求されたものだ。」
また、2003/7/17の次官宛の文書には「これはイラクが大量破壊兵器を45分で実戦配備できると述べられた点について、国防省スタッフが表明した懸 念に関するものだが、これは報告書の序文とまとめの中で書かれている正確さのレベルに対する懸念である」と書かれている。
<首相官邸 ジュリアン・ミラー>
しかし、報告書の作成に関わった首相官邸のジュリアン・ミラー氏は「そういった懸念はは知らなかった」と述べた。
調査委員会のジャームズ・ディングマンズ弁護士は「ケリー博士はジャーナリストに対して45分に配備できるということについて”間違っていたと首相官邸は知っていた”と話していた。もしそう言ったのなら、それは本当か?」と尋ねると、
ジュリアン・ミラー氏は「それは本当ではなかった」と証言。
ディングマンズ弁護士は「”キャンベル補佐官からの圧力があったために報告書に盛り込まれたと、ケリー博士はジャーナリストに話した”とあるが、もし話したのなら、それは本当だったのか?」と問うと、
ミラー氏「いいえ。それは真実ではないし、文言に変更は無かった」と証言。
<ケリー氏は、当初に国防省がいった以上に、国家の上位秘密情報に接触できる地位にいた>
一般の公務員の地位からは完全に違い、政府や軍などの機密情報にも接触できる立場にあり、MI5・MI6情報当局、国防総省、CIAなどにも日常的に接触ができた。
政府からはマスコミ担当者として、厚い信頼も受けていた。
さらにイラク査察ではこの10年間、真面目に完全を目指し調査を行った。
これによって、ケリー氏がジャーナリストに話した内容についても信用度が大きく高まった。

国防省の局員の中には、イラク大量破壊兵器報告書の信憑性について、疑問の声もあがっていたことも明らかになった。
しかし、証言に立ったミラー氏が、キャンベル補佐官や政府による情報操作はいかなるものも一切無かったと、強く否定している。BBC
ケリー氏は、国防省がいう以上に上位の秘密に接触できる地位にいた。
これだけの人物が果たして本当に自殺をしたのだろうか。
<公聴会2日目 : ケリー博士は死亡する前の公聴会で偽証した? BBC>

8/12 調査委員会はBBCラジオ「ラジオ4トゥデイ」のギリガン記者とBBCテレビ「ニュースナイト」のスーザン・ワッツ科学担当デスクらを証人として呼んだ。
<アンドルー・ギリガン記者>
ギリガン氏は5月の取材で、ケリー博士が「(イラクには)何らかの大量破壊兵器計画はあるものの、ヨーロッパやアメリカに対する脅威は政府報告書が指摘したほど大きくはないと思う」と、当時のパームコンピュータに入れた取材メモを見ながら述べた。
そのメモに保存されていたケリー氏の言葉は「もっと人目を引くようにするために、発表1週間前に手を入れること。特に45分間の部分。報告書の記述のほと んどの部分は二重の裏づけがあるが45分間の部分は情報源はひとつだけだ。情報当局の関係者、この点に満足していない。なぜならば、出そうと思っている見 方を反映していないからだ。」
メモの書き起こしには「キャンベルという言葉もあった。」
そして、「本物の情報だが、信頼できない。希望に反して入れられている」と話したと記録されていた。
ハットン卿はそのときにキャンベルという名はケリー博士が先に出したのかと問うと、ギリガン氏は「そうだ。間違いない」と答えた。再度、確認して聞くとギリガン氏は「ケリー博士から45分の話も出たし、キャンベルの名も出た」と述べた。
ギリガン氏は接触のある二人の政府高官にこの話を確かめ、二人とも「肯定も否定もできない」と述べたが、ひとりからは「取材を深めるべきだ」と言言われたと述べた。
ギリガン氏は、報告作成に関わった政府関係者2人に聞いた。
そのあと45分のことを5/30のトゥデイで言わざるを得なかったことを問い正された。
そのときのことを振り返り、ギリガン氏は完璧には適切な言葉を使っていなかったと認めている。

イギリス政府が2002/9末に公表した文書をめぐり、ケリー博士は「公表の1週間前に、イラク軍が45分以内に生物・化学兵器を使用できる、とする情報が盛り込まれた」と主張。
ギリガン氏がケリー博士に「セクシーにするためか?」と聞くと、ケリー博士は「よりセクシーにだ」と答え、その背景にいた人物は「キャンベル」と指摘したと述べた。
さらにギリガン記者が「(45分説は)キャンベルの捏造か?」と聞くと、ケリー博士は「情報は実在する」と否定したが、「政府文書に含まれた大半のデータが複数の情報源から得られたのに対し、単一の情報源からもたらされ、不確実だった」と語ったと証言。

公聴会では「ラジオ4トゥデイ」でギリガン氏の上司に当たるディレクターのケビン・マーシュ氏からギリガン氏の番組への事後批評メールも公表された。
メールはギリガン氏の放送のあと1ヶ月経って「捜査ジャーナリズムの報告として優れているが、報告に不正があるのがキズ。最大の問題はギリガン記者の曖昧な言葉遣いと、一部の言い回しなど思慮不足」だと指摘されていた。

しかし、ギリガン氏は「全体を通じて、自分の報じた話の基盤は正確である」と断言した。
最後にケリー博士の話を誇張または粉飾したかの問いに、ギリガン氏は「していない」と述べた。

ギリガン氏の証言の際は、彼の取材メモに加え、取材日を記録した手帳の写しや、ケリー氏取材の場となったホテルで注文したコーラ代4ポンド15ペンスのレシートまで委員会に提出し、証拠として公開された。
<ケリー博士本人の肉声テープ :スーザン・ワッツ記者>
独自にケリー博士を取材していたワッツ氏の公聴では、5/30にテープに録音していたケリー博士への電話取材の内容を公開した。
ハットン委員長は遺族へ与える影響からテレビやラジオで流すことは禁じた。

ワッツ氏は、問題の文章の中の45分問題について質問した。
ケリー「45分の脅威はいきすぎだ。彼らは情報得ようと必死でした。どうしても公開できる情報が欲しかった。そしてあれが出てきたときそれに飛びついた。 残念なことだった。だから情報局と内閣府・首相府の間に議論が起きてしまった。物事は一端取上げられると引っ込めることができなくなる。それが問題だ。」
ワッツ「でも、彼らはあなたのアドバイスに反した発表をしたんですよね?」
ケリー「私はそこまで強くは言わない。と、いうのも、私はあの評価には加わっていなかった。だから私のアドバイスに反してとは言えない。ただ、いい気持ちはしなかった。」
文章を公表する前の政府の1週間の動きについては、
「政府の文書の場合、言葉選びは非常に重要だ。情報当局は一般にとても慎重だ。しかし一旦、公の文章として公表するときは言葉遣いを変える。ウソをついた とは思わないがもっとも一般受けする文章を使ったのだと思う。心の底では正しいことではないと思っていてもそうせざるを得ないこともある。」

ワッツ「45分問題に戻りましょう。もう少し掘り下げて聞きたいのです。博士からの話からして、次のように考えてよろしいのでしょうか?あれはキャンベル氏自身が入れたことだと。」
「いや、私はそうとは言えない。私が言えるのは首相官邸の報道局ということ。私はキャンベル氏に会ったことはない。」
ワッツ「でも、彼らがこの部分に飛びついたのでしょう?」
ケリー「私はキャンベル氏イコール報道局だと考える。彼が責任者だからだ。」

委員会は、取材源が同じと考えたBBC幹部が、ワッツ氏に何をしてきたかと尋ねた。
ニュースナイトでのレポートが、ギリガン氏の報道を裏付けていると思うかとの問いに、
ワッツ「私はキャンベル局長が個人的に関与したかどうか聞いたときに、ケリー博士が『そうは言えない』と言ったので、私はキャンベル氏の関与を否定したのだと思いました。」
ワッツ氏は、BBCについて「ギリガン氏の報道と一致する内容に変える試みがあったので、これは誤解を与えるし、間違いだと思った」と、その体制も批判をした。

また、ワッツ氏は取材メモを元に証言し、ケリー博士は45分説について「あの部分は、1回しか裏付けできていなかったが、アリステア・キャンベル(ブレア首相報道官報道・戦略局長)がいい内容だ、聞こえがいいと感じて挿入した。しかし過ちだった」と述べたと語った。
メモには「A・キャンベル氏は何かを察知。単独の情報で裏づけは無い。しかし良い話のように聞こえた。」と記されていた
しかし、ワッツ氏は、この話は関係者の雑談に過ぎないと判断し、ケリー博士自身が本当のことを語ったのか確認できなかったため、「ニュースナイト」では使わなかったと話した。
<ヒューイット記者>
「10時のニュース」を担当し、「ニューストゥデイ」のレポートを取上げたヒューイット記者は、ギリガン氏がその取材をしたとは知らずにたまたま、ギリガン氏に相談したという。
ヒューイット記者が5/29にケリー博士との電話での会話でとったメモには「文書首相官邸の手が加わっている」と書かれていた。
ケリー博士は、文章を準備する際に政府側の操作が行われたと言ったと証言。
情報当局の人間はそれをどう思ったかの質問に、ケリー博士は一部の内容に不安を覚えたと答えたと述べた。
ヒューイット氏の、どうして45分問題が情報局の意思に反して挿入されたのか?の問いに、ケリー博士はそれには100%賛成しかねると答えた。
<リチャード・サンブルック報道局長>
BBCニュースの責任者 リチャード・サンブルック報道局長は、
委員会は、BBCでの編集プロセスについて。BBCの報道についてキャンベル氏とどのような話があったのか?BBCはどうしてケリー博士が取材源だとわ かったあとに、どうしてそのことを発表しなかったのか?ケリー博士が外交委員会で自分はBBCのい取材源ではないと発言したことにどう思うか?の問いに、
「彼は意図的に、はぐらかすように話していた。自分がBBCの100%の情報源だと示唆されないため、ある程度の曖昧さがあった。我々は彼に対する守秘義務があったと今でも思う」と証言。
<国防省の証言>

委員会はケリー博士を調査した。
「MI5のロビーで6月の半ば政府内で、発言の元がケリー博士に繋がることが判明した。博士はギリガンBBC記者に話したことを国防省の同僚に認めた。博 士は上司に、政府のイラク報告書に関して最も打撃となるコメントは自分はしていないというメモを送った。それによると『自分は報告書に関し深い不安感を感 じていない。なぜなら、イラクの大量破壊兵器能力への私の個人的見解と完全に一致しているから。』ということだった。」
ここでケリー博士の名前が公になる可能性が高まった。
ジェームズ・スティンガマン弁護士が「ケリー博士のように名差しされるのは公務員として珍しいか?」と問うと
ウェルズ部長は、「答えるのは難しい。私の経験から多分そうでしょう。しかし、状況が普通ではありませんから。」
公務員規定から懲戒処分が行われるかもしれないと警告がされた。
政府内の多くは、博士から詳細を聞こうと考えた。
首相も同じ考えだった。

ギリガン記者の表現は政府が言っていたこととは異なった。
合同調査委員会の委員長は政府の情報調整担当者に「すべての情報がギリガン記者への情報源がケリー博士であることを示している。」と、次のメールを送った。
メールは「ケリー博士には適切な矛盾を洗い出す防衛スタイルの面談が必要だ」というもの。
国防省ではケリー博士に証言させるか論議が続いた。
官僚トップのケビン・テビット氏はフーン国防相にメールで反対を伝えた。
「本人に対する考慮をすべきである。本人が名乗り出たのであって、裁判にかけられているワケではない。」
しかし、フーン国防相はケリー博士に公開で証言をさせると決めた。
国防相官房から外相官房にメモが送られた。
メモは「ケリー博士の証言でギリガン氏の証言に疑問を持つ議員も出るでしょう。首相府もこの決定に同意した」
そしてウェルズとケリー博士は上院委員会に主席。
外務省同僚は、博士が精神的にすごく神経質になってると述べた。
<ブライアン・ウェルズ国防省兵器管理不拡散部長>
8/14、ケリー博士の直属上司だったブライアン・ウェルズ国防省兵器管理・不拡散部長が証言。
ウェルズ部長は、BBC取材に博士が応えたことが判明した後、国防省高官は「マズイ判断だった」などと、ケリー博士を叱責したと明らかにした。

ウェルズ氏は「政府が情報機関の抵抗を抑え、イラク軍が45分以内に、生物・化学兵器を実戦で使えるとする情報を公表した」とのBBC9報道が政府の激し い反発を招いていた6月下旬に、ギリガン記者との接触をケリー博士が本来の職場である外務省同僚に伝えたということを国防省職員が聞きつけた。
ハットフィールド国防省人事局長とワッツが7/4・7に事情聴取したところ、博士が取材に応じたことを認めたと証言。
さらに、ハットフィールド局長は7/14に、博士に書簡を送って「記者の取材に応じたため、あなたも国防省もぶざまな事態に直面している」と批判。
ケリー博士に対して、今後もメディアと接触すれば、処分の対象になると警告したと述べた。 朝日新聞
<マーチン・ハワード国防情報局次長>
8/14 独立調査委員会で、イギリス政府が2002/9/24に公表したイラクの大量破壊兵器に関する報告書の草案が一部開示された。
イラクの脅威を誇張したとする「45分」の情報は公表の約2週間前の草案で初めて登場し、最終的に公表された報告書では、脅威に関する表現が草案よりさらに強調する表現に変わっていた。

ハワード国防省国防情報局次長は「最終版の表現が明らかに強まったとみなして正しいか」という問いに、「正しい」と、政府側の情報誇張があったことを認めた。
<トドメのeメール>

8/18 独立調査委員会5日目に、eメールが公開された。
メールは2002/9に、政府のイラク戦の根拠となった文書を公表する1週間前のものだった。
首相の主な補佐官であるジョナサン・パウエルのメールは、情報部高官に対して「文書の原案はイラクの脅威を示すものではない」と伝えていた。
調査委員会は、トム・ケリー首相報道官がパウエル補佐官あてに発信した今年7月上旬のeメールを元に審議された。
メールはケリー報道官が「今やBBCとのチキンゲームになった」と証言、「ネジ(ケリー博士)を締め上げるのを見ればBBCも下りるかもしれない」と書いていた。
<パム・ティアー国防相報道局長>
当時、ティアーはBBCの45分報道について、報道陣から追及されたときに備え受身の声明を用意していた。
しかし、その後、首相府報道局と検討した結果、より積極的な内容に変更し、「ある公務員が自ら名乗り出た」と発表した。
マーティン・ハワード国防省副情報局長は、ティアーと共同して報道陣への質疑応答を用意した。委員会にこれを提出された。
用意された質疑応答ペーパー
Q「その公務員とは誰ですか?」
A「国防省で働いている人物です」
Q「名前と現在のポストは?」
A「通常は名前は公表しませんが、もし正しい名前が出されたら、我々はそれを確認し、彼が核拡散および軍縮局の上級顧問であるということができます。」答えは幹部でなく中間職であることを強調している。
ハットン「ケリー博士の名前が公表されたら、彼がマスコミに集中的に追い詰められることを考えなかったのですか?」
ティアー「私たちはケリー博士のことは心配しました....それが疑われている他の人々を(マスコミから)回避する最良の方法だっただけで、私たちはこの考えに同意しました。」
積極的に名前を明かすことはしないが、絶対に明かさないは限らないとも言い、ケリー博士には名前が出るだろうと告げたと証言。
<ジョナサン・パウエル首相主席補佐官>
メールは、パウエルから、2002/9/17付けでジョン・スカーレット合同情報委員会委員長宛「件名:調査資料 : 文章は脅威を立証できるものではありません。サダムからの差し迫った脅威をそのままにしておいてください。サダムには手段はあるが、西側はもちろん、近隣 諸国を攻撃する動機があることを示すものでもない」「報告書公表にあたっては、サダムが差し迫った脅威である証拠があると主張するものではないことを、明 確にする必要があるだろう」
メールは、キャンベル報道・戦略局長とマニング外交政策顧問にもCCメールで送られている。

政府報告書は、9/10くらいに最初の原案が作成され、9/19に改訂案が作られている。
<(サー・)デビッド・マニング首相外交政策顧問>
<キャンベル登場>

8/19 キャンベル首相補佐官(戦略広報担当)が証人として証言した。
提出されたキャンベルからスカーレットへ宛てたメモには「100%快く思われないことは、一切、公にすべきではない」と書かれていた。
スカーレットはキャンベルに「下の方には快く思っていない人がいるかもしれないが、上層部ではそうではない」と、安心するようにと伝えたという。

「45分脅威論」が、いつ報告書に盛り込まれたかについて、
キャンベル「素案にあったかどうか覚えていない」「文書執筆はスカーレット委員長が担当した」などと証言。
情報は統合情報委員会がもたらしたもので、「生の諜報か、伝聞かも知らなかった」と述べ、「いずれの段階でも、自分が挿入したり、省略したり、影響を行使 したりしたことはない」と断言したが、「45分脅威論」を含んだイラク大量破壊兵器の脅威を強調した首相序文の草案を自ら執筆したことを認めた。

情報操作については、報告書の作成のいかなる段階でも、いかなる操作もしていないと証言。
報告書作成の関与責任追求は、合同情報委員会議長に委ねられ、自分は合同情報委員会議長の補佐役に過ぎなかったと強調していた。
しかし、今回、独立調査委員会で提出されたeメールなどにより、キャンベルが報告書の表現について詳細に指示したり、合同情報委員会議長から助言を求められていたことが明らかになっている。

証言によると、昨春イラクを含む4カ国の大量破壊兵器の報告書素案を作成したが、内容が乏しく、公表を見合わせた。
その後、ブレア首相が、イラクの「比類のない脅威」を国民に示すために報告書の作成を指示。
キャンベルは2002/9/3の日記に「なぜイラクなのか。なぜ今なのか?」と書いた個所を示し、その日文書作成が本格化したと述べた。
そして9/5の会合で文書を新たに書くことに合意。
統合情報委員会のスカーレット委員長が文書作成を引き受け、9/11にブレア首相に文書案が示された。
キャンベルは9/11の日記に、「私はスカーレット委員長に、『文書をドライにした方がいい。修飾もカットすべきだ』と話した」とあるのを提示し、「文書には表現が派手過ぎる部分があり、もっと諜報を根拠にした方がいいと思った」と証言し。
自分は情報を誇張したのではなく、むしろ、それを抑える立場だったと述べた。
<8/20 調査は7日目>

<サー・ケビン・テビット国防事務次官>
テビット「ケリー博士にはメディアとの接触について大きな自由裁量が与えられていた」「博士は、記者に対して法的に言っていい内容と言ってはいけないこととの間の曖昧なところに陥ってしまったようだ」

ケリー博士がギリガン記者と会ったことを知ってからのフーン国防相の反応についての問いには
「フーン国防相はこの情報をキチンと公開し、隠蔽を図っているような印象を与えないことが大事だとして、強く懸念していた。」
続いて首相府内、国防省内の会議が重ねられた様子について
「私は首相がこれを注視していると聞いていた。そこにはこの人物について何とかしたがっているいるという含みがあった。」
「数日後に行われれる下院外交委員会公聴会でケリー博士をさらし者にするべきではないと感じていた。そこでフーン国防相に申し出ましたが、退けられました。」
フーン国防相の決定に賛成だったのか?との問いには、
「不本意ながら従いました。誰を委員会に出席させるのかを決めるのは大臣の仕事です。ですから私は受け入れました。」
他に言うことは無いかと聞かれ
「この事件についてはいろいろ深く考えた。責任は感じている。しかし罪に問われる筋合いは無い。我々は正しいことをしたと満足している。」
<ゴドリック・スミス首相府報道官>
2002/9、首相府高官はイラクに関する政府文書についてアドバイスを行った。
2002/9/11 首相府高官はeメールで「サダムの悪無き願望を印象付けるべきだ」。
ケリー報道官のeメールは「大量破壊兵器に関するサダムの能力と使う意思をハッキリ区別すべきだ」と指示している。
ケリー報道官からキャンベルへのeメールに「サダムが自衛のためにというよりも、攻撃的に大量破壊兵器を使う意思があると示すことができるだろうか?」
特別調査委員会でスミスは「この特殊な政府文書を作成するため、情報部門と報道部門が出会った」と述べた。
報道部門の判断が情報部門の判断を傷つけたかとの問いに
スミス「そんなことは絶対に無かった」

スミス「(7/7)キャンベル報道官が『BBCの報道源と思われる人物が名乗り出たというニュースが今夜ある新聞に載る』というアイデアを思いついたが、話し合いの末、そのようなリークは止めようという結論に達した。」
<ケリー博士を夢想家と侮辱したと有名なトム・ケリー首相府報道官>
ケリー首相補佐官は、ケリー博士を夢想家と呼び、BBCの対決を度胸試しのチキンゲームと言ったのは首相府の発言を代弁するものか?という問いに「NO」と答えた。
<大物登場!ブレアと直接接する情報関係の最高幹部>

<ジョンス・カーレット>
8/26 MI6に30年間属し、元MI6モスクワ市局長である報告書作成責任者のジョン・スカーレット統合情報委員長が登場した。
この委員会は政府に極秘情報を提供する任務を負っている。
スカーレットはイラク大量破壊兵器に関する報告書の編纂を担当した。

報告書に関して行われた2回に渡る政府関係者との会議について質問を受けた。
2回とも議長はキャンベル補佐官だった。
「2回の会議で情報に関して話し合うことはなかった。補佐官が議長を勤めたことについては何の問題も無い。自分だけが報告書の草稿を担当していた。キャンベルと分かれ責任者として仕事を進めた。」

スカーレットは、キャンベルを始めとする政府高官が政府発表報告書について忠告し変更を求めたと証言。
関係者から懸念の声は聞かれたかという質問には「聞かれなかった」と答えた。
しかし最終的な決定権はスカーレット自身が持っていたと述べた。
政府文書に具体的な脅威を盛り込むのは有意義なことだったとした。

そして提出された2002/9/9付けの書類には「45分」が書き込まれていた。
「イラクは大量破壊兵器を拡散させたらしい。情報によれば生物化学兵器は20分から45分以内に使用可能になるということだ。」
そして45分という言葉だけが情報に盛り込まれた。

また、提出された2002/9/11付けの内閣事務局から送られたeメールには
「政府は統合情報委員会の委員長(スカーレット)を通じて、できるだけ強い内容の報告書を望んでいる、そこで(!)情報当局が適切と思う情報のすべてを盛り込むように。」と書かれていた。
しかし、スカーレットは戦争を視野に入れた報告書を書くつもりはなかったと証言。
スカレットは「報告書に特別な狙いなど無い」と述べた。

報告書を誇張しようという政府の意図がみえましたか?情報機関の当局者から意見は出たでしょうか?の質問に「いいえ」。
MI6の現場職員からはイラクの報告書に関する前例が出来上がってしまうことに懸念の声が上がっていたと証言した。

「45分脅威論」が情報局の反対を押し切って入ったというBBC報道については
「まったく違います。私以上に事実を知る立場にいる者はいません。」
またケリー博士の発言には、一貫性を持たせ、インタビューが安全にできるようアドバイスしたと言った。
法律的に完璧な受け答えをさせるために、ケリー博士の取材には誰かを立ち合わせることを提案したと述べた。
<サー・デービット・オーマンド>
情報の総合管理を担当する内閣事務局当局者サー・デービット・オーマンド。
ケリー博士が名前が公になることに同意したか?の質問には「覚えていない」と述べた。
また、ケリー博士が死んで首相府内で慌しい動きがあったと述べた。
これは疑惑の性格からして首相にとって多大な関心と懸念の元だったからだと証言。
<アンドリュー・マッキンリー議員>
ケリー博士に外交委員会で厳しい質問をした労働党アンドリュー・マッキンリー議員はのちにケリー博士の家族に謝罪している。
マッキンリーは議員にとってイラク戦争の大義名分が誇張されたかどうかを究明することほど重大な責務は無いとした。

フーンがケリー博士の委員会への出席時間を制限し、イラクの報告書を非公開としたことについて、
マッキンリーは閣僚が委員会の調査対象にとやかく言うのは甚だしい越権行為であると思ったと証言。
<フーン国防相 登場!>

8/27 独立調査委員会はフーン国防相を喚問した。
フーンはイラク戦争の最中4月下旬、ケリー博士とホワイトホール(食堂)で会ったときのことを話し、「ケリー博士は戦争に関し政府の方針を支持していた」と語った。
しかし、当時はそれがケリー博士だとは知らず、死後に家族の元に弔意を言いに行ったとき、そのときに話した男性がケリー博士だとわかったという。
BBCが報道した45分脅威論後に話が移ると、フーンは「ケリー博士の個人的な扱いについては国防省が主導的な立場にあった。これは政府全体についてもっと大きな意味があった。内閣府と首相官邸が事態を懸念していた。」と証言。
フーンは、ある関係者がBBCと接触したと公表すると決めたのは6/4の内閣府の出来事だったと述べた。
さらに「自分はこの会合に参加していなかったが内容は察しがつく。BBCに情報源を明かすように説得することについてさまざまな話し合いが行われた。」と述べた。
さらに「私はBBC会長に手紙を書くようにとのメッセージを受取った」と述べた。
フーンがこの手紙を書いていたころ広報担当が声明を発表したという。
その後、当局がケリー博士の名前を仄めかすという奇妙なプロセスが始まった。

どんな情報にもケリー博士と匂わすようなものがありましたね?の質問には
フーン「それには私は関係していません。この質疑応答は見ていませんし、その準備にも全く関わっていません。私が我慢できないのは、ケリー博士の名前を表に出すために、裏で何らかの申し合わせや戦略、あるいは計画があったとする見方です。それは全く事実とは異なります。」
ケリー博士の外交委員会の出席は、出席要請は断るべきという事務次官の進言があったのに、誰が決めたのか?
フーン「確かにこれは最終的に私の決定です。首相も同じ意向だと確信していました。また事務次官が私の決定に不満だ