今日は青ヶ島について書いてみたいと思う。
今回訪れるのは、去年の11月に続いて二回目だったんだけど、やはり、この島を上回る
秘境って日本にはそんなにないと思う。
お客さんたちとも話していたけど、この島には「ないもの」だらけ。
しかも、「島」だというから、イメージとしたら
子供たちは海で遊ぶとか、白い砂浜とか思い浮かべるよね・・・
それもないの。
この島には、砂浜がない。高さ100mくらいの断崖絶壁に周囲を囲まれていて
船は停泊できず、定期船は欠航だらけ。船以外では島に入るのは
一日一便の9人乗りのヘリ。その予約はとても大変。
潮の流れも速く、、ダイビングもできない。

(島のパンフレットより)
信号は島に一個。小中学校の前にある。(子供たちの勉強のため。子供たちは
中学校を卒業したら島を離れる)
島生まれのガイドさんは、去年この信号が赤になったところを一回見たかな、と言われていた。
島の道はすべて制限速度30km。
公共バスさえない。
世界でも珍しい二重式火山の島。
上のパンフレットの写真とは反対側からカルデラの中を見ている

カルデラの中に噴火でできた、もうひとつの火山がある。
この内側の火山は1700年代に噴火してできたもの。
その前にはこの山はなく、大小ふたつの池があったのだって。
そして人々は、畑を作ったりして住んでいた。
この外輪山の外は青く広がる海、波が岩肌を打ち続けている。

青ヶ島の港(三宝港)
周囲は崩れやすい土砂が固められている。船は吊り上げて、陸に置かれている。

船のチケット売り場と待合所は「待合所」という名前ではなく、「落石防護施設」という
頑丈な建物になっている。
船は荒波でしょっちゅう欠航になる。一週間船がこないのも普通とか。
この日も台風の影響で、海は大きなうねりで迫力だった。
てか、うねりというものを、まざまざと見せつけられた感じだった。

なのに!
この外輪(カルデラ)の内側は、信じられないような鬱蒼とした静かな深い森。

巨大なオオタニワタリがたくさん。

島の中にいることを忘れさせるほど。感じさせないほど。波音さえ聞こえない。
外輪山が潮風をさえぎり、木々が大きく育って鳥たちが住んでいる。
ここにはヘビもヤギのような植物を食べつくす哺乳類がいないので、植物にはトゲがない。(本土ではトゲがあるものも)

(私のiPhoneを防水ケースに入れたら、なぜかカメラの広角がこんなふうになる・・・合ってない不良品だった)
向こう側の(周囲の)カルデラに囲まれた、内側の山の静けさ。緑の豊かさ。
それがとても不思議な感じなの。この壁のすぐ向こうが海だとは信じられないの。
昭和の中頃まで、昔の風習が濃く残っていた。
本土では明治維新以降、どんどん神仏分離とか廃仏毀釈が推進され、
時代と人々の信仰や感覚が変わっていくのだけど、
この島では、長いこと昔のままの信仰と風習が変わることなく(なんの影響も受けることなく)
残っていた。
ガイドさんのお父さんの世代では、女の子が神社の中で遊んでいるだけで怒られたとか。
(汚れとか)
カルデラの内側の火山、丸山の山頂に建てられているご神体

富士様と呼ばれている。不思議な形の大きな石が三つあった。
火のような。
ここでお願いをするのははいいけど、叶ったら必ずお礼参りをしに戻ってこなゃ祟りがある
と言われ、
誰もお願い事ができなかった・・・・
カルデラの中は地熱があり、これはお客さんが寝転んで
あたたかさを感じていらっしゃる。笑

地熱サウナも楽しんだよ。10秒で汗が噴き出してきて
めっちゃ気持ちよいの。
ひんぎゃと呼ばれる、蒸気が噴きあがるところで
くさや、芋、卵、ソーセージ、おにぎりをあっためてお昼ご飯を食べた。
青ヶ島に伝わる、焼酎造りは有名で、あお酎という。
去年も買って帰ったけど、今年もまた違うの買った。
これは、島でしか飲めず、持ち出し禁止の、アルコール度数60度の。

飲んだよ。お客さんたちと。
強い味だった。この杜氏のつくって青酎を買って帰ってきた
次回友達くるとき、飲もう・・♪
焼酎は八丈島に流された流人が
薩摩から取り寄せた芋焼酎作りを伝えたところから始まる。
今でも伝統的な作り方で作っているのは青ヶ島の焼酎。
*
前の日記で書いた佐々木次郎太夫は、1767年生まれ。18歳のときに
青ヶ島の大噴火で(このときにはカルデラの中の山はなかった)島民と共に
八丈島に避難。大変な生活を強いられた。
八丈島も食べるのが大変で、他の人たちへの余裕などなかったのね。
姥捨てがあったほどなの・・・。
八丈島に人捨穴というのが残っている。50歳になると捨てられてのだって。
佐々木次郎太夫は八丈島での長い避難生活に疲れ切っていた人々の心をひとつにまとめ、
綿密な計画をたて、1835年に環住。86歳で亡くなるまで、青ヶ島の発展に尽くした。
青ヶ島で、今、この人のことを知らない人はいない。
強く、信念をもったリーダーというのはすごいものじゃ。
*
最初にいろんなのが「ない」
と書いたけど、島にいるうちに、
私たちにはないたくさんのものがある島だと
気づいていく。
*
ヘリは有視界飛行。風速10mくらいは余裕で大丈夫らしい。
でも、近くの電波塔が目視できるかどうかが目安になる。
私たちも出発の朝、帰れるか心配だったけど、
ヘリは雨の中飛んできた。
曇り空の中、バリバリバリって響いてくる、このヘリの,なんと言うか、強さ。


八丈島から青ヶ島はヘリでたったの20分。
50年間、帰ることを諦めなかった佐々木次郎太夫たちのことを
思わずにはいられなかったわ。
今回訪れるのは、去年の11月に続いて二回目だったんだけど、やはり、この島を上回る
秘境って日本にはそんなにないと思う。
お客さんたちとも話していたけど、この島には「ないもの」だらけ。
しかも、「島」だというから、イメージとしたら
子供たちは海で遊ぶとか、白い砂浜とか思い浮かべるよね・・・
それもないの。
この島には、砂浜がない。高さ100mくらいの断崖絶壁に周囲を囲まれていて
船は停泊できず、定期船は欠航だらけ。船以外では島に入るのは
一日一便の9人乗りのヘリ。その予約はとても大変。
潮の流れも速く、、ダイビングもできない。

(島のパンフレットより)
信号は島に一個。小中学校の前にある。(子供たちの勉強のため。子供たちは
中学校を卒業したら島を離れる)
島生まれのガイドさんは、去年この信号が赤になったところを一回見たかな、と言われていた。
島の道はすべて制限速度30km。
公共バスさえない。
世界でも珍しい二重式火山の島。
上のパンフレットの写真とは反対側からカルデラの中を見ている

カルデラの中に噴火でできた、もうひとつの火山がある。
この内側の火山は1700年代に噴火してできたもの。
その前にはこの山はなく、大小ふたつの池があったのだって。
そして人々は、畑を作ったりして住んでいた。
この外輪山の外は青く広がる海、波が岩肌を打ち続けている。

青ヶ島の港(三宝港)
周囲は崩れやすい土砂が固められている。船は吊り上げて、陸に置かれている。

船のチケット売り場と待合所は「待合所」という名前ではなく、「落石防護施設」という
頑丈な建物になっている。
船は荒波でしょっちゅう欠航になる。一週間船がこないのも普通とか。
この日も台風の影響で、海は大きなうねりで迫力だった。
てか、うねりというものを、まざまざと見せつけられた感じだった。

なのに!
この外輪(カルデラ)の内側は、信じられないような鬱蒼とした静かな深い森。

巨大なオオタニワタリがたくさん。

島の中にいることを忘れさせるほど。感じさせないほど。波音さえ聞こえない。
外輪山が潮風をさえぎり、木々が大きく育って鳥たちが住んでいる。
ここにはヘビもヤギのような植物を食べつくす哺乳類がいないので、植物にはトゲがない。(本土ではトゲがあるものも)

(私のiPhoneを防水ケースに入れたら、なぜかカメラの広角がこんなふうになる・・・合ってない不良品だった)
向こう側の(周囲の)カルデラに囲まれた、内側の山の静けさ。緑の豊かさ。
それがとても不思議な感じなの。この壁のすぐ向こうが海だとは信じられないの。
昭和の中頃まで、昔の風習が濃く残っていた。
本土では明治維新以降、どんどん神仏分離とか廃仏毀釈が推進され、
時代と人々の信仰や感覚が変わっていくのだけど、
この島では、長いこと昔のままの信仰と風習が変わることなく(なんの影響も受けることなく)
残っていた。
ガイドさんのお父さんの世代では、女の子が神社の中で遊んでいるだけで怒られたとか。
(汚れとか)
カルデラの内側の火山、丸山の山頂に建てられているご神体

富士様と呼ばれている。不思議な形の大きな石が三つあった。
火のような。
ここでお願いをするのははいいけど、叶ったら必ずお礼参りをしに戻ってこなゃ祟りがある
と言われ、
誰もお願い事ができなかった・・・・

カルデラの中は地熱があり、これはお客さんが寝転んで
あたたかさを感じていらっしゃる。笑

地熱サウナも楽しんだよ。10秒で汗が噴き出してきて
めっちゃ気持ちよいの。
ひんぎゃと呼ばれる、蒸気が噴きあがるところで
くさや、芋、卵、ソーセージ、おにぎりをあっためてお昼ご飯を食べた。
青ヶ島に伝わる、焼酎造りは有名で、あお酎という。
去年も買って帰ったけど、今年もまた違うの買った。
これは、島でしか飲めず、持ち出し禁止の、アルコール度数60度の。

飲んだよ。お客さんたちと。
強い味だった。この杜氏のつくって青酎を買って帰ってきた

次回友達くるとき、飲もう・・♪
焼酎は八丈島に流された流人が
薩摩から取り寄せた芋焼酎作りを伝えたところから始まる。
今でも伝統的な作り方で作っているのは青ヶ島の焼酎。
*
前の日記で書いた佐々木次郎太夫は、1767年生まれ。18歳のときに
青ヶ島の大噴火で(このときにはカルデラの中の山はなかった)島民と共に
八丈島に避難。大変な生活を強いられた。
八丈島も食べるのが大変で、他の人たちへの余裕などなかったのね。
姥捨てがあったほどなの・・・。
八丈島に人捨穴というのが残っている。50歳になると捨てられてのだって。
佐々木次郎太夫は八丈島での長い避難生活に疲れ切っていた人々の心をひとつにまとめ、
綿密な計画をたて、1835年に環住。86歳で亡くなるまで、青ヶ島の発展に尽くした。
青ヶ島で、今、この人のことを知らない人はいない。
強く、信念をもったリーダーというのはすごいものじゃ。
*
最初にいろんなのが「ない」
と書いたけど、島にいるうちに、
私たちにはないたくさんのものがある島だと
気づいていく。
*
ヘリは有視界飛行。風速10mくらいは余裕で大丈夫らしい。
でも、近くの電波塔が目視できるかどうかが目安になる。
私たちも出発の朝、帰れるか心配だったけど、
ヘリは雨の中飛んできた。
曇り空の中、バリバリバリって響いてくる、このヘリの,なんと言うか、強さ。


八丈島から青ヶ島はヘリでたったの20分。
50年間、帰ることを諦めなかった佐々木次郎太夫たちのことを
思わずにはいられなかったわ。