草むしりの「ことしの花火はどこにいこうかな。」
「神田古本まつり」で山下清 原画展図録「ことしの花火はどこにいこうかな」を買いました。
山下清と言えば蘆屋雁之助主演の「裸の大将放浪記」というドラマを思い浮かばれる方も多いのでは。二代目「裸の大将」窪地武雅版もありましたね。また古いところでは小林桂樹主演の東宝映画もあります。
山下清と言えばランニングシャツにデカパン姿。リュックを背負って日本全国を放浪する。そんなイメージがありますね。たぶん蘆屋雁之助版「裸の大将」をいつも見ていたのからでしょう。
それにしても雁之助版は長く続きましたね。その上何度も再放送されたので、いつも見ていた気がします。そのたびに子供のころ、山下清みたいな男の人がいたような気がしてなりませんでした。
ある時母に、あの人は山下清じゃなかったのかしら。と尋ねたことがありました。すると母は「違う。あれは○○の○○さん」と即答しました。
そういえば海辺の方の町に、そんな男の人がいたのを覚えています。名前を呼ぶと馬の鳴きまねをすると、聞いたことがありました。
お祭りが好きで、私たちの地域の夏まつりに来ていました。体が大きくてお腹もポッコリと出ていて、夏なのに茶色の冬服で山車の後をついて歩いていました。
おとなしい性格で悪い事もしなかったのですが、子ども心になんだか怖かったことを覚えています。
「そうか、あの人は山下清ではなかったのか」
ちょっと残念な気がしました。またそれとは別に昔はよく物乞いが来ていたのを思い出しました。当地ではその当時は、物乞いのことを「しとこ」と呼んでいました。
「しとこ」はお坊さんのような恰好をして、よく家の台所の勝手口の前でお経をあげていました。お経が終わると黙ってお茶碗を差し出します。母はその茶碗にお米をついで、その人が首からぶら下げた四角い布の袋の中に入れてあげていました。
「あの人が来たら、お茶碗にお米を入れてあげるのだよ」と母からは言われていましたが、「しとこ」だと思うとなんだか怖くて、いつも母の陰に隠れていました。
それにしても「あっ、また来た」っていうくらい、よく来ていました。ある時一人で家にいるところにやってきて、お経を唱え出しました。
怖くて仕方なかったのですが、お米をあげなければなりません。ところがあいにく米びつの中は空でした。どうしていいのやら、怖くて米が無いととも言えないし……。その後どうしたかは覚えていなののですが、それきり「しとこ」は来なくなった気がしました。
だから山下清似の人の話のついでに、その「しとこ」のことも尋ねました。
「ほらよく家に来ていたでしょ。お坊さんみたいな恰好をして、お米貰いにくる『しとこ』」
「しとこ?」
母はキョトンとしてしばらく考えていましたが、その人なら祖父の友達だよ。と言いました。いつも祖父の所に遊びに来ていて、そのついでにお経をあげて帰って行ったのだとか。
なんだ、そうだったのか。来なくなったのは、あの時私がお米をあげなかったからではなくて、その後祖父が急死してしまったからなのでしょう。
祖父は私が小学校に上がってすぐのころに亡くなってしまったので、祖父のとの思い出などほとんどありません。ですから「しとこ」(失礼しました、托鉢のお坊さん)のことは、祖父との思い出として記録に留めておきたいと思います。
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