うえぽんの「たぬき鍋」

日々のつれづれ、野球ネタ、バカ話など、何でもありの闇鍋的世界?

♪姿ぶくぶ~く、お腹まるま~る…って、オレのこと?(「ぼくドラえもん」3番歌詞より)

2005-03-13 20:19:31 | 雑記
21世紀の『ドラえもん』を受け継ぐフレッシュな声のキャストが、ついに決定!!
(テレビ朝日HPより)

世代交代の波が一気に押し寄せ、なんと206歳(平均約40歳)若返ったそうである。最初の内は違和感もあるだろうが、いずれみんな慣れるだろう。視聴者なんてそんなものだ。

ドラえもん=大山のぶ代という図式が完全に定着しているが、実は彼女は3代目である。
ドラえもん=テレビ朝日系列という図式も定着しているが、最初は違ったのだ。

テレビ朝日でドラえもんを放送開始したのは、1979(昭和54)年のことである。しかし、それより遡ること6年、1973(昭和48)年に半年だけ、日本テレビ系列で放映されていたという事実を知る者はそう多くないだろう。

藤子少年ランド」というHPの「幻のドラえもんをたずねて・・・」というコーナーを見つけた。ここではそのアニメ化第1弾としてのドラえもんを詳しく掘り下げている。
ドラえもんの初代声優はなんと、富田耕生だった。「平成天才バカボン」でバカボンのパパをやっていた人で、アニメ好きなら知らない人はいないと言ってもいいぐらいの有名な人である。さらに驚いたのは2代目が、これまた大声優の野沢雅子だったことだ。大山ドラえもんで頭が固まっている私には、両人がどんな声でドラえもんをやっていたのか、想像もつかない。
ただでさえ混乱しているところへ、ジャイアンの声をスネ夫(肝付兼太)がやっていたこと、これと同様に、のび太のママはのび太(小原乃梨子)がやっていたということを知り、私はただただ呆然とするしかなかった。かなり衝撃的である。

テレビ朝日で再びアニメ化される際に、原作者の藤子・F・不二雄氏が大山のぶ代の吹き替えを聞いていて「これがドラえもんの声だったんですね…!」と感激したという話があるが、それじゃ初代と2代目の面目丸潰れである。もっとも、日テレでのドラえもんは低視聴率で半年しかもたず、存在自体が抹消されているような状態であるから、F・不二雄氏としてもこれが実質「初代」なんだという感覚がつい、そういう発言につながってしまったのだろう。

ドラえもんなんて久しく見ていないが、「声変わり」第一弾は、話のタネに見てみようかな。

こんなヤツらが親だから…(怒)!

2005-03-13 01:02:42 | 雑記
私は子供が嫌いです。-伊武雅刀が歌う「子供たちを責めないで」の出だしの歌詞である。カラオケでよく歌うのだが、その度に「え、うえぽんて子供嫌いなの?」としょっちゅう聞かれる。バカなことを訊いてはいけない。尾崎豊の「卒業」を歌うヤツがみんな本当に夜の校舎で窓ガラスを壊してまわるものか。石川さゆりの「天城越え」を歌うヤツがみんな本当に「誰かに盗(と)られるくらいならあなたを殺していいですか」なんて物騒なことを考えていたらたまったもんじゃない。

しかしこの質問に関して、私は「そうだよ。オレ子供嫌いだよ」と答える。歌というよりただの絶叫に近いこの曲は、半分はウケ狙いだが残りの半分はマジな気持ちで歌っているのだ。
友人知己の子供ならまだいいが、見ず知らずの子供がそばにいると落ち着かなくなる。電車なんかで子供の集団に出くわすと頭痛がしてくる。でもって、そいつらが大声で騒いでいると、拳を握りしめ「テメーら静かにしやがれっ!」と、どやしつけ…たいが、それが出来ない小心者の私は黙って隣の車両へと移るのだ。
私は小さい頃から自然と感情や欲求を抑圧していたようなフシがある。あまり怒られた記憶はないのだが、怒られたり欲求を否定されたりすることが怖くて、わがままもそんなに言わない「いい子」だった。だから、感情にまかせて奔放に行動する子供に対する嫉妬みたいな念があって、子供が嫌いなのだと思う。

今日、祖父の見舞いの帰りに、私と母と伯母(母の姉)夫婦の4人で某ファミレスで食事をしたのだが、子供連れの家族のグループもいくつもいて、例によって子供がドタバタ走り回ったり意味不明に叫んだり泣いたりしてうるさいことうるさいこと。伯母が「私たち、外食するといっつもこうなのよね~」とため息をつく。
土曜日の夕方だし、家族で出かけた帰りにファミレスで食事、というのは定番のパターンではあるが、こういう場所での振る舞い方は子供が小さい内からきちんと教えておいてもらいたい…と言って、それが簡単に教えてできるぐらいなら親御さんも苦労はしないだろう。それはまぁ仕方のないことだとしても、注意も叱りもせずにほったらかしというのはどう考えても親の怠慢だ。そういう意味では今日の家族連れのグループの態度はみな「親失格」同然であると私は断言したい。
自分の子供が大声で泣いているのを無視しているような親もいた。よりによって私と背中合わせにいた家族だ。フロア中に響き渡るような大声で泣いているのに、父親も母親も声をかけようともしない。普通なら、とりあえずフロアの外に連れて行ってなだめたりするものだろうに、平然と食事を続けている。一体どういう神経なのか。子育てには図太い神経も必要だろうが、こういう場所ではもっと周りに気を配ってもらわなくては迷惑だ。真後ろで大きな泣き声を聞かされながら食べるご飯のなんと不味いことか。味付け自体は私好みだったのだが、台無しである。おかげで、ご飯を食べ終える頃には我々の方がぐったり。帰る段になってその子供が泣き止んだのも「何を今さら…!」と我々の怒りを増幅させた。

もう一度言おう。
私は子供が嫌いだ。しかし、
自分の子供をきちんと叱れない親はもっと嫌いだ。