「セは横浜が1位、オープン戦が終了」
(日刊スポーツHPより)
フフッ…フハハハハハ!!!!今年はこの勢いで優勝間違いなし!!!!…言ってみたかっただけとです…。
オープン戦の成績が当てにならないなんてのは、横浜ファンを20年もやっていれば基本中の基本的事項である。毎年必ずと言っていいほど裏切られ続けているのだ。もっとも、負けが込んだら込んだで「ああ、やっぱり今年もダメか…オープン戦は現実をまざまざと見せつけてくれるわ」と、前言を翻すのがオチなのだが。どっちにせよ、マイナス思考なのである。何でこんなチームのファンになっちゃったんだか。
小学校5年頃、野球にハマりはじめた当初は、周囲がみんな巨人ファンだったこともあって巨人になびきかけていたのだ。しかし、それを許さぬ人間がいた。父である。うえぽん一族は昔からアマノジャクなのだが(余談だが、母の旧姓は「アマノ」だったりする)、父もご多分に漏れずそういう性格なもんだから、巨人人気が隆盛だった時代にもかかわらず、アンチ巨人だった。
「お前、あんなひどいチームはないんだぞ…」と、「江川問題」を皮切りに過去の悪事をえんえんと説明し、「あんなチームを応援するのはやめろ」と、こんこんと息子に説いたのだった(巨人ファンの皆さんごめんね)。
私も単純だから「へー、じゃ巨人ファンはやめよう」と鞍替えすることにしたが、これから一体どこを応援したものか困った。そこで、選手名鑑をパラパラとめくって、適当なチームを探すことにした。実は、巨人以外のチームをよく知らなかったのである。ある球団の欄にさしかかって、ページをめくる手が止まった。
「横浜大洋ホエールズ」
えっ…?生まれた土地に球団があったの…?知らなかった!よし、今日からここを応援することにしよう!本当に、本当に単純な動機である。しかし、この軽はずみな決断を後悔するのに、さほど時間はかからなかった。この時大洋は珍しく出だし好調で、ファンになった時点(開幕してすぐ)ではたしか2位ぐらいにつけていたはずだ。ところが、ファンになった途端、悪夢の13連敗を喫してあっさりペナントレースから脱落、最終的には青息吐息で4位に食い込んだのだった。見切りを付けるならここだった。
しかし、私を大洋ファンに踏みとどまらせる事態がオフに起こった。広島東洋カープの名監督だった古葉竹識が、新監督に就任したのだ。今思えば、名監督が来たって選手のレベルが上がらなければ優勝なんてできるわけないのだが、幼い私はすっかり舞い上がってしまい、鞍替えをするチャンスを失った。
果たして、古葉大洋は潜水艦のごとく下位をウロウロし、3年目にはドベになり、5年契約であったはずの古葉監督はドベになった責任をとり(とらされ)、チームを去っていく。就任当初「古葉監督よ覇者になれ」という曲が作られたが、結果的には「覇者」ではなく「敗者」になったのである。
この頃になると、負けることに耐性が付き、ペナントレースに関しては「負けて当然、勝てば儲けもの」と常にマイナス思考になり始めていた。そして「負けたけど、屋鋪のファインプレーが見られたからいいや」とか「ポンセのホームランすごかったなぁ、試合はボロ負けだったけど」とか、負けの中にも明日への光明を見いだそうと、試合における観察眼を磨くようになっていった。勝ち負けだけにとらわれない野球の見方というものを、この頃から学んでいたように思う。ドラフトに興味を持ち始めたのも、アマチュア球界で評判の選手を見聞きして「ああ、コイツがウチに来てくれればチームも少しは強くなろうに…」という気持ちからであり、もし私が巨人ファンだったらこうはいかなかっただろう(負け惜しみじゃなくってよ!)。
こうして耐えに耐えてきたから、1998年のリーグ優勝&日本一は心底嬉しかったのだが、何せ優勝経験がないから、喜び方がわからなくて困った。リーグ優勝の時は、ながの氏の大学卒業制作に参加中で、ながの氏の地元の住区センターにいた。ラジオで優勝の瞬間を聞いて思わず飛び跳ねたら、同じく制作に参加していたミキ姉に気味悪がられてしまい、トーンダウン。その後、何だか訳もわからぬまま横浜に出てみたが、騒ぎは一段落したあとで、何となく白けた気持ちで家に帰ったのだった。
日本一の時は、渋谷の焼鳥屋で中継を見ながらGALLEON氏や風爺ぃ氏らと一杯やっていた。あの時、なぜか脳裏に「今日ウチが勝って日本一!」という確信めいたものがあったのだが、あえて口には出さずにいた。言ったらはずれちゃいそうな気がしたから。それが長いこと横浜ファンをやっている人間の奥ゆかしさである(自分で言うな)。
西武ライオンズ最後のバッター・金村が併殺打に倒れ、日本一が決まった瞬間、ファン仲間であるGALLEON氏とがっちり握手を交わして乾杯した酒は、それまで飲んだ中でも格別にうまかった。まさに勝利の美酒である。優勝パレードの紙吹雪もきれいだったなぁ。あの頃はまるで夢の中だった。
あれから早7年。優勝を機に黄金時代突入だ!とはいかないのがこのチームであり、すっかり昔の大味なチームに戻ってしまった。でも、もはや見捨てることはできない。出来の悪い子供ほどかわいいって言うではないか。そりゃ勝つに越したことはないし、強くなってくれたらくれたで嬉しいけれど、トホホな横浜が私は好きだ。野球は勝ち負けばかりが全てじゃないのである。野球だけではなく、人生もそうだと思う。「勝ち組」「負け組」なんて言葉は嫌いだ。世の中そんな簡単に2分化できるもんじゃないんだよ。
かつて、サックス奏者の坂田明はこう言った。
「勝負というものは、勝ち負けではない!」
(日刊スポーツHPより)
フフッ…フハハハハハ!!!!今年はこの勢いで優勝間違いなし!!!!…言ってみたかっただけとです…。
オープン戦の成績が当てにならないなんてのは、横浜ファンを20年もやっていれば基本中の基本的事項である。毎年必ずと言っていいほど裏切られ続けているのだ。もっとも、負けが込んだら込んだで「ああ、やっぱり今年もダメか…オープン戦は現実をまざまざと見せつけてくれるわ」と、前言を翻すのがオチなのだが。どっちにせよ、マイナス思考なのである。何でこんなチームのファンになっちゃったんだか。
小学校5年頃、野球にハマりはじめた当初は、周囲がみんな巨人ファンだったこともあって巨人になびきかけていたのだ。しかし、それを許さぬ人間がいた。父である。うえぽん一族は昔からアマノジャクなのだが(余談だが、母の旧姓は「アマノ」だったりする)、父もご多分に漏れずそういう性格なもんだから、巨人人気が隆盛だった時代にもかかわらず、アンチ巨人だった。
「お前、あんなひどいチームはないんだぞ…」と、「江川問題」を皮切りに過去の悪事をえんえんと説明し、「あんなチームを応援するのはやめろ」と、こんこんと息子に説いたのだった(巨人ファンの皆さんごめんね)。
私も単純だから「へー、じゃ巨人ファンはやめよう」と鞍替えすることにしたが、これから一体どこを応援したものか困った。そこで、選手名鑑をパラパラとめくって、適当なチームを探すことにした。実は、巨人以外のチームをよく知らなかったのである。ある球団の欄にさしかかって、ページをめくる手が止まった。
「横浜大洋ホエールズ」
えっ…?生まれた土地に球団があったの…?知らなかった!よし、今日からここを応援することにしよう!本当に、本当に単純な動機である。しかし、この軽はずみな決断を後悔するのに、さほど時間はかからなかった。この時大洋は珍しく出だし好調で、ファンになった時点(開幕してすぐ)ではたしか2位ぐらいにつけていたはずだ。ところが、ファンになった途端、悪夢の13連敗を喫してあっさりペナントレースから脱落、最終的には青息吐息で4位に食い込んだのだった。見切りを付けるならここだった。
しかし、私を大洋ファンに踏みとどまらせる事態がオフに起こった。広島東洋カープの名監督だった古葉竹識が、新監督に就任したのだ。今思えば、名監督が来たって選手のレベルが上がらなければ優勝なんてできるわけないのだが、幼い私はすっかり舞い上がってしまい、鞍替えをするチャンスを失った。
果たして、古葉大洋は潜水艦のごとく下位をウロウロし、3年目にはドベになり、5年契約であったはずの古葉監督はドベになった責任をとり(とらされ)、チームを去っていく。就任当初「古葉監督よ覇者になれ」という曲が作られたが、結果的には「覇者」ではなく「敗者」になったのである。
この頃になると、負けることに耐性が付き、ペナントレースに関しては「負けて当然、勝てば儲けもの」と常にマイナス思考になり始めていた。そして「負けたけど、屋鋪のファインプレーが見られたからいいや」とか「ポンセのホームランすごかったなぁ、試合はボロ負けだったけど」とか、負けの中にも明日への光明を見いだそうと、試合における観察眼を磨くようになっていった。勝ち負けだけにとらわれない野球の見方というものを、この頃から学んでいたように思う。ドラフトに興味を持ち始めたのも、アマチュア球界で評判の選手を見聞きして「ああ、コイツがウチに来てくれればチームも少しは強くなろうに…」という気持ちからであり、もし私が巨人ファンだったらこうはいかなかっただろう(負け惜しみじゃなくってよ!)。
こうして耐えに耐えてきたから、1998年のリーグ優勝&日本一は心底嬉しかったのだが、何せ優勝経験がないから、喜び方がわからなくて困った。リーグ優勝の時は、ながの氏の大学卒業制作に参加中で、ながの氏の地元の住区センターにいた。ラジオで優勝の瞬間を聞いて思わず飛び跳ねたら、同じく制作に参加していたミキ姉に気味悪がられてしまい、トーンダウン。その後、何だか訳もわからぬまま横浜に出てみたが、騒ぎは一段落したあとで、何となく白けた気持ちで家に帰ったのだった。
日本一の時は、渋谷の焼鳥屋で中継を見ながらGALLEON氏や風爺ぃ氏らと一杯やっていた。あの時、なぜか脳裏に「今日ウチが勝って日本一!」という確信めいたものがあったのだが、あえて口には出さずにいた。言ったらはずれちゃいそうな気がしたから。それが長いこと横浜ファンをやっている人間の奥ゆかしさである(自分で言うな)。
西武ライオンズ最後のバッター・金村が併殺打に倒れ、日本一が決まった瞬間、ファン仲間であるGALLEON氏とがっちり握手を交わして乾杯した酒は、それまで飲んだ中でも格別にうまかった。まさに勝利の美酒である。優勝パレードの紙吹雪もきれいだったなぁ。あの頃はまるで夢の中だった。
あれから早7年。優勝を機に黄金時代突入だ!とはいかないのがこのチームであり、すっかり昔の大味なチームに戻ってしまった。でも、もはや見捨てることはできない。出来の悪い子供ほどかわいいって言うではないか。そりゃ勝つに越したことはないし、強くなってくれたらくれたで嬉しいけれど、トホホな横浜が私は好きだ。野球は勝ち負けばかりが全てじゃないのである。野球だけではなく、人生もそうだと思う。「勝ち組」「負け組」なんて言葉は嫌いだ。世の中そんな簡単に2分化できるもんじゃないんだよ。
かつて、サックス奏者の坂田明はこう言った。
「勝負というものは、勝ち負けではない!」