うえぽんの「たぬき鍋」

日々のつれづれ、野球ネタ、バカ話など、何でもありの闇鍋的世界?

うえぽん版「お葬式」・第4話「怪しい三人組、桃色地帯を右往左往する」

2005-03-16 21:28:01 | 雑記
(『うえぽん版「お葬式」・第3話「踊らない大捜査線」』の続き)

今朝、喪服を試しに着てみたら、
太り過ぎでズボンが全然入らなかった。Σ(´ロ`;)
通夜は明晩、これは大変!!今日も母と妹との3人で斎場へ線香を上げに行くことになっていたので、その前に奥沢駅で途中下車して、駅前の「紳士服のコ○カ」へ飛び込み「喪服、喪服を~…急ぎなんですっ!」と店員に泣きを入れた。さっそくサイズを測り、適当な服が見つかった…と、その額5万円以上(滝汗)。いや、一応事前に銀行でちょっとは下ろしておいたんですよ…。でも、全然足らんとです!しかし、一番安くても4万以上とのこと。「安物の生地の喪服って、同じ黒でも色の質が全然違って目立つのよ~」と脅す母。急ぎの話だし、背に腹は代えられぬ。とりあえず母に立て替えて貰い泣く泣く購入した。
アジャスター付きだから、この先もっと太っても大丈夫だよ(ノ゜∀゜)ノ ワッショイ
ポスターの白石美帆嬢の笑顔が、心にしみるねェ…。

とりあえず横浜駅地下街で昼食を済ませると、母が「ちょっと見たいモノがあるんだけどさ」とニヤつき、相鉄ジョイナスの3階までつき合わされる。母はたまたまカーディガンが欲しくて、数日前ここを訪れた時に目を付けておいたブツがあると言うのだ。で、さっそく手に取り、鏡で見ると…「ダメだ。この色似合わないわ」と数秒で却下!

工エエエエエエ('A`)エエエエエエ工

まぁ、そんなもんだろう。母は「こんなの女の買い物じゃ日常茶飯事だから」とにべもなく言うのである。

横浜駅からバスで久保山へ。普段は関内駅から保土ヶ谷車庫行きの「32系統」という路線を使う。そうすると久保山の丘の上(「久保山霊堂前」)を経由するので斎場により近い。しかし、今回使った滝頭(たきがしら)行きの「68系統」は丘を上らない。丘の下の「久保山」バス停で降りて、急坂を上らねばならない。ちょっとしたハイキング気分である。ちなみに、坂の途中に「登坂」さんという家があった。単なる偶然なのか?

斎場に着くと、伯母夫婦が待っていた。今日は、祖母の弟夫妻(ウジイエさん)がお線香をあげに来ることになっているのだ。「待ってる間に3人でお墓に行ってくれば?」とヒロコおばさんが言うので、久々に祖母の墓にお参りをした。祖母はここで約四半世紀眠っており、そろそろダンナ(祖父)が恋しい頃だろう。「もうすぐおじいちゃんがそっちに着くよ」と墓に向かって声をかけた。
墓から戻るとウジイエさんが来ていた。安置室で、白木の棺に収められた祖父と再びご対面。安らかに眠っているが、さすがに二日も経つとすっかり「死体の顔」である。

その後、近くの喫茶店で延々とおしゃべりに花が咲いた。そこで聞いたところによると、最後の入院の2日前(3月2日)、もうあまり言葉が出ないはずなのにヒロコおばさんに「お酒」と言い、水を飲んでもむせてしまうぐらいだったのに、うまそうに飲んだというのだ。ヒロシおじさんは「ずーっと我慢してたから、最後に飲みたかったんじゃない?」と語る。確かに、祖父は無類の酒好きだったが、6年前に胃の大半を切除してからはほとんど飲まなくなっていた。飲みたい気持ちをずーっと抑えていて、最後の最後にちょっぴり「わがまま」。意志が固くて我慢強く、それでいて子供っぽいところもあった祖父らしい話である。
また、祖父は博識で新聞も隅から隅までよく読んでいた。体が思うように動かなくなり、新聞を読むの困難になった後もいきなり「世の中はどうなってるの?」と伯母夫婦に聞いてきたそうだ。ちなみに、ヒロシおじさんは「悪くなってますよ」と答えたそうである。

喫茶店が4時閉店で、一同解散。一家三人で「これからどうするかね?」という話になった。そこで事態は妙な方向に流れ始める。

「曙町へ行ってみようか」

以前、『他人の不幸は蜜の味。』及び『他人の不幸は蜜の味。Part2(追記あり)』で、母の同僚のダンナが浮気したという話を書いたが、ダンナが通い詰めていたファッションヘルスがあるのが、曙町なのだ。曙町と言えば、そのテの店が密集するヤバイ地帯であるが、母は「絶対見つけてTさんに報告してやる!」と俄然乗り気である。久保山霊堂からバス一本で行ける。ちょうどバスも来る時間というわけで、怪しい三人組は曙町へと乗り込んだ。
曙町界隈を二往復もする怪しい三人組。母は先頭に立ってズカズカと歩き、件の店を懸命に探したが、結局見つからなかった。曙町に行ったのはこれが初めてだったが、呼び込みの人が屯していたりして、すごく怖かった。頭の中がカーッと熱くなって、逃げ出したかった。一人ではとても歩けない場所である。よくTさんのダンナは平気だったものだ。もっとも、浮気するぐらいだから私のような小心者ではなかったのだろう。

夜、父が台湾から緊急帰国してきた。明日はいよいよ、通夜である。

(以下次号)

うえぽん版「お葬式」・第3話「踊らない大捜査線」

2005-03-16 09:25:14 | 雑記
(『うえぽん版「お葬式」・第2話「悲しむには早すぎる」』の続き)

昨日書いた分で、一つ重要な箇所を書き忘れていたので、ここで改めて記す。
打ち合わせの真っ最中、ケータイが突然鳴りだし、ヒロコおばさんが「もしもし…」と話し出したがすぐに絶句してしまった。「ちょ、ちょっとお待ち下さい…」と一旦間を入れるヒロコおばさんに母が「誰から?」と聞くと、なんと祖父の地元の老人会からだった。祖父は密葬にする予定だったから、まだ親類以外には知らせていないはずなのに。そして、なぜ教えていないはずの電話番号を知っていたのか…う~ん、ミステリアス!
実は、恐ろしい偶然だった。老人会の人は、最近の祖父の家がずっと留守で、姿も見かけないので心配になり、祖父の家の隣に住んでいるマスダさん宅に連絡を入れたそうで、マスダさんが親切にヒロコおばさんの電話番号を教えてあげたのだ。老人会の人としては今回の電話の内容は単に「祖父の具合はどうですか?」という割と気軽なものに過ぎなかった。電話を代わった母から「実は先ほど…」と、祖父の死を知らされた老人会の人の「えーっ!?」という驚愕の絶叫が電話口から聞こえる。向こうも驚いたろうが、こっちだって、その電話のタイミングに驚いた。
向こうは参列の意を表明していたが、再び代わったヒロコおばさんが「今回はごくごく身内でやりますので、申し訳ありませんがお気持ちだけで…」と、部屋の片隅で頭をペコペコ下げていた。

流れに戻って、15日。この日はコンピュータ講習の日である。昨晩あまり眠れなかったため、まぶたは重いし目がショボショボする。まぁ、これは多少花粉症の気もあるのだろう。眠気と戦いつつ講習を終えたその足で、鶴見の祖父の自宅方面へと向かう。仕事と、東戸塚の病院から預かった書類の件で、S病院に先に立ち寄った。K吾院長は診察中であったため、看護師長のイトウさんに書類を渡す。ついこの前までS病院にかかっていた時の祖父は比較的元気な方だったから、祖父を知っているイトウさんに事情を説明したら驚いて、持った書類を思わず握りつぶしそうになっていた。

その後、祖父の家に着くと、一族が既に部屋中を片っ端から「大捜査」していた。とりあえず印鑑や預貯金の通帳をまとめ、生前に「死んだらこれを遺影に使ってヨ」とあらかじめ撮っておいた写真(妙に怖い顔で写っていて個人的にはイヤなんだが)、数珠、棺に入れるお気に入りの服、愛用の杖、ハンチング(祖父は「ハンチング星人」だった)などをピックアップしておく。
押し入れやタンスから色々なものが出てくる。ヒロコおばさんと母が、姉妹揃って地元の私立女子中・高に通っていた時のバッジ。その学校は仏教系だったのだが、卒業時に「戒名」がもらえるという変な風習があった(今もあるのだろうか)。もらうのはいいが、その家の宗派とかが違ったりした時はどうするのだ。それはともかく、母がなくしたと思っていた、戒名を書き付けた紙が見つかった。その名も「清顔妙浄」(せいがんみょうじょう)。「要するに、アタシの顔がきれいってことじゃん?」と、母は勝手に解釈して喜んでいた。ちなみに、ヒロコおばさんがもらった戒名は「花屋妙麗」(かおくみょうれい)。偶然だが、ダンナであるヒロシおじさんの義姉は、埼玉県で花屋をやっている。

「あれがないわよぅ!」とヒロコおばさんが叫んだ。祖父が愛用していた、竹でできた大きい花かごがない、というのだ。「アタシ、おじいちゃん亡くなったらあれだけはどうしてももらおうと思ってたのにー!」とヒロコおばさんが嘆くと母が「えー!?あれアタシも狙ってたんだよー!」と静かに火花を散らす。遺産を巡って姉妹骨肉の争い!?でも、ブツは5千円に値切らせて買ったという花かごだ。ショボい、ショボ過ぎて逆に笑えるぞ。まぁ、お金で争うよかよっぽどマシではあるが。
ヒロシおじさんとトーゴちゃん(従弟)と私は「そんなもん誰かにあげたんじゃん?」と冷ややかにつぶやくが、半ば血眼になって探している姉妹には聞こえない。「おじいちゃんは何でもポンってあげちゃうんだからー!」と半ギレ状態である。祖父のその気前の良さで、アナタがたも今までいっぱい恩恵に浴してきたじゃないですか、もう。

この光景を見ていて、江戸時代に詠まれたある川柳を思い出した(一応近世文学専攻ですから、ね)。

「泣く泣くも 良い方を取る 形見分け」

伯母一家は葬儀の打ち合わせなどがまた残っているため、2時半頃に「今日の『捜査』はここまで」ということになった。
お葬式が終わったら、また形見分けや引き払いの準備などでここを何度か訪れることになるが、それが終わってしまえば、家も地主に返されて、もう来ることもないのか、と思ったら何だか寂しくなった。

(以下次号)