オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

犯人探しだけで問題は解決しない。

2022年10月04日 | Weblog

メディアの報道を見ていると、犯人探しに躍起である。

 犯人さえ見つかって、それなりの処分がなされれば問題が解決したと思っているが、そうではないと思う。時にはまだ犯人と確定していない容疑者でさえ犯人扱いである。早く犯人にして安心したいとでも思っているのだろうか?また、国民側もその傾向が強い。その期待、に応えるているのであろうか?いずれにしても、なにかおかしいと思うばかりである。

犯人探しだけでは問題は解決しない。

 犯人や容疑者を含めて本質的な問題点を見つけ出すべきなのである。まるで、西洋で過去に行われた「魔女狩り」の様相を呈している状況であり、この報道により、国民が過激に反応し、過剰な行動を起こし、状況によっては長期に渡っての風評被害をもたらす。毎回これを繰り返して、これで済ましてしまっている。これでは未来永劫本質的な問題解決とは程遠い。

犯人を見つけると安心するようである。

 そして、すべてを犯人のせいにして決着をつけてしまう。通常は制裁を加え、更迭し、追放してしまうのである。これでは本来の問題点は残ったままで、次の事件の張本人が現れてまた同じような事案を起こすことになる。これまでもこれからもこれを繰り返すつもりなのだろうか?どう考えても違うと思うのは私だけであろうか?

中東で仕事をしていた時、交通事故を起こしたことがある。

 交差点で、停止線をオーバーしたために、日本人の生真面目さから後退して正規の場所に止めようとしたら、後ろに車がいてぶつかってしまった。乗っていたのは大型のミニバンで、後方が確認しづらいのである。相手のドライバーが降りてきてベラベラとまくし立ててきたが、こちらは現地語がわからないので、ただ聞いているばかりであった。

しばらくすると、相手も諦めたようである。

 天を仰いで、神に対して「なんてことだ!!」というなり、その場を立ち去ってしまった。少し英語も喋れるようで、分かる範囲で聞いていると、「何でバックしたんだ」と言っている。ただ、気づいたことは、「お前が悪い」「お前の責任だ」という発言は一切なかった。どうしてこのような状態になったのか神のみぞ知ると言った感じであった。

決して犯人探しはしないのである。

 面白いなぁと思った。そして、「しょうがないなぁ」で済ましてしまうのである。相手を悪者扱いもしないし、罵倒したり、非難したりすることもなかった。相手を決して悪者にはしないのである。もっと言うと、悪いことはしてはいけないのであり、相手が悪いことをしたと言うことは重大なことになる。何があっても悪は絶対許されないのである。

そんなことを考えると、日本の現状がおかしく思える。

 正々堂々と悪者を探して悪者のレッテルを貼ってみんなで吊し上げているのである。本当にその人は悪者なのだろうか?そんな疑問も持つことはないし、これまでの履歴は無視して根っからの極悪人であるような印象で弾劾される。果たして彼だけが悪者なのかは定かでないし、その部分は見過ごされてしまう。

犯人を特定して徹底的に追求すれば、

 犯人は言いたいことも言えないし、周辺の関係する人達は口をつぐんでしまう。誰もとばっちりを受けたくないのである。よく当該事件の関係者が「現在捜査中のため詳細についてはコメントを控えます」と言う一言に表現されている。自由な表現が制限されるのである。反対に、容疑者の容疑を晴らすことに協力的であればもっと自由な発言が許されるのだろう。

本当の問題点を追求するなら、

 犯人でさえも容疑者さえも協力者なのであり、問題解決に重要な役割を果たすのである。全責任を負わせたのでは問題は解決しない。犯人や容疑者であってもその事件に遭遇した経緯と理由と言い訳があるはずであり、それが本質的な問題解決の重要な手がかりとなる。その部分を抹消してしまっては有力な解決策を見失ってしまう。

警察の職務には刑事と警備(公安)部門に分かれる。

 刑事は過去の犯罪の事実を徹底して解明し、証拠を集めて最終的には裁判所への起訴を目的としている。警備は国民の将来の安全を確保することを職務としている。ところが、刑事と警備の部門は全く分離していて協力することもないような気がする。相互の情報交換も捜査協力もなく競争対立しているような印象である。

刑事部門の情報は判明し次第情報が提供される。

 ところが、警備(公安)部門の情報は職務の性質からか情報が公開されることは少ない。国家情報、外交情報、組織情報、個人情報、暴力団情報、テロリスト情報、宗教関係情報、などなど我々国民にも密接な情報が多いし、必要な情報は提供されるべきであろう。刑事と警備が協力して相互に情報交換してあるべき姿の職務を遂行するのが本来の姿であろう。

メディアは刑事情報を逐一取得することができる。

 そのために、主体はその公式の公開情報によるのだろう。しかし、それは過去の事実を詳細に解明したものであり、将来の対策や教訓に言及したものではない。反対に将来の対策や教訓に言及することは刑事の職務権限外かもしれない。だからメディアの報道が偏ったものになるのかもしれない。少しは考え直す必要があると思う。

航空機事故調査は犯人探しをすることに執着しない。

 反対に犯人探しに執着すれば冷静で科学的、合理的な問題解明に支障を来す。犯人も事故を起こした当事者も問題を解明するための重要な要素にしか過ぎない。事故の原因は一本のネジかも知れないし、取るに足らない見過ごしかもしれない。それを見つけ出して教訓とし具体的な対策をして、二度と同種の事故が生起しないようにすることが目的なのである。是非見習いたいものである。


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