憂国の花束

右でも左でも無く、上でも下でも無く。

祖国日本よ! 誇り高くあれ。

皇嗣殿下妃殿下in広島

2022-06-12 22:32:54 | 皇嗣
6日宮内庁が発表した御予定中、皇嗣家の御予定は

皇嗣家(秋篠宮ご一家)
6/7(火)
秋篠宮ご夫妻 宮邸(地域おこし協力隊とオンラインで面会)

6/11~12(土~日)
秋篠宮ご夫妻 広島県(「第70回全国ろうあ者大会inひろしま」大会式典出席など)
6/12(日)
佳子さま 東京体育館(「第20回記念東京都障害者ダンス大会ドレミファダンスコンサート」出席)

となっていた。
皇嗣家の方々は淡々と予定通りの活動をされている。もちろん、皇嗣家だけではない。他の宮家の方々も予定通りにご活動されている。国民も勿論、そのようにしている。人々が予定に通りに動かなくては社会は安定を保てない。
日本は幸いに国民が予定通りに動くことの大切さを衆知している国なので社会生活が快適に保たれている。また予定通り、約束どおりにしなければならないという責任感をもっている国民も極めて多いだろう。
そんな国で、基本予定が立たない、活動しやすいように気を使いつつ最小限の予定を立てても予定通りに活動しない御一家がいる。「日本の象徴」である天皇ご一家ですね。

予定通りに活動されれる皇嗣皇嗣妃御夫妻は11日広島入りされ、原爆慰霊碑に供花されました。



雨に濡れながら花を供えられる御夫妻。
妃殿下のスーツに雨のしずくが光っています。

雨に濡れる両殿下の姿に思い出されるのは・・

御結婚(1990、6、29)の翌年1991年2月18日 第48回国体冬季大会「にいがた魚沼国体」 


😊 初々しい御夫婦が雪の中で頑張る姿に国民は大い喜んだものでしたが…。


😱 1993年7月14日(1993年6月9日御結婚) 結婚後初めての公務、壇上で堂々と居眠りする大胆さに国民は失笑したものでした。
この時の今上はまだ憮然とした表情をみせる気概があったようですね。

2005年2月岩手りんどう国体



秋篠宮ご夫妻広島ご訪問 原爆慰霊碑に供花



秋篠宮ご夫妻「全国ろうあ者大会」にご出席 3年ぶりに開催 
FNNプライムオンライン  2022/06/12 14:10 
秋篠宮さまは12日、広島市で開催された聴覚に障害がある人たちの全国大会に出席し、手話を交えながらおことばを述べられた。 

きのう広島入りした秋篠宮ご夫妻はきょう、新型コロナウイルスの影響で3年ぶりに開催された「全国ろうあ者大会」に出席された。秋篠宮さまは式典で「さまざまな障害に対する理解が更に深まり、皆が安心して暮らせる社会が築かれることを祈念し、大会に寄せる言葉といたします」と手話を交えながら述べられた。

また、秋篠宮さまは、災害時における情報アクセスなどに触れながら「自由に手話言語でコミュニケーションがとれるような環境が広がっていくことを期待いたします」と述べられた。




紀子さまは早くから手話に取り組んで来られている。
眞子さん佳子さまが幼少の頃から手話の絵本で手話を教えられたと知った時、ふと眞子さん佳子さまは手話がお好きだったのだろうか。好きでは無いながらも真面目に練習に励まれたのだろうか、と思った。
眞子さん、佳子さんともに手話で挨拶を交わすことはできても、相手とコミュニケーションをとることはできない。式典の御言葉は丸暗記で臨まれると報じられたことがある。
手話は皇嗣家のお家芸。問題意識から取り組まれた紀子さまは相手と手話でコミュニケーションをとることもお出来になると聞く。



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3 コメント

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Unknown (ダブルワイ)
2022-06-12 22:48:55
如意さん、こんばんは。
このご公務を取り上げてくださってありがとうございます。
この供花をされるのに、ん十メートルほど傘をさされずにずぶ濡れ状態で献花台迄歩いていらっしゃって何だかお労しい思いをしました。
すぐ後ろを歩く関係者の男性方は傘をさしています。
なぜご夫妻に傘を差し掛けられなかったのか。。?
天皇皇后にそんな無礼(?)しないでしょうに。
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Unknown (如意)
2022-06-15 01:06:46
ダブルワイさん
皇嗣御夫妻が傘を使用されなかったのは、御夫妻の希望だったのではないでしょうか。
原爆被災者への深い哀悼を表すために雨の中を歩かれたのではないかしら。
黒い雨の中を歩いた被災者に御自分を重ねたくて、というのは感情移入しすぎですかね。笑。
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雨と傘 (あかり)
2022-06-15 18:08:05
私も如意さんに1票です(^o^)。両殿下は、これまでのご無沙汰もあり、お二人で心静かにお歩きになりたかったのではないかと思います。
傘といえば、どなたかのブログで十年式年祭の時に瑤子女王がお側の方に傘を差し掛けておられるお写真がありまして、自然なお優しいお姿に私は打たれました。前を歩いている彬子さんは緊張している様子で、まっすぐ前を見ていました。オジサンがけっこうな雨の中で側を歩いているのに傘を差し掛ける、厳粛なお式ではあるが参加者はお身内ですし一生懸命働く人との繋がりも感じる和やかな写真でした。                          
信子妃の発症は、式年祭とエッセイ集発表のダブルパンチにやられたのでしょうね。傘を差しかける優しさはお母様には向かないほどこじれているのでしょうか。ただ、ちょっと知りたいのは、親王の本当に大変な時に彬子さんはイギリスにいて瑤子女王がお一人で向き合っていらしたのではないのですか?もしそうだとしたら、お若い女王が一人で衰え行く父親と向き合う大変な重荷を背負われたのでしょうか?その場合、母や姉の責任はけっこう大きい気がしますが‥😢               
                                           
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