憂国の花束

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13日 今上と雅子さま 三度目の能登行発表

2024-12-13 22:30:07 | 令和の天皇家
元日に地震が発生してから、3月、4月、そして12月、同じ地域へ年に3回の訪問。災害に苦しんでいる人々は全国各地にいるというのに、能登への依怙贔屓が過ぎるのではないでしょうか。

天皇、皇后両陛下が能登被災地に三度目の訪問へ…17日に被災者の見舞いなど予定
読売新聞ストーリー
天皇、皇后両陛下が、9月の記録的大雨で被災した石川県輪島市を17日に訪問されることが、13日午前の閣議で報告された。両陛下は元日の地震で甚大な被害が出た石川県能登地方を3月と4月に訪れており、能登地方を見舞われるのは今年3回目。発生から間もない被災地への訪問は即位後4回目となる。 

宮内庁によると、両陛下は17日午前、東京・羽田空港を特別機で出発。輪島市の能登空港から陸路で市中心部に移動し、市長から被災状況の説明を受けた後、河川の氾濫で被害が出た地域を視察される。避難所にも足を運び、被災者を見舞うほか、災害対応にあたった警察官や消防団員、自衛隊員をねぎらわれる。特別機で夜に帰京される。 

😐発生から間もない被災地への訪問は即位後4回目
即位後6年、被災地訪問4回のうち3回が今年1年のうちの能登行ですから、今上と雅子さまはよほど能登への執着がおありなのでしょう。

しかし、行かれた先では、、、、

😨 読売新聞が記事に添えた写真がこれ

能登半島地震の避難所で、被災者に声をかけられる天皇、皇后両陛下(3月22日、石川県輪島市で)

被災されて大変な思いをされたかたに批判がましいことは言いたくないが、正座する天皇皇后を一段高い所から胡坐をかいて見下ろすって、どういうこと!?
相手が天皇皇后でなくても、一段高い座に胡坐をかき、正座した相手を見下ろして対応するというのはいくらなんでも失礼ではないだろうか。
一段高い座に胡坐をかいた相手に膝まづく今上と雅子さまも、どうかと思います。パフォーマンスにしてもやり過ぎでしょう。

漏れ聞くところによれば、朝鮮では胡坐・立膝が正式な座り方。日本の正座を「あれは罪人の座り方」と蔑む。週刊誌は近い将来、今上と雅子さまが韓国へ行くとか行かないとか取り沙汰しているが、もしも、もしも、行かれたら、オンドル部屋へ招かれ、この写真のように胡坐をかいた彼の地のひとの前に、今上と雅子さま、正座して対応される場面も出て来るのでしょうか。

3月にこの写真を見た時は仰天したが、報道社記者も仰天したのでしょう。
今回、3度目の能登訪問を報じる「FNNプライムオンライン」「日本経済新聞」はサムネイルにこの写真を使用。サムネイルなのでクリックして記事へ飛ぶと其処にはこの写真は無いのだが、、、そうでもしても出したい写真なのでしょうね。
「これが天皇か!?」FNNプライムオンライン、日本経済新聞、私と同じようにそんな思いかもしれません。

愛子さまの初地方公務を当初能登訪問、和倉温泉でチャリティテニス観戦で準備していたが豪雨で中止になった経緯がある。
愛子さまのために準備させたことが無駄になったお詫び?それとも??
1年に3度の能登訪問、、能登には何か余程今上と雅子さまの心を惹きつける何かがあるのでしょうね。



信子さま賛歌

2024-12-13 00:19:31 | 三笠宮
12月8日『女性自身』がこのような記事をアップした。
32年前の記事を今再掲した『女性自身』の真意は不明ですが、この記事を読んで彬子さまから言われっぱなしの信子さまを見直してくださるかたが増えたら、嬉しい。私は、ずっと信子さまが好きでしたので。

記事中の写真から何枚か…

とにかくお洒落で、、、


寛仁殿下と御仲がよろしくて、、、


ボーリングシューズもお洒落😃


高価なキモノも普段着のようにさらりと着こなされる…

こんなにお嬢なのに、料理上手で漬物が得意。家庭の切り盛りもしっかりされ、寛仁殿下に献身的に尽くされていらっしゃったのに、、彬子さまから言われっぱなしの信子さまが御労しい。ご本人は勝気に「平気よ~」と笑われるでしょうが…

信子さまは寛仁殿下に尽くされましたが、ご実家麻生家は三笠宮家に対して経済的援助を惜しまなかったと昔の週刊誌は報じていました。
麻生家の援助が無かったら三笠宮大殿下を個人病棟に入れ最後まで手厚い治療を受けさせることは出来なかったとも…。
「三笠宮は貧乏」と大殿下も寛仁殿下も公然と口にされ、とかく金銭がらみの噂が多かった三笠宮家。
とはいえ誇り高い両殿下と百合子さま、信子さまの実家麻生家から援助を受けることには複雑な気持ちもあったのではないか、、経済的援助を受けている引け目のようなものがあるところにもって週刊誌に記事にされた屈辱。その反動が信子さまに向かったのではないか、、、とは私の推測ですけれども。
彬子さまと信子さまの間が此処までこじれてしまったのは百合子さまの影響も大きいのだろうな、と思います。
彬子さまが百合子さまから聞かされた「それまで聞かされていたのとは全然違っていた」話とは何だったのか。彬子さまはそれをきっかけに信子さまへの不信感をつのらせて行かれたようですが、、、私にはそれは麻生家からの援助に関わることではなかったのか、と思われてなりません。





彬子さまと言えば、12月10日鴨場接遇にお出ましされた彬子さまの御召し物がネットで取り沙汰されています。


😁 変なデザインというより、凝ったデザインというべきでしょう。

(おそらく寛仁殿下の)二着のジャケットをリメイク。
上に重ねたジャケット丈を短くして脇でタックを取って彬子さまの身幅に合わせると同時にデザインポイントにしています。


よく見るとジャケットの丈が左右で違います。下のジャケットは袖なしのジレかな?後ろがどうなっているか興味ありますね。

凝ったデザインのジャケットにワイドパンツ、着る人が着れば恰好良いと思いますよ。
例えば若い頃の信子さまなら、お洒落に着こなされたでしょうね。

ひとりで何もかも抱え込み意地で突っ張っていらっしゃるように見える彬子さま。寛仁殿下が召されたものを身に着けられることでしか、心の平安を得られないのかもしれないですね。
彬子さまと信子さまの間を上手に仲立ちしてくれる方はいらっしゃらないのでしょうか。