◎発表されたご予定
天皇、皇后両陛下、愛子さま
9月26日(木)
天皇陛下 御所(青年海外協力隊帰国隊員及び日系社会青年海外協力隊員ら10人との懇談)
9月28日(土)~29日(日)
愛子さま 石川県訪問(能登半島地震の復興状況視察など)
9月26日(木)
天皇陛下 御所(青年海外協力隊帰国隊員及び日系社会青年海外協力隊員ら10人との懇談)
愛子さま 石川県訪問(能登半島地震の復興状況視察など)
9月28日(土)
天皇陛下 グランドニッコー東京台場(全国重症心身障害児(者)を守る会創立60周年記念大会式典に出席)
天皇陛下 グランドニッコー東京台場(全国重症心身障害児(者)を守る会創立60周年記念大会式典に出席)
◎実際のご活動
(24日)
【午後】
陛下 ご執務(御所)
※26日 両陛下は、皇居・御所で、青年海外協力隊などで活動し、帰国した隊員らと懇談された。
(27日)
【午後】
陛下 ご執務(御所)
(28日)
【午後】
両陛下 全国重症心身障害児(者)を守る会 創立60周年記念大会式典ご臨席(東京都港区・グランドニッコー東京 台場)
※ご執務 週2回 午後
※今週、陛下は予定発表通りのご活動。雅子さまはドタ出2回。
26日 午後6時ごろ 青年海外協力隊帰国隊員、日系社会青年海外協力隊員らと面会
立ち話はマスク無し。
午後6時 夕食時に招いて茶の一杯も無し。
大テーブルの座談では、マスク全員マスク着用。
今上ご夫妻のマスク基準は理解不能です。
29日 「全国重症心身障害児(者)を守る会」の創立60周年記念大会
いつもながら、お二人お揃いで嬉しそうでいらっしゃいますね。
陛下はドヤ顔、雅子さまは含み笑い、、、これもいつもながら
式典が終了し退場する小池百合子都知事。
始球式で骨折した足首がまだ回復されていないようです。
天皇皇后両陛下 障害者の親らの式典出席 障害者の福祉・医療の向上目指す
29日 華子さま「全日本ジュニア馬場馬術大会」を観戦
華子さま、少々雰囲気が変わられたのでは?
お召し物も華子さまにしては、気が入っていないように感じます。
華子さまが「馬術のフィギュアスケート」馬場馬術のジュニア全国大会を観戦 あす結婚60年の「ダイヤモンド婚」
9/29(日) 18:43配信 FNNプライムオンライン
常陸宮妃華子さまは「馬事公苑」で行われた「全日本ジュニア馬場馬術大会」を観戦されました。
「全日本ジュニア馬場馬術大会」は馬を正確かつ美しく運動させることを競い合うジュニア世代の全国大会です。優雅で美しい動きが求められる馬場馬術は「馬術のフィギュアスケート」とも呼ばれ、華子さまは、101歳の千玄室・馬術連盟名誉会長と共に10歳から16歳までの「チルドレンライダー」たちの華麗な舞を見守られました。
学生時代に馬術部に所属し、日本馬術連盟の名誉総裁を務める華子さまは、パリ五輪で92年ぶりに馬術でメダルを獲得した「初老ジャパン」の活躍を喜び、都内で行われた報告会で選手達を直接祝福されています。
華子さまは「皆さんいくつくらいから馬に乗っているのですか」「どういうところに技術が必要ですか」などと質問しながら観戦し、拍手を送られました。
華子さまは、あす30日、60回目の結婚記念日=ダイヤモンド婚を迎えられます。
インターネットの魔界・魔窟のような界隈を、インターネットサーフィンしていると、いつしか精神を絡め取られてしまいます。
囚われないように、インターネットから距離を置くのも、ひとつの方法です。
応対する如意さんは、寛容で優しい方ですね。
的外れなことを書いてしまっていたら、お許しください。
こんにちは。
大変でしたね。
何が粘着さんたちの逆鱗に触れるか予測不能なところがあります。ネットではよくあること、実生活でもたまにあることで粘着されてしまったら、逃げるしか手はないのだな、と粘着さんに追いかけられている方を見て思いました。
正面から対応しようとすると事態は益々悪化するようです。とはいえ、理不尽に粘着されているかたからすれば、こちらは悪くないのに、と受け入れ難く、馴染んだ居場所を放棄するのは悔しいでしょうね。
でも、たぶん、何故粘着されたのかと原因を探るのは無駄です。
みどりの風さんが尋ねられた方々がお答えにならなかったのは、そういうことではないかな?と思いますがどうでしょうか。
昨夜パソコンをリセットしようとしたら毎度のことですが「この垢、排除してから切断しますか?」とセキュリテイ側から尋ねられました。「もちろん! というより、侵入させないで!」と、こころの中で叫んでいました。17年ほど前に2ちゃん「皇室御一行様」の常連投稿者に加わったのでした。そこは、「美智子さま聖女伝説」発信場所だったと思います。わたしがネットど素人ってこと歴然でしたので、柔らかい表現で「あのね、皆が知ってる内容だから、貼らなくていいのよ」と牽制されてるのに「紀子さまイビリ、許せない!!」の思いで、あちこちから収集し大量に貼り続けました。もちろん、正確な情報厳選しました。当時は、マスゴミ真面目でしたし、重大な情報も隠蔽されていませんでした。秋篠宮家支持者お二人が、個人情報暴かれるなどして、半狂乱で退場して行ったあとは、わたしも他スレへの投稿から個人情報抜こうとされましたが、同情とか労りしか書かなかったので、幸い逃げ切れました。2ちゃんから大勢が脱走した時、わたしも
他掲示板に身を寄せました。そこへ追いかけて来た多分上記の人たちから、自スレやパソ内のメモ帳改ざん等々、さまざまな嫌がらせされ続けて来た17年です。何が言いたいかと言うと「こんな影響力皆無のど素人に、なぜ何年も執着するのか」ってことです。老舗秋篠宮家支持blog主さんたちに尋ねても、どなたも未経験で驚いていました。私が深夜族になった経過は、当時は8時~18時の侵入だったためでした。しばらくは静かだったのに夜間勤務になった侵入者さんの怒りは凄まじかったです。理由は、一つしか無いじゃ無いですか。わたしの投稿がお気に召さない=拡散してほしくないってことでしょう。聖女伝説全盛だったのに、今では悪口書かれ放題なわけですが、ひょっとしたらわたしの投稿も影響力あったのか。それゆえ今も追跡され続けているのかと想像するのです。出鱈目だったら無視されたのでは無いでしょうか?監視者さんたちの給料、少なく無いでしょうから、本気の監視・妨害以外は考えられませんです。長文、すみません。
こんにちは
どうなんでしょうか。
教師であり、スパイでもあったであろうバイニング夫人が兄については正確に報告し、弟についてはウソの報告をする理由は無いと思われますが?
上皇が学習院大学を中退したのは、頭の問題ではなく大学で勉強するより皇太子としての活動が面白くなってしまったからでしよう。御学問所がなくなったので学習院へ行かれただけで、大学卒業にはこだわりをお持ちではなかった。
当時の大学事情を今の価値観で読み解くと間違えることもありますので。
常陸宮殿下、、学校側は指導者のいうことを素直に受け止めて真面目に学ぶ殿下に無慈悲な対応はしません。柔軟な対応があったのでしょうね。
ごゆっくりさんは、周知の事です。他国を訪問する国際親善は、上皇のようには出来なかったと思います。
常陸宮様と華子様は、上皇と上皇后に蔑ろにされたと言われていますが、その陰に隠れたお蔭で、あまり重責はなく、夫婦でゴルフをしたり、愛犬を飼ったりと、寛ぐ時間も持てたのではないでしょうか。
今上と皇后は、まともに祭祀や公務を行おうとしないので、そのしわ寄せは、秋篠宮様と紀子様に行き、今上と皇后のやるべき分まで、務めています。皇室において過分な重責を担っています。
そして、悠仁様をお産みになったので、謂れなき非難や罵詈雑言も浴びせられています。常陸宮様と華子様お二人が、味わわなかった、苦しく辛い経験をされています。
小田部雄次氏は、愛子天皇推進派で、いつも皇嗣殿下御一家を貶めています。あまり信用出来ません。
以前、こちらでご紹介くださったときに直感したのは「明仁氏の評価は正確だろうけれども、正仁氏の低評価は怪しいかも」でした。明仁氏は学習院大の卒業が困難だったので、宮内庁が訪欧させたのですよね。一方、正仁氏は、学習院大大学院を卒業後、東大で研究者になりました。明仁氏に厳しかった学習院が、2歳しか違わない正仁氏に甘い態度を取ったとは思えません。徳仁天皇の「水」研究は、怪しさ満点ですが、海外の学会にも何度もお出かけという正仁氏は優秀だと思うのですが。あちこちに検索かけましたが、お人柄も含め、褒めているコメばかりでした。
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■■天皇は「ジミー」で常陸宮は「火星ちゃん」の愛称で呼ばれた2013.05.30
小田部雄次・静岡福祉大学教授(日本近現代史)
ttps://www.news-postseven.com/archives/20130530_188595.html?DETAIL
(略)戦後の日米友好の場に昭和天皇や今上天皇とともに臨席することが多かった常陸宮は、国民から当時の人気漫画の登場人物にちなんだ「火星ちゃん」の愛称で呼ばれるほど親しまれた。常陸宮は兄が進める皇室外交を積極的に輔佐し、昭和期に12回、平成期には21回も海外を訪問した。今上天皇と二人三脚で「開かれた皇室」をアピールする姿が国内外に印象づけられた。
理由①………執筆側の信頼度の問題。
理由②………わたしが経験した画面の奥のSEさんによる削除。誰々が反対したのかを知りたくて、検索しました。
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■■雍仁親王妃勢津子(ウイキ)
■秩父宮妃時代
※皇位継承者問題
香淳皇后、高松宮妃喜久子と共に、皇太子明仁親王と正田美智子の結婚については反対の立場で一致しており、「東宮様のご縁談について、平民からとは怪(け)しからんとのことで、皇后様(香淳皇后)が喜久君様(喜久子妃)と勢津君様(勢津子妃)をお呼びになってお訴えになった由」(『入江相政日記』)。また、勢津子の母で貞明皇后の御用掛を務めた松平信子も、両名の結婚に猛反対していた。松平信子は柳原白蓮(勢津子の義父・大正天皇の生母である柳原愛子の姪)と共に、右翼団体を動かして正田家に辞退を迫ったという(同書)。彼女たちの美智子に対する個人的な嫌悪感と同時に、この結婚が戦後の旧皇族の臣籍降下(=皇籍離脱)や華族制度の廃止などに続く「上流社会の没落の流れの象徴」とされていたことによる。ただし、勢津子は皇室会議では皇族議員の一人として結婚に賛成している。なお、母の松平信子は元梨本宮守正王妃伊都子の妹で、女子学習院の同窓会組織『常盤会』の会長を務め、旧皇族・旧華族の婦人の代表を自認しており、娘の勢津子と共に反美智子派旧皇族・旧華族婦人の領袖であり続けた。
>「ウイキは、信じ切らぬほうがいい」
、、そうですね。
つい2,3日前、ニュースで衆院選への立候補をほのめかした政治家の経歴をwikiで見て見たら、何と!私と同じ中学高校を卒業したことになっているではありませんか。この方は私の同窓ではないと断言できます。まあ、政治家の学歴詐称は大学以外は問題にもならないでしょうが。不快です。笑
みどりの風さんが皇室ウォッチャーになられたのは、悠仁殿下の御誕生あたりだったのなら、バイニング夫人の記事をご覧になったことがなくても不思議ではありません。
バイニング夫人の手紙が公開されたのは手紙が書かれた50年後、アメリカで機密文書扱いの期限が切れた時ですから、1997年ごろ?
悠仁殿下の御誕生は1906年ですから…
さすがに「兄は中の中、弟は口に出さないほどひどい」だの「将来の天皇の頭が悪い事は両国にとって良いことだ」などと書いてある手紙を長く世間の眼にさらしておくことは出来ないでしょう。その時は新聞、週刊誌共に大きな記事にしましたが、すぐに、バイニング夫人の手紙については書かれなくなりました。
国会図書館には全国紙の縮刷版が保存してあるようですから、研究するつもりなら資料は得られるのでしょうが、そこまでは、、、
>紀子さまがなぜお姑様から、こんなに理不尽にいじめられているの? ひどい!!」
、、、紀子さまはね、美智子さまからそれはそれは可愛がられていらっしゃったのですよ。
雅子さまが結婚して1年くらいたったころ、これはTVでリアルに報道されたものを視聴したのですが、会見で二人の嫁(意訳)についての感想を求められた美智子さまは、
雅子さまを「雅子さん」と呼んで通り一遍の誉め言葉で終え、紀子さまを語る時は、ぱっと顔を輝かせ「紀子ちゃんはねー」と数々のエピソードを嬉しそうに語っていらっしゃいました。
それが、ある時急に紀子さまに対してよそよそしくなられた。その転換点がいつだったのか、はっきりしないのですが、愛子さまが生まれてから、雅子さまの様子がとみにおかしくなったころだったような??
雅子さまが入内されてから、皇室の雰囲気が悪くなったことだけは、確かなのですが、、、
>公開されたバイニング夫人の手紙を読まれなかったの?新聞にも週刊誌にも大々的に報じられていましたが。…... への返信
はい。以前如意さまに教えていただくまで
知りませんでした。
わたしが皇室ウオッチャーになったのは、「トプカプ宮殿」垢で沸いていた時期。悠仁親王殿下お誕生の約一年後だったようです。トルコ政府が門外不出のトプカプ宮殿所蔵「金のゆりかご」を、親王殿下お誕生を祝って貸し出してくれたこと、その一か月後だかに「トプカプ宮殿」垢で超安値で皇室お宝が売りに出された流れを最近知り、忘れていた自分の2ちゃん進出時期を確定した次第です。と言っても「紀子さまがなぜ
お姑様から、こんなに理不尽にいじめられているの? ひどい!!」と悲憤慷慨したのが切っ掛けでしたので、知識量は偏っていますし、少ないです。
それ以前の知識は、新聞を結構隅々まで読んでいたので偶然引っ掛かったにすぎず、バーニング夫人のご発言には気づきませんでした。地方紙なので掲載されなかった? でも、重要な内容ですので非掲載は、考え難いですよね。縮刷版は無いはずですので、確認出来ませんです。
>、、、小児麻痺?聞いたことがない。おたふく風邪を患ってお子様が望めないという噂は早くからありましたが…... への返信
こんにちは。お返事、ありがとうございます。わたしも、おたふく風邪と聞いていた気がして、驚きながらも貼らせていただきました。「ウイキは、信じ切らぬほうがいい」と言われていますのでorz 実際に、つい数日前、気になる部分をあちこち読み比べていたとき、二度目に入ったら、その部分が消えていました。コピーしてありましたので、実害は少ないですが、ウイキって検閲してるんだと、驚きました。
こんにちは
>一方的思い込みで、身位を情緒的に捉え過ぎます。秩序を重んじる皇室が、感情で順番を代わる訳がありません。
、、、そうなんですよね。
皇位継承順位に基づいて決まる身位は厳かで否応ないものなのですよね。
身位自体を知らない人々が、新年祝賀の儀などで身位に従って動かれる秋篠宮殿下を汚い言葉で猛バッシングしているコメントを目にすると怒りと共に暗澹たる気持ちになります。
そういう人々は日本人では無い、と決めつけて安心していて良いのかと不安にもなります。身位を軽視するかのような行動を取る今上ご一家を目の当たりにすれば、日本人でも、ネットのコメントを真に受けて、秋篠宮殿下のほうが間違っていると思いこんでいる人たちも少なからず居ると思われて、イヤな気持ちになるのですよ。
崩れ切った皇室の一角で、秋篠宮ご一家、常陸宮ご夫妻は清らかに秩序をもって日々を過ごされていらっしゃるのが救いです。
みどりの風さん
こんにちは
>「如意さんに盾突く不埒なやつ」とお思いなのですか?
、、、トルコ桔梗さんは、そのような思いで投稿されたのではないと断言できます。
トルコ桔梗さんはね、思い込みの激しいみどりの風さんに「それはみどりの風さんの思い込みではありませんか?」とさりげなく指摘したかったのだと思いますよ。
私もどちらかというと思い込みやすいほうなので、みどりの風さんのお考えは理解できます。理解はできますが、賛同できない。笑
私が賛同できない意見でも、皇室を真面目に考えての意見は承認しています。
思い込みやすい私とみどりの風さんの違いは、私は自分が思い込みやすい人間だと知っている、ということかな?
>「宮様は華子がお守りいたします。」
、、、私は新聞で読んだ記憶がないし、ませた私はこっそり大人の女性週刊誌や女性誌も読んでいたのですが、当時の女性週刊誌でも目にした記憶がないし、周囲の皇室大好きな大人たちが、そんな噂をしているのを聞いたこともない。
みどりの風さんの御記憶を否定しませんが、私の中の「後世の創作だろう」という思いは消えません。当時の新聞記事が出てくれば、考えをあらためますけれども…
>こころにもご不調があったというのは
、、、小児麻痺?聞いたことがない。おたふく風邪を患ってお子様が望めないという噂は早くからありましたが…
常陸宮殿下がお姉さまの厚子さまと同じく「ゆっくりさん」だということ、それこそ、当時、殿下の御誕生から見ていた国民の共通認識でした。
後年、機密期間を過ぎて公開されたバイニング夫人の手紙の中に、二人の教え子の成績を報告している部分があり、そこには
「兄のほうは、中の中。弟のほうは口にしないほうが良い、、、しかし、将来の天皇の頭が良くないのは、アメリカと日本両国にとって幸せなことだ」(大意)と書かれてあり、常陸宮殿下はやはり「ごゆっくりさん」さんだったのだと国民が知ることとなりました。
みどりの風さんは、公開されたバイニング夫人の手紙を読まれなかったの?新聞にも週刊誌にも大々的に報じられていましたが。
「ごゆっくりさん」で、学者として研究成果をあげられるのか、とお思いかもしれませんが、「ごゆっくりさん」認定の厚子さまでも、難しい生け花の検定試験を次々にクリアされていた、と、同じ流派で厚子さんと並んで学ばれたかたが証言されていましたので、常陸宮殿下も良き指導者がお助けすれば研究成果もあげられたことでしょう。皇族は望めばどんな優秀な指導者でも得られるし、指導者から助言を得ることは民間でも当たり前です。
愛子さまと厚子さま、常陸宮殿下との違いは、「判断力」のレベルの違い「温厚な性格」と「一つのことに努力を続けてより上を目指す資質」の違いでしょうか。
「如意さんに盾突く不埒なやつ」とお思いなのですか? どんな意見にも門戸を開いてくださる公平な方だと感じ、尊敬しています。でなければ「没かな、採用かな」とドキドキしながらヤバい投稿繰り返しはしません。こころから感謝しています。
>心のなかでは、お守りしますと思っていたでしょう。... への返信
上に書かせていただいたとおり、当時、新聞で読んだのです。追記させていただいた2件のコメントが同じ言葉を再録しているということは、実際にお発言になったのを当時大勢の国民が読み、感動したから拡散したのだと思います。
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「お子様見込めないことを了解したうえで
嫁いでほしい」との申し入れがあったこと、「宮様は、華子がお護りいたします」とおっしゃったとのニュースを読んだ記憶があります。
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>心身共に訳ありの方でしたから。... への返信
常陸宮さまは、お子様時代の病気のせいでお種が無いことは、漠然とでしたがかなり早くから知っていました。ウイキによれば、小児麻痺に罹患されたそうです。ですので、お身体虚弱というのは知って居ますが、こころにもご不調があったというのは………。当時人気の漫画の主人公「火星ちゃん」の愛称で国民に親しまれはしましたが、軽侮も含まれている気がして、わたしは不快でした。この漫画のせいで「宮様に心身の不調があった」と今なお誤解されているのだとすれば、お労しいです。
ウイキによれば、
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父・昭和天皇の学究肌の性格をよく受け継いでいるとも言われる。皇室では叔父の三笠宮崇仁親王とともに学者として豊富な研究成果を挙げており、高い評価を受けていた。英語も堪能で、海外の学会にもたびたび参加している。温和な性格
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如意さんは、面倒がらず、懇切丁寧に説明していました。
心のなかでは、お守りしますと思っていたでしょう。心身共に訳ありの方でしたから。嫁ぐ前から、覚悟の入内だったと思います。
如意さんは、個人の皇室関係のブログの中では、偏見もなく公平で、端正な文章を書かれる方です。
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♠2024年10月01日 華子さま、ご結婚の際に〖華が守って差し上げます〗と殿下に仰った。言葉通り、常陸宮様は華子さまとご結婚されて本当にお幸せそうです。
ダイヤモンド婚、おめでとうございます。
未来の秋篠宮皇嗣両殿下の御姿を拝見しているような穏やかな両殿下の微笑みですね。
ガールズちゃんねるや、SNS、各ブログに焦点を当てた天皇家支持まとめサイトだそうです。珍しいお写真多いですが、欲しい部分だけを引用させていただきました。
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■■「華が宮さまをお守りします」🌷 2021年01月18日
・・・・・・・・・・・・・・・
♠ 華子さまがお身体が弱い常陸宮殿下に
「華が宮さまをお守りします」って言ったエピソード大好き。
♠ 華子さま、感覚が男前!
♠華子さま素敵すぎる!!
上皇さまが、華子さまと結婚されていたら
どんなに良かったかといつも思います。
津軽家のご息女で、申し分無いお相手です。
お子様もお生まれになったことでしょう。
半世紀ほど前に、勤務する県庁を訪問されたときに、その思いを強くしました。
、、、当時見聞きした記憶がないので、何ともいえませんが、このお言葉には不自然なものを感じるのですよね…
御自分のことを「華子」とおっしゃるだろうか、とか、
まだ結婚もしていないのに「お護りする」は当時のうら若い、躾の行き届いたお嬢様にしては偉そうで少々不遜ではないだろうか、とか、
私が今も鮮明に記憶しているのは、ある朝届いた朝刊の1面半分位の大きさで出ていた、沈痛な面持ちで俯いて手袋のボタンをとめる若い女性の写真です。
徳川義寛邸で見合を終えて出て来られた華子さまを捉えたスク―プ写真だったようで大人達が新聞を囲んで口々に津軽のお姫様!津軽のお姫様!、どよめいていた姿も覚えています。
どうなのでしょうね、、、
お子様が得られないとわかっているかたを皇太子に推す!?
あり得ないです。笑
>ただ、ご成婚時からこのご夫妻がお子さまを得られないであろうことは、当時の人々はなんとなく予感していたように記憶しています。... への返信。
「お子様見込めないことを了解したうえで
嫁いでほしい」との申し入れがあったこと、「宮様は、華子がお護りいたします」とおっしゃったとのニュースを読んだ記憶があります。皇室についての興味&知識皆無だった子どものわたしにとって、このやり取りの重さはわかりませんでしたが、であっても並々ならぬお覚悟に、身震いし、好感抱いたのでした。そんな人、他にも多かったのでは無いでしょうか。「誰から、護るの?皇室って、そんなに怖ろしい場所なの?」と、震え上がったことも、思い出します。
お返事、ありがとうございます。
>大喪の礼で華子さまが香淳皇后の代理を務められたのは、皇位継承順位第3位(徳仁親王・文仁親王・常陸宮殿下)の親王妃であったからで、美智子さま云々からではありません。... への返信。
以前「常陸宮様を次期天皇にしようと動いた方たちが居たそうです(意訳)」と書かせていただいたことがありましたが、上記コメ投稿者さんも、恐らくはその動き等を知っていらしたのでしょう。それなりに広く知られていたのでは無いかと思います。
香淳皇后は諡で大喪の礼時の身位は皇太后。皇后美智子さまの下です。
こんにちは
常陸宮殿下と華子さまは褒められこそすれ悪く言う人はひとりもなく、昭和天皇香淳皇后もこの御二人から慰めを得られていたことが良く知られていますね。
お子さまがいらっしゃらないのがただ一つ、残念なことです。ただ、ご成婚時からこのご夫妻がお子さまを得られないであろうことは、当時の人々はなんとなく予感していたように記憶しています。
ご紹介のコメントですが、気になるところがあります。
>「皇統を継ぐにふさわしいと認めているのは常陸宮両陛下である」と。きちんと後世にもわかるように席次を上にされた。それは昭和天皇・香淳皇后両陛下の御意思であられたと推察してしまう
、、、これは当たっていないでしょうね。
大喪の礼で華子さまが香淳皇后の代理を務められたのは、皇位継承順位第3位(徳仁親王・文仁親王・常陸宮殿下)の親王妃であったからで、美智子さま云々からではありません。
皇族は身位が全て。それを個人的な感情でどうこうすることは有りえないことでした。
身位を軽んじ蔑ろにしている令和の天皇皇后のありようから、身位を知らない者たちが増えているのは、困った傾向だと思います。
家族単位を前面に出し、身位を軽視している今上ご夫妻も、さすがに新年祝賀の儀、園遊会等では今のところ身位を守らざるを得ないようですが、、、
常陸宮ご夫妻のダイアモンド婚、おめでたいですね。
華子さま、「もの言わぬは腹ふくるるわざなり」の心境でいらっしゃるのでしょうか?
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某blogのコメント欄より
昭和天皇陛下の大喪の礼で、皇后陛下の代理をおつとめになられた華子妃殿下。
あれは香淳皇后陛下のご体調よりも、御意志の表明であられたのではと思うのです。「皇統を継ぐにふさわしいと認めているのは常陸宮両陛下である」と。きちんと後世にもわかるように席次を上にされた。それは昭和天皇・香淳皇后両陛下の御意思であられたと推察してしまうのです。表に出さないけれどコンス妃のあれこれに悩まされたいわば被害者であられたわけです。
♢ ♢
平成になってからは、嵩にかかり意地悪されました。人は覚えているものです。
常陸宮両殿下が天皇・皇后であられたら日本はこんな惨状では無く、もっとまともで、私たちは微笑んでいられたのではと考えます。