ご日程
1月16 日(木)
午前 神戸空港 御着
午後 ホテルオークラ神戸 復興状況・県勢概要御聴取
兵庫津ミュージアム 御視察
ホテルオークラ神戸 御宿泊
1月17 日(金)
午前 ホテルオークラ神戸 御発
県公館 御視察
阪神・淡路大震災30年追悼式典 御臨席
午後 人と防災未来センター 御視察
神戸空港 御発
追悼式典会場は県公館である。
ご日程を見た他県の者は県公館と式典会場は別の場所と錯覚しそうですね。
水増し日程。
11時50分過ぎ、NHK中継は「式典は始まっています。間もなく天皇皇后両陛下入場されます。正午に黙祷します。」と繰り返していた。
県公館に何時に到着されたかは不明ですが、県公館御視察は時間調整のために設けられたご日程?
折角一泊されたのなら、早起きして市内各所で行われた地震発生の午前5時46分に黙祷する追悼式にもお出になったのなら、両陛下を見直すところですが、、、ホテルでゆっくり朝を過ごされてお出まし。
能登、東日本の被災地でも午前5時46分、夜明け前の寒く暗いなか戸外で黙祷する式典の様子をTVが伝えていた。
動画
天皇皇后両陛下が「阪神・淡路大震災30年追悼式典」にご出席 阪神・淡路大震災30年追悼式典 〈カンテレNEWS〉
見どころ
起立した参加者の間を歩いて入場されるのは珍しい。
😅 人々の間を進む雅子さまの帽子は見えるが、今上の姿はまったく見えない。
ご着席
黙祷のために立ち上がられた今上と雅子さま。
陛下をはじめ全員が厳粛な面持ちで正面を向くなかで、一人キョロと余所見される雅子さま。
公務でも宮中行事でもキョロキョロされるのは、ご病気だから?
いえいえ、ご婚約会見時にも賢所の階を十二単で重々しく歩まれた時もキョロキョロされていた雅子さま。雅子さまのキョロキョロ余所見癖はちっとも変わっていない。
お誂えなのでしょうが安い既製服のように見える雅子さまの式服。
同じものでも美人が着ると良く見えるとも、本物でも身につける人によっては偽物に見えるというが、、、
雅子さま愛子さまの場合、身につけられた誂え品が安物に見えてしまうのは何故でしょう。
動画
6400人以上が犠牲「阪神・淡路大震災」30年 天皇陛下「心強く思います」震災の記憶を次世代へ|TBS NEWS DIG
見どころ
県公館での高校生らとの交流、防災センターの御視察。
用意した高校生等の人選が良かったのか、交流も視察もこれまで見たなかでは一番良い出来ですが、どことなく、その場の方々のほうが浮きがちな今上ご夫妻に上手に合わせていらっしゃるように見えます。
動画中では30年前、地震発生の翌月と一年後に神戸を訪問された今上ご夫妻(当時皇太子ご夫妻)、の映像がみられる。
2000年、震災発生5年目の式典には、今上(当時皇太子)お一人が出席。
NHKは追悼式中継の中で「中東からの招きに応じてご訪問されたものの、ご日程を切り上げてご帰国された」と当時の今上ご夫妻の行動を説明していたが、、、
今上と雅子さまの阪神淡路大震災といえば、記憶から消えないのは「中東訪問事件」です。
地震発生3日後、ご夫妻は中東へ出発。
当初の主な日程(11日間)
1月20日 羽田発、シンガポール泊
21日 クウェート入り。歓迎式典。首長表敬、首長主催の晩餐会
22日 皇太子との会談、遊牧民の住居などの展示を視察、皇太子主催の晩餐会
23日 アラブ首長国連邦のアブダビ入り。アブダビ皇太子と歓談、皇太子の晩餐会
24日 ラクダレース見学、五輪代表候補による日・ア親善サッカー試合ご覧
25日 ドバイで運河を観覧、ドバイ皇太子午餐会、日本総領事館開館式
26日 石油施設視察、ヨルダンのアンマンへ、国王王妃表敬、皇太子夫妻の晩餐会
27日 王廟訪問(陛下)、赤新月社病院開所式(雅子さま)、ペトラ視察、アカバへ
28日 死海視察、国王・王妃主催の晩餐会
29日 王立科学院視察、記者会見、歓送式典、帰国へ(シンガポール泊)
30日 帰国
1月20日 羽田発、シンガポール泊
21日 クウェート入り。歓迎式典。首長表敬、首長主催の晩餐会
22日 皇太子との会談、遊牧民の住居などの展示を視察、皇太子主催の晩餐会
23日 アラブ首長国連邦のアブダビ入り。アブダビ皇太子と歓談、皇太子の晩餐会
24日 ラクダレース見学、五輪代表候補による日・ア親善サッカー試合ご覧
25日 ドバイで運河を観覧、ドバイ皇太子午餐会、日本総領事館開館式
26日 石油施設視察、ヨルダンのアンマンへ、国王王妃表敬、皇太子夫妻の晩餐会
27日 王廟訪問(陛下)、赤新月社病院開所式(雅子さま)、ペトラ視察、アカバへ
28日 死海視察、国王・王妃主催の晩餐会
29日 王立科学院視察、記者会見、歓送式典、帰国へ(シンガポール泊)
30日 帰国
😐 26日ヨルダン、ハッサン皇太子主催の晩餐会の前にフセイン国王、ヌール王妃と歓談が行われた際、国王から「ご心配でしょうから帰っていただいても良いですよ。」とやんわり帰国を促されてしまった。
真意は「遊んでいる場合か、帰れ」でありましょう。恥ずかしい。
27日予定を変更して、その日のうちに帰国。
空港でブンむくれる雅子さまの姿が全世界に発信されてしまった。恥ずかしい。
後年、今上は「死海が見られなくて残念だった。」とこの訪問の思いでを語った。
1月28日羽田着。
2月26日、合同慰霊祭出席のために兵庫県を訪問。
「中東訪問中も心を痛めていた」と言う割には、震災地入りが遅すぎるような。
NHKがさらりと”あの”中東訪問を美しいエピソードに変えてナレーションしたように、30年もたてば記憶は風化していくのでしょう。
様々なマル秘資料が30年経てば公開されて新たな記憶となる一方、風化して行く記憶もある。
阪神淡路大震災が発生した同じ年、オウムサリン事件が起きた。あんなに国中が驚いた事件も、今は語られることがない。
伊藤律、、スパイかスパイで無かったのか。
最後にマスコミの前に現れた伊藤律は「私がスパイであったか、無かったか、それは歴史が証明してくれるでしょう。」となよなよと語り、口に手を当てて「ホホホ」と笑った。1989年死亡。
なるほど30年も経てば、マル秘資料も公開され、伊藤律がスパイだったか、スパイで無かったか明らかになるだろうと待っていたのですが、歴史が証明するどころか、今では名前を憶えているひとがどれだけいるだろうか。
30年、という時間は重い。
私には点数稼ぎのパフォーマンスとしか見えない、追悼式ご出席と御視察ですが、天皇ご夫妻の御訪問を喜び、力づけられる被災者のかたもいらっしゃるでしょうね。
私自身は震災の前後数年はとても忙しくて、皇室関連では皇太子殿下のご成婚くらいしか記憶にありません。ただこの時の中東訪問に関しては、中東側から評価があったのを読んだ記憶があります。皇族の外国訪問は表に出てこない目的や意味があるのだと思いました。
あかりが「えっ❓」と思ったのは「これまで産んでいなかったのに、天皇にできるとなったら産んだ」という言葉を聞いたときでした😯僻んだ物言いですし、「秋篠宮家にだって跡継ぎはいるから産まなかったわけは無い」と反論してみて、はじめて「どういうこと?」と皇室のあり方に疑問を持ちました。「お許しが出た」などの言葉で「皇太子妃のことを思いやりなさい」とか「批難されるのは嫌でしょう」とか、やんわりと「産むな」と言われていた流れが理解できました。それでも、内廷が本気で「愛子天皇」に執着していくとは思いもよりませんでした。「安定的皇嗣継承」と上辺の言葉を紡ぎ出したのはあの方で、「雅子が怒る!」と泣くのはあの人で、「離婚してやる」と喚いたのはあの・・で、「どうしてやろうか」と脅しているかもしれないのはアイツで、「ボスの機嫌を損ねるな」と脅えるのはキャツラで・・と、あかりもしだいに図式が見えて来た気がします。「愛子のために・・」という努力ではなく「愛子を天皇にするために・・」という企みだけが続いた23年でしたね😱
それにしても、ラクダレースの大笑いはインドネシアでバティックを纏って笑う幼さに通じ、雅子サンってナチュラルじゃなく、単に幼く、あどけないと言われたお嬢さまと同じなのですね😣尊貴な母子は、どういう人を拾ったのでしょうか😨国難という言葉が浮かびます。ヨルダン王家もさぞ呆れたでしょうよ😢この頃から、徹底的に教育し直し・・し直すどころか、何も教育しないで「結婚していただいた」のでしたか💦歌集など作らせて、おべんちゃらされている姿は、老残ではすまない罪深さだと見ています😡
他人の事には心を痛めてなどいないのが、この方の本質でしょう。
つくづく皇室にはむいてない女性でした。
自分の思い通りにならないとブンむくれるのは、この後もしばしば居合わせた一般人に目撃されてます。
その際、笑顔でご機嫌取りをする皇太子に「お気の毒」「困惑」という感想がありました。
それも風化してしまうのでしょうか?
私達世代はしっかり覚えております。
震災後、相手国に申し訳とかなんとかで出発。
途中で切り上げた時のぶんむくれ顔や紅白戦ドレス。らくだレースのはしゃぎ様。
帰国後の「死海が見れず残念」
うん十年たっても忘れない方も多いと思いますわ。
あの時刻に現地で黙祷されてたら「お覚悟!」と見出しがつきましたのにね。
ダイアナ妃に現地入りさせなかったのは、美智子さんも自分より目立たせたくなかったのか?と思います。振り返っても美智子さんの雅子さんへの過剰な優遇はなぜなのでしょうね。
やっぱり浩宮は〇〇だったのですね。
私は子供の頃から「浩宮は脳があまり機能してなさそう」とぼんやりと思っていました。
出生時に酸素不足に陥った後遺症という説もありますが、元々足りないうえに、配偶者がアレなので、手の施しようがないところまで来てしまったのでしょう。
雅子さまが40分も耐えたなんて、奇跡のようですね。「彼女は小学生たちが合唱しているとき、眠っていた。皆、涙をぬぐっていたのに」とのコメ読みました。大あくびしなかっただけ、良かったのかも。
二会場あったそうなので「お寝坊雅子様に
合わせたのかな」と思いましたが、23年のも、県当局はお堅いこのスタイルだったもようです。
市民らによる追悼は、写真見るだけでも涙が出そう………。「公」と「私」って、こんなものなのでしょうか。
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■■神戸・東遊園地「1.17のつどい」に7万5千人 過去2番目の多さ 阪神・淡路大震災30年 2025/1/17
ttps://www.kobe-np.co.jp/news/society/202501/0018553014.shtml
■■兵庫県「阪神・淡路大震災30年追悼式典」 遺族代表、武田眞理さんのことば(要旨)2025/1/17
https://www.kobe-np.co.jp/news/society/202501/0018551787.shtm
注;出席者約400人
■■写真集
①阪神・淡路大震災30年 未明~早朝 東遊園地 2025/1/17 10:48
ttps://www.kobe-np.co.jp/rentoku/photoalbum/202501/0018551025.shtml
②阪神・淡路大震災30年 早朝 各地の様子 2025/1/17 11:14
ttps://www.kobe-np.co.jp/rentoku/photoalbum/202501/0018551118.shtml
③阪神・淡路大震災30年 午後 各地の様子 2025/1/17 22:19
ttps://www.kobe-np.co.jp/rentoku/photoalbum/202501/0018553160.shtml