12月23日上皇誕生日。
この方がお生まれになった時は国中が奉祝に沸いたようだ。歌まで作られている。
【歴史的音源動画】童謡 皇太子さまお生れなつた
8歳から12歳まで太平洋戦争。戦争末期1944年から1945年8月終戦直後あたりまで大変怖い思いをされたようだが戦後の復興期から高度成長期、日本がみるみる経済大国に駆け上がって行った時代を皇太子、天皇として過ごされ、世界的に保たれていたパワーバランスが崩れ始め、日本がグラリと傾き始めた丁度そのころに退位された。
東宮御所を仙洞御所とされた念願の終の棲家でのお暮らしぶりをNHKが伝えている。
記事中、気になった部分。
宮内庁や関係者によりますと、毎日、朝と夕方に上皇后さまと一緒に庭を散策し、その際、近くのビルから人々が上皇ご夫妻に向かって手を振ることがあり、上皇さまは手を振って応えるなど交流を楽しみにされている様子だということです。
😅 これと全く同じ文章を高輪仮仙洞御所でのお暮らしぶりを伝える記事で読んだ記憶がある。
航空写真で東宮御所となっているのが赤坂仙洞御所。
庭を散歩される上皇上皇后を見下ろして手を振り合えるようなビルがあるとも見えないが?何処まで歩いて行かれているのか。
週刊誌報道によれば、赤坂仙洞御所へお入りになられた御夫妻は公表されている外出の他に私的に何度も外出されているという。御夫妻の朝夕のお散歩も御門の外へ及んでいるのかもしれない。
*宮内庁が発表した上皇の御日常
毎日、ご起床後に上皇后さまとお庭をご散策になり、お戻り後にお食堂の水槽で飼われているチチブハゼに餌をお与えになります。
7時のTVニュースをご覧になりながら朝食をおとりになり、その後はゆっくりと新聞に目を通され、上皇后さまと本を音読なさいます。
東宮時代からこれまでにモンテーニュの「随想録」、パスカルの「パンセ」、堀辰雄の「大和路・信濃路」、寺田寅彦の随筆などをご一緒に読んでこられましたが、最近は、お二方が共に小学生五年時に学ばれた国語の教科書を読み返していらっしゃいます。
9時には上皇后さまとご一緒に、当直の侍従から当日の上皇上皇后両陛下のご日程、皇室全体のご動静について説明をお受けになります。また、国内外で発生している出来事についても話題となさり、説明をお受けになっています。
毎週、月曜日と金曜日の午前午後は皇居生物学研究所で、水曜日午前は仙洞御所で、生物学研究所職員とハゼ科魚類の分類に関する研究を進めておられ、国内外の論文を確認されたり、標本を顕微鏡でご覧になったり、2か月に一回開催される魚類分類研究会のオンライン会合に可能なかぎりご参加になっています。
ご研究がない日の午前は、日本や世界各地の歴史、文化、自然等を紹介するテレビ番組の録画を上皇后さまや侍従とご覧になります。
夕方には、上皇后さまがお付き添いになり、赤坂御用地内を30分程ご散策になっています。隣接する迎賓館は、かつて東宮仮御所があった場所で、陛下は昭和12年3月から沼津にご疎開になる昭和19年5月までお住まいでしたが、10月の迎賓館休館日に一度、その辺りもご散策になりました。
ご散策からお戻り後は、上皇后さまとご一緒に、お供した職員としばらくご歓談になります。最近では、ワールドカップサッカー日本代表の活躍が話題となっていました。
その他、午後には、読書をなさったり、大相撲の時期にはテレビ中継もお楽しみでした。
ごタ餐後の一時は、侍従が上がり、1953年の初めての英国ご訪問を始め、これまでの国内外のご訪問について、当時の記録集を見ながらお話を伺う時間になっています。ご体調については、今年6月ごろから、体重がやや増加し、血液検査のBNP値が上昇したため、胸部レントゲン検査をお受けいただいたところ、心拡大、胸水貯留など心不全の所見がみられたことから、7月24日、東京大学医学部附属病院において心臓MRI検査をお受けになった結果、三尖弁閉鎖不全による右心不全と診断されました。
その後の経過については、6月末からの薬の服用、水分の摂取制限、ご運動を控えめにするといった内科的治療をお続けいただいた結果、現在、右心不全の所見は改善されつつあります。
また、9月19日には左眼の白内障手術を、9月25日には右眼の白内障および緑内障の手術を、いずれも同じく東京大学医学部附属病院においてお受けになり、無事にお済ませになりました。
術後の経過は良好であります。
宮中祭祀(さいし)が行われる間、陛下は上皇后さまと共に、今も静かにお慎みになっていらっしゃいます。<中略>ご研究については、現在、生物学研究所職員と二つの課題に取り組まれています。
一つは、生息域が重複するチチブとヌマチチブについて、それぞれの鰾の形状やひれの動きと遊泳行動の関係を明らかにするとともに、同一水系内で住み分けている両種の生息環境の違いを確認するためのご研究です。
これまでの標本や水槽遊泳を対象とする形質的観察に加え、他の研究者のCTスキャン骨格解析の結果も取り入れられるなど、研究手法を広げられています。
二つ目は、日本産クモハゼ属の分類学的研究です。
陛下は1980年の共著者との論文(「日本で採集されたクモハゼ属Bathygobius6種について」魚類学雑誌27巻3号)で、クモハゼ属を分類するための特徴的な体形質を抽出さ れ、その6種を分類されましたが、その後に新たに4種のクモハゼ属が日本に分布していることが確認されました。
このため、現在、この4種を含め、当時発表された体形質上の分類指標がなお有効であるかを確認するための研究をなさっています。
😐 上皇は認知症を患われていらっしゃると見るのですが、”上皇陛下”に相応しい御威厳を保ちつつ、ゆったりと穏やかな日々を過ごされているご様子は目出度い。万歳、万歳、万々歳。
日本の良い時代に甘い生活をし日本が苦悩の時代に突入しかけたらさっさと退位して、なお優雅な御生活を楽しまれている。と言ったら無礼に過ぎるだろうが…。
一瞬、良いところの坊ちゃんが銀座のママにせがまれて遠出してきたのかと…。😅
偕老同穴。良い御姿です。
上皇の御腰のあたりがふっくらして見えるが、備えて紙パンツを召されているのでしょう。経験的にですが・・・全体的な雰囲気からその段階に来ていらっしゃるように思われます。
至れり尽くせりの介護を受けられる上皇陛下はお幸せです。上皇后は「上皇のお世話をするのが私の役目。」と仰ったようですが、してあげたいことは何でもお出来になる上皇后もお幸せです。
長い長い人生を過ごした果てに認知症になり介護施設で職員から虐待を受けて落命する者もいる。
誰しも好んで認知症になるわけではないのだが…。
一瞬、画像を凝視して
笑う気力も萎えました(^^;)
あの方は生粋の女優
私にはそんな風に見えました。
す、すごいです…(言ったことないけど)銀座のママにしか見えない(滝汗)
今にして思うとお妃候補になった時に、ベルキーで聖心女子大学の大会?だかなんだかで行かれましたよね?あれはなんだったんでしょうか?
たしか、シスターと話してる写真もあったような。あの時は各界からの色々な思惑があったのでしょうね。
それにしても、上皇さまの生活にこれだけの手がかかっているのですね。
そこでその伴侶として何十年も暮らしてきたら庶民の考えとは、全くかけはなれたものになりますでしょう。
こんばんは。
中国の要人は毛沢東以来、女優や歌手を妻にするのがステータスと聞いています。
習近平の奥さんも有名歌手ですしね。
アルゼンチンのエバ・ペロンは女優だったし、フィリッピンのイメルダは歌手になろうとしていた。
要人夫人として成功するには、女優的要素が必要なのかも…。
若い頃の美智子さまは本当にお綺麗でしたが40前後から急速に衰えて行かれたのが不思議でした。
あかりさん
こんばんは。
若い頃は本当にお綺麗でしたね。
人間も年を経て尻尾が剥げた古猫になると、子供の頃はみえていなかった「今から思えば、、」は沢山ありますわね。
美智子さまが、陛下に使った武器は「女」でしょう。傍証はあります。さすがに書けません。(>_<)
二代続けて女に弱い天皇です。愛子さまへのあかりさんの危惧も当たっているかもね。白馬に乗った王子でなく馬のような王子にさらわれないようご用心?
美智子さまを「ヨーロッパかぶれ」と言ったのはどなただったか。
皇室の中で女性天皇、女系天皇を一番強く望んでいるのは美智子さまのような気がしてきました。
摂政を勧める政府に「摂政ではダメだ!」と断固反対されたのは、女性天皇実現のシナリオを温めていらしたからなのかと疑いたくなります。
今上と雅子さまが摂政だったら今の皇嗣殿下妃殿下ほどの働きはせねばならなくなります。ボロがボロボロで秋篠宮御一家への期待感と存在感がぐーんと高まる。愛子さまも悠仁殿下も平成の天皇の孫という立場ですから、愛子さまを天皇にという声も上げにくくなると?妄想です。
かえでさん
こんばんは。
美智子さまはお綺麗でしたが、今から思えば気品があるというかたでは無かった。気品がある皇太子妃を演じようとされていたのだと、今は思います。
この写真の美智子さまもお綺麗ですが、気品には少々欠ける。上皇后になられても、セレブの大奥様風ではあるけれど、纏っているのは皇族の気品ではないような。