昭和61年(1986年)5月、上皇(当時皇太子)
<天皇と国民との関係は、天皇が国民の象徴であるというあり方が、理想的だと思います。天皇は政治を動かす立場にはなく、伝統的に国民と苦楽を共にするという精神的立場に立っています。このことは、疫病の流行や飢饉にあたって、民生の安定を祈念する嵯峨天皇以来の写経の精神や、また「朕、民の父母となりて徳覆うこと能わず。甚だ自ら痛む」という後奈良天皇の写経の奥書などによっても表われていると思います>
<天皇と国民との関係は、天皇が国民の象徴であるというあり方が、理想的だと思います。天皇は政治を動かす立場にはなく、伝統的に国民と苦楽を共にするという精神的立場に立っています。このことは、疫病の流行や飢饉にあたって、民生の安定を祈念する嵯峨天皇以来の写経の精神や、また「朕、民の父母となりて徳覆うこと能わず。甚だ自ら痛む」という後奈良天皇の写経の奥書などによっても表われていると思います>
*昭和61年11月29日 千代田区体育館に避難した大島島民に初めて膝を屈して慰問。
平成29年(2017年)2月21日 今上(当時皇太子)誕生会見
<象徴天皇については,陛下が繰り返し述べられていますように,また,私自身もこれまで何度かお話ししたように,過去の天皇が歩んでこられた道と,そしてまた,天皇は日本国,そして日本国民統合の象徴であるという憲法の規定に思いを致して,国民と苦楽を共にしながら,国民の幸せを願い,象徴とはどうあるべきか,その望ましい在り方を求め続けるということが大切であると思います。
このような考えは,都を離れることがかなわなかった過去の天皇も同様に強くお持ちでいらっしゃったようです。昨年の8月,私は,愛知県西尾市の岩瀬文庫を訪れた折に,戦国時代の16世紀中頃のことですが,洪水など天候不順による飢饉きんや疫病の流行に心を痛められた後奈良天皇が,苦しむ人々のために,諸国の神社や寺に奉納するために自ら写経された宸翰般若心経のうちの一巻を拝見する機会に恵まれました。紺色の紙に金泥で書かれた後奈良天皇の般若心経は岩瀬文庫以外にも幾つか残っていますが,そのうちの一つの奥書には「私は民の父母として,徳を行き渡らせることができず,心を痛めている」旨の天皇の思いが記されておりました。災害や疫病の流行に対して,般若心経を写経して奉納された例は,平安時代に疫病の大流行があった折の嵯峨天皇を始め,鎌倉時代の後嵯峨天皇,伏見天皇,南北朝時代の北朝の後光厳天皇,室町時代の後花園天皇,後土御門天皇,後柏原天皇,そして,今お話しした後奈良天皇などが挙げられます。私自身,こうした先人のなさりようを心にとどめ,国民を思い,国民のために祈るとともに,両陛下がまさになさっておられるように,国民に常に寄り添い,人々と共に喜び,共に悲しむ,ということを続けていきたいと思います。
令和3年(2021年)2月19日今上誕生日会見
日本の歴史の中では,天変地異や疫病の蔓延など困難な時期が幾度もありました。これまでの歴代天皇のご事蹟せきをたどれば,天変地異等が続く不安定な世を鎮めたいとの思いを込めて奈良の大仏を作られた聖武天皇,疫病の収束を願って般若心経を書写された平安時代の嵯峨天皇に始まり,戦国時代の後奈良天皇,正親町天皇など歴代の天皇はその時代時代にあって,国民に寄り添うべく,思いを受け継ぎ,自らができることを成すよう努めてこられました。
その精神は現代にも通じるものがあると思います。皇室の在り方や活動の基本は,国民の幸せを常に願って,国民と苦楽を共にすることだと思います。そして,時代の移り変わりや社会の変化に応じて,状況に対応した務めを考え,行動していくことが大切であり,その時代の皇室の役割であると考えております。
国民を思い,国民に寄り添う点で,災害で被災された方々,障害者や高齢者,あるいは社会や人々のために尽くしてこられている方々にも心を寄せ,ねぎらい,励ましていくことはとても大切なことです。
😐 平成の天皇も令和の天皇も、何か勘違いされているのではないかと思う。嵯峨天皇、後奈良天皇、、、歴代の天皇たちは、上皇や今上が繰り返し言われるように、国民に寄り添うべく祈ったのではない。国と民に多大な被害をもたらしている災害、疫病を鎮めるために祈ったのである。後奈良天皇は「天子に徳がないと、災害が起きる」という当時の思想に従って、起きている災害を自分の徳のなさゆえと受け止めて祈ったのである。いわば、唯一人で災害に祈りをもって立ち向かおうとした。祭祀王というものは古来、そういうものでしょう。平成の天皇も今上も「祈りの力」を信じておられないのは仕方がないとして、祭祀王として祈りで災害に対峙した御先祖の業績を「国民に寄り添う。」などという甘やかで耳障りだけの言葉の証左に使用されるのは如何なものでしょうか。😑 国民に常に寄り添い,人々と共に喜び,共に悲しむ,ねー。口で言うのは簡単ですが、陛下には出来ないでしょう?雨にも負けず 風にも負けず・・・・・東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
実践しようとした宮沢賢治は無理がたたってシンでしまった。陛下は「災害で被災された方々,障害者や高齢者,あるいは社会や人々のために尽くしてこられている方々にも心を寄せ,ねぎらい,励ましていくことはとても大切なことです。」そうですね。各地の行政が準備した被災者代表、障害者代表、高齢者代表、福祉等の活動家に面会して、ねぎらいの言葉をかけることで「国民に寄り添い、苦楽を共にした。」と思い込んでいらっしゃるだけではないでしょうか。陛下がねぎらいの言葉をかける人々の後ろに、誰にも認められずとも黙々と成すべき事を成している国民、苦しみ悲しみに注意を払って貰えないままに耐えている国民、が多く居る、いや、殆どの国民がそうだということに思いを馳せたことがおありでしょうか。
何々してる代表と会って「大変でしたね」と言われてもね、、、、、。と、思う大多数の国民。
今回の眞子さんの結婚に関する一連をみていても
、ですね。秋篠宮様はこのことを、家の事として捉えているように思われてたし、今上天皇は他所の家の事と捉えていたように思います。
こんばんは。
秋篠宮殿下も今上も筋金入りのマイホーム主義ですものね。