安倍晋三元首相の通夜同日に天皇皇后が侍従を通じて贈った供物がネットで物議を醸している。
「落雁が紅白なのはオカシイ」「胡蝶蘭を生花にしても良いの?」喧々諤々。
答え:天皇が葬儀に紅白の落雁を贈るのは正しい。
三笠宮崇仁親王斂葬の儀。紅白の落雁と天皇皇后両陛下の文字が見えます。
男性の陰になっていますが、天皇皇后両陛下の落雁の隣にもやや低めの落雁の山が見えます。皇太子皇太子妃の供物でしょう。
三笠宮寛仁親王逝去4年例祭。紅白の落雁。
天皇皇后両陛下と皇太子皇太子妃両殿下の紅白落雁には段の差がある。
安倍晋三氏通夜に皇嗣皇嗣妃は落雁ではなく、天皇皇后と同じ胡蝶蘭を秋篠宮殿下の御名で贈っています。
皇太子皇太子妃ではないので落雁は贈らない。が、生花は天皇と同じもの。
上皇上皇后の生花は天皇皇后、秋篠宮の胡蝶蘭と違えて籠花。だが上位とされる向かって右側に置く。
芸が細かい・・格式に配慮をした宮内庁の努力がしのばれます。
胡蝶蘭は仏教の通夜の生花として一般的です。安倍家は浄土宗。
こちらも注目。
水引の結び目に品格を感じます。美しい。
皇室と公家旧家に残っている水引と結び方だそうです。
つなぎ目に金紙が用いられている日の出結びは祝儀用。
この黒は黒ではなく、紅を重ねて黒く見えるようになったもので、指でこすれば指に紅色が付くそうですが・・・今では単に黒色で染めていても不思議ではありませんんね。
「皇室は祝儀でも黒白の鯨幕を使用する」と書いているところもありますが、元は紅を黒く見えるまでに重ねて染めた幕だったようです。
下鴨神社サイトより。
現実の天皇皇后の品格はどうであれ、年月に洗練された伝統の様式美に「天皇」の品格が漂う。
😇 今上、雅子さまも伝統を大切になされば、自ずと天皇の品格を身に纏うもできましてよ。
下々が遠慮した結果でしょうか。
それでも美智子様の手をお腹の辺りで組んでするお辞儀は瞬く間に日本全国に広まってしまいました。
全く正しくないにもかかわらず。
BSTBSの関口宏の歴史番組で、キャストの松岡某が女性・女系天皇にしないと皇室が続かないと言ったのはまだしも、「壬申の乱」について到底歴史を語る人じゃないレベルの発言をしました。大友皇子と大海人皇子を単に天智天皇の息子と弟と表現し、天智は息子に後を継がせたがったが弟が・・と説明しました。また、なぜか吉野に逃げて・・と、あかりレベルでも分ることを・・(怒)。大友は母が伊賀采女(地方豪族の娘、女官)で継承できる身分ではなく、大海人は天皇と同母の斉明天皇の皇子で天皇と共に政に当たり継承者と見做されて衆望がありました。吉野は母天皇が通った祈りの場だったから逃げたのです。それだけ言えば、古代の皇位継承方法が明確で、天智のごり押しが多くの豪族から認められなかったのが大友皇子の敗因だと分るでしょう。縄文時代の話が面白かったから番組を観たのでしたが、本当にあらゆるところに変な波が来ているようです。こういう波が「包丁20本」につながって来るのだとしたどうなるのでしょう?
今上夫妻には、とにかく一歩一歩真面目に、祭祀に、公務に取り組んで、余計な欲は出さないで下さい!身綺麗なご夫妻だと信じられるような時になれば、愛子さんも素直に良い方と結婚して幸せな人生を送ることもできるのはないでしょうか。
こんばんは。
美智子さま風の御辞儀は瞬く間に日本中を席巻しましたね。
動画サイトのマナー講座でも教えているくらいで…。
ネットではコンスと言われていますが、私があの手を前で重ねて肘を張った御辞儀を見たのは、もう50年以上前になりますが、当時、日航のステュアーデス達があの御辞儀をしていました。
御存知のように当時の日航のステュアーデスといえば、女性の職業として花形中の花形、男性にも女性にも憧れの的でしたよね。引退したステュアーデス達が接遇の講師を務めるようになったのも、あの御辞儀が広まった一因かなー?と考えていますが、どうでしょうか?
教養を誇りプライドの高い日航のステュアーデスもサーブする立場。つまり奉仕する立場即ちお仕えする、即ち召使い・・召使いの仕草を上つ方がするから奇妙な感じがするのだろうと、私は思っているのですが?
(ステュアーデス、今はCAですが、当時の雰囲気を伝えたくてステュアーデスと書きました。)
あかりさん
こんばんは。
そうでーす!先ずは祭祀を行い、守り伝えられて来た伝統文化を次世代に伝える。伊勢神宮の遷宮を何と心得る、ですよね。
それらと共に国事行為をされ、それからお好きなことをなさればよろしいと思います。忙しいと言いながら実は自由になる時間がたっぷりあることを国民はお見通しです。
愛子天皇、女系天皇などという根の無い邪説は放っておいても消えると見ていたのですが、主張する者の声がどんどん大きくなって行きますね。
大木から養分を吸い取って大きくなる宿り木を見るようで気持ち悪いし、危機感も感じます。
壬申の乱は中学校レベルの歴史ですから、邪な説を唱えても誰も相手にしないだろうと鼻で笑っていたのですが、宿り木学者を見くびっていたら、とんでもないことになりますね。
ねじ曲げた歴史を言い立てるのは隣国のお家芸、日本人はそのような卑劣なことはしないと思っていたのですが、認識をあらためないといけなくなったのは悲しいことですね。