昭和天皇の喪が明けた翌1990年(平成2年)1月12日に納采の儀が執り行われ、前年9月12日の皇室会議で承認された2人の婚約が正式決定した。皇室において昭和天皇崩御後初の慶事となり、納采後の皇居には、皇族や三権の長らが祝賀訪問、お祝い記帳も行われた。同年6月29日、結婚の儀が行われ、同日秋篠宮家を創設した。宮号は奈良県奈良市の地名「秋篠」に由来する。(WIKI)
この日のお二人は、ただ、ただ、初々しく美しく清らかで素敵でした。
お二人の33回目の結婚記念日の今日ネットに出た心が安らぐ二つの記事。
天皇陛下 インドネシア訪問で自ら撮影した写真を秋篠宮さまに渡される[2023/06/29 19:50]
ボルブドゥール寺院は15年前、秋篠宮さまも視察されていますが、天皇陛下は現地のガイドから家禽類の研究者でもある秋篠宮さまがニワトリのレリーフを当時、探されていたと聞き、自分のカメラで撮影されました。
天皇陛下の側近によりますと、帰国後の26日、皇居の御所で秋篠宮さまから国事行為の代行について報告を受けた際、天皇陛下はニワトリのレリーフの写真を秋篠宮さまに手渡されたということです。
この鳥はニワトリではなくオウム。
ボロブドゥール遺跡の膨大なレリーフから居るかいないか分からないニワトリを探し出すのは、大変です。
2008年、ボロブドゥール遺跡を訪れた秋篠宮殿下はニワトリを見つけることがお出来になったのでしょうか。
今回は、以前秋篠宮殿下がニワトリを探していらしたので、インドネシア側があらかじめその場所を用意して置いたのでしょうね。
兄弟の情が感じられる良いエピソードと思います。
浩宮礼宮の昔に帰ったような。
今上と雅子さまがご結婚後間もないころ、皇室関係の番組の中で秋篠宮殿下と清子さまがインタビューを受けて兄としての今上を語っていたのですが、きょうだい三人の仲の良さが伝わって来たのですが、秋篠宮殿下、清子さま、どちらからともなく「でも、兄は結婚してからすっかり変わってしまいました。」と言い出され、お二人とも口々に残念そうに「変わった、変わった」と…。
兄弟が結婚して付くものが付くとすっかり変わってしまう例は、一般人でもよくあることですが、それが秋篠宮殿下と清子さまの口から語られたことに驚いた記憶があります。
当時、国民の眼からみても結婚後の今上の変化は見えていましたので。
雅子さまにすっかり乗っ取られてしまわれたような今上の心にも、どこかに弟宮に対する優しい情が残っているのか、と少しホロリとしたニュースでした。
😟 先ごろ、デイリー新潮が秋篠宮ご一家に対して、酷い記事を書いていましたね。リストアップしたどれもが「そっくり天皇ご一家にお返ししたい。」というような。
あまりの酷さに見かねたのか、八幡和郎氏がまっとうな記事を書いている。
「絶賛と誹謗という極端な対応はやめるべき」とも。
それにしても、皇嗣ご夫妻のご結婚の頃は、あかりも素直に喜べて良かったですねぇ。紀子さまの笑顔を瀬戸内寂聴さんが「顔施」と言われて、なるほどと感心し、あかりも心がけたいとずっと思ってきました(思っただけかも?)。紀子さまの笑顔があの頃の柔らかさを取り戻せる世になることを心から願っています。
>秋篠宮殿下、清子さま、どちらからともなく「でも、兄は結婚してからすっかり変わってしまいました。」
を読んで胸をつかれました。
もしも今上が本当に賢く心優しい方と結婚してらしたら、あの方なりに幸せになったろうに。国も安定しただろうに。
と残念でなりません。
現在の伴侶は今上自身が選んだことになっていますが、あの方にそんな強い意志があるか疑問です。巷間いわれているように、皇室内部のある方々、そしてある省庁や団体がしくんだというのもあながち間違いではないでしょう。
当の夫妻だけでなく、国民を不幸にしたこの結婚、そして今進行中の女系天皇容認への動きの裏にあるものが無気味でしかたありません。
素直に「こんなに素敵な女性がいたのね」と思えた秋篠宮様のご結婚。とても懐かしく今の皇室を思うと落差に愕然とします。
八幡氏の仰ることは尤もで、今上の結婚が決まらず、やっと決まったと思っていたが、実は雅子さん、ご実家ともにその気があったと知るにつれて、「来て頂いた」と国民が思わされていたのだとモヤモヤ。
如意さまに教えて頂いた「ニワトリのレリーフ」の話は良いお話ですね。
少しずつでも、良い方向に持っていければ良いのですが、何せ強力な方に今上は引きづられていますからね。
結婚前はそれなりに皇族としての品格がありましたよね。「ティファニーであれこれ買うような方はちょっと…」などと、質素堅実を旨とする話でしたが、現実は…。
雅子様の父上の権力志向は、並々ならぬものがありますね。「源氏物語」の明石の入道は、娘の明石の君を媒介として、一族繁栄の、権力の頂点を目指しますが、ある一定以上に欲望が叶えられたら、潔く山に籠もり、朽ち果てる道を選びます。
そして、明石の入道には、明石の君や妻に、やり込められて、反論出来ず、ショボンとする可愛げもあります。それに引き換え、小和田氏は、エリート意識丸出しで、義理の息子をコントロールしたり、ニコリともしない冷たい目付きの顔です。潔い明石の入道と違い、小和田氏は、権力の執着が見られ、見苦しい。
ハッキリ言って、人間的に一番嫌いなタイプです。
宮内庁・マスゴミも味方にして、小和田一族の、我が世の春の事でしょう💢
こんばんは。
皇位継承でこんなにもめる日が来るとは思ってもみませんでした。
変わらないものが中心であってこその日本です。変わらないものとは「男系男子継承」で、これを無くした天皇はもはや天皇ではないです。
太公望さん
こんばんは。
結婚の儀の紀子さまの可愛らしく、美しかったこと、難しい装束を召しての所作も完璧で、ローブデコルテに重ねたショールのような羽織ものもオシャレで…。
次男坊のお妃でもこんなに素敵なかた、素敵な結婚の儀なのだから、皇太子妃になられるかたも、結婚の儀ももっと素敵に違いない、と期待していたのですが…。
婚約会見から、??の連続で、結婚の儀もドレスも、拍子抜けというか、期待外れというか、そのうちなんとかなるだろうと思っていたら、なんともならなくて、、結果、現在のグダグダ。
「今上と雅子さまは、恋愛と言われているが、実は周囲の思惑で雅子さまが用意された。」と八幡氏がその”思惑”についてあれこれ書いていますね。
秋篠宮殿下と紀子さまが結婚してからも、浩宮、秋篠宮、清子さまは本当に仲良くされていましたが、そこには紀子さまの気配りもあってのことだったのでしょうね。
雅子さまが賢く優しいかたなら、きょうだいの仲の良い交わりもそのまま続いたでしょうにね。
かえでさん
こんばんは。
>実は雅子さん、ご実家ともにその気があった
そうですよね。そうでなくては、結婚パレードの雅子さまのはしゃぎぶりが理解できません。
雅子さまの周辺には、結婚前から現在まで辻褄が合わないことが満載です。
「ニワトリのレリーフ」には、今上の雅子さまに侵されていない部分を垣間見た思いがしました。
でも、まあ、雅子さまに侵襲されたままでいかれるのでしょうね。
白文鳥さん
こんばんは。
このところ、ご両親はもちろん佳子さまも、悠仁殿下を三人で力を尽くして守っていらっしゃることが伝わって来ます。
小和田氏、いやな人です。
陰で思い切り天皇・皇族を馬鹿にしているに違いありません。
だから、娘が「皇太子ってお偉いの?」などと言うのです。