憂国の花束

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祖国日本よ! 誇り高くあれ。

今から思えば?・・皇太子の結婚

2022-03-15 16:08:07 | 雅子さま
1992年12月12日小和田雅子嬢は皇太子からの求婚を受諾した。

<消えたお妃候補たちもう一つのドラマ>
『週刊朝日』1993年1月22日号






😇 今上にもいろいろ有って、良い雰囲気になったかたもいらっしゃったのですね。
今にして思えば、惜しいことだったと私は思います。

皇太子が自ら見出したB子嬢も惜しかった。本人には責任がない親類の経済問題を理由に交際をストップさせることが出来た時代だったのですね。

柳原留美子嬢も久邇晃子嬢も本当に惜しい!


この記事には、このようなコラムも。

😇 英国留学で女性の好みが変わった・・いったい留学中に何があったのでしょう?
皇太子は1983年(昭和58年)から1985年(昭和60年)にかけて、英国オックスフォード大学マートン・カレッジに留学しています。
そして、コルマール事件は昭和59年(1984年) に起きたと噂されています。
今にして思えば、このコラムはコルマール事件を示唆していたのでしょうか。

😇 色白ぽっちゃりといえば愛子さま。今上は可愛くてたまらないでしょうね。







😐 雅子さまの弁として
「一人でバリバリやるタイプじゃないし、精神的にも弱いので家庭は欲しい。」という言葉が載っている。
今から思えば本音だったのでしょう。
しかし見かけは真逆。キャッチフレーズも真逆。今もこのかたの記事には必ずのようにハバード卒、東大法学部学士入学、外交官キャリアが謳われる。


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (如意)
2022-12-15 22:50:50
Unknownさん
Unknown、通りすがり、傍観者、好奇心に類したHNでのコメントは承認しません。
よければ、相応しいHNで参加してくださいね。
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Unknown (如意)
2022-03-16 14:45:00
マル子さん
こんにちは。
柏原芳恵さんのほうが良かったのでは、と私も思ったことがあります!笑。
今上もいろいろ悩んだことはお有りだったでしょう。「結局、なるようにしかならない。家族が一番。」というところに落ち着いて楽になられているように見えます。
そういう方に何を期待しても、無理なのでしょうね。
返信する
Unknown (マル子)
2022-03-16 11:18:55
如意さま こんにちは。
再びお邪魔いたします。
ブルック・シールズは華やかな美人ですね、雅子さまの雰囲気とは違います。
柏原芳恵さんの動画を見たのですが、雅子さまの現状を思うと柏原さんでも良かった気がします笑
芸能人なので社交性や適応力はあるでしょうし、健康的で子沢山なイメージです。

紹介してくださった皇太子妃候補..柳原留美子さんが理想ですが
他の候補に挙がった皆さん素晴らしすぎて、今上には勿体なかったと思います。
夫婦円満であればすべてよし、の今上は雅子さまで良かったのですね。
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Unknown (マル子)
2022-03-15 20:43:56
如意さま こんばんは。
久邇晃子さんも柳原留美子さんも、本当に素晴らしい皇太子妃候補だったと思います。
肝心の、当時の皇太子は雅子さまに夢中(計画通り?)恋愛感情優先で判断を誤ったのかもしれません。
でも雅子さまだからこそ、美智子さまも紀子さまも存在感を発揮⁉︎
美智子さまは雅子さま推しだったという、ネット上の噂もあります。
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